須崎市浦の内:東分鳴無に鎮座される「鳴無(おとなし)神社」。御祭神は『一言主命』。
社伝によれば、葛城山に居た一言主命と雄略天皇との間に争いがあり、一言主命は船出して逃れ、雄略天皇4年の大晦日にこの地に流れ着き、神社を造営したのが始まりとされます。
三間社春日造、こけら葺の本殿は、土佐藩二代藩主・山内忠義により寛文3年(1663)に造営。柱は朱塗り、貫、組物などには極彩色を施し、天井には村上龍円が描いたと伝えられる天女の舞の絵があります。(昭和28年(1953)3月31日、国重要文化財に指定)
拝殿は幣殿と合わせて1棟とし、平入りの拝殿の背後に妻入りの幣殿が接続され、平面はT字形を呈します。四方吹き抜けの簡素な建物で、本殿と同時期の建立とされています。
境内のうちより神域を守護されるのは、大正9年(1920)8月吉日建立の土佐型狛犬さん一対。時代が新しい所為なのか、はんなりとした柔らかさが少なくなったような気がします。吽形さんは大きな太鼓に前足をかけて、ちょっと自慢げ。
境内の正面には浦の内湾が広がり、海から入るように作られた参道や海に向かって建つ社殿の様から「土佐の宮島」とも称されています。海から写せたらもっとイメージが伝わったと思うのですが・・・😓
境内の前に広がる海
【土佐の海に 御船浮かべて遊ぶらし 都の空は 雪解のどけき】歌人:藤原家隆
【流れ星 弧の弛む 北に置きて】作者不明
参拝日:2018年6月14日
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tibineko一口メモ
「言葉」の力を司る大神と喧嘩をして、なおかつその神様を追い出した「雄略天皇」???・・・で、調べた所、兄の安康天皇を殺害した「眉輪王(まゆわのおおきみ)」を殺し、さらに履中天皇の皇子「市辺押磐皇子(いちのべのおしはのみこ)」を殺して即位した天皇・・・・闇が深い😔