旧河北郡宇ノ気町(うのけまち)は石川県の中部に位置し、日本海に面した町です。江戸時代には能登と加賀を結ぶ交通の要衝として宿場町が形成され、廻船・水産業が盛んに行われてきました。高名な哲学者『西田 幾多郎(にしだ きたろう)』氏の出身地としても知られ、宇野気駅前には彼の銅像が、また彼が三歳から十三歳頃まで住んでいた家の跡には「生い立ちの碑」が建立されています。「町の花:ツツジ」「町の鳥:ツバメ」を制定。
「西田 幾多郎:生い立ちの碑」
「西田 幾多郎筆 道」
明治22年(1889)、町村制の施行により河北郡西英村・金津村(かなづむら)が発足。
1907年、西英村、金津村が合併、河北郡宇ノ気村が発足。
1948年、宇ノ気村が町制を施行、河北郡宇ノ気町が発足。
1950年、河北郡高松町から横山、上田名、谷、笠島、余地地区が分離し金津村(かなつむら)となる。
1960年、金津村と宇ノ気町が合併。再度、河北郡宇ノ気町が発足。
2004年、河北郡七塚町、高松町と合併、かほく市となりました。
宇ノ気町:七塚町は共同で下水道事業を行っており、デザインマンホールも二町に同じものが設置されています。二つの自治体名と宇ノ気町の花「ツツジ」、七塚町の花「ハマナス」がデザインされています。
昭和42年4月5日制定の町章は「「う」を図案化、「宇」で宇宙のように広い発展を意味します。」合併協議会資料より
プラ汚水桝
宇ノ気町・七塚町:共用の特大サイズマンホール「汚水」
宇ノ気町・七塚町:共用マンホール「雨水」
撮影日:2011年10月14日&2015年5月19日&2018年10月15日
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