旧養父郡八鹿町(ようかちょう)は兵庫県の中北部、円山川と八木川が合流する盆地に位置した町です。日高町、出石町、村岡町、養父町、大屋町、関宮町に隣接。舟運が物流の主役だった時代は船着場として栄え、江戸時代後期に但馬で養蚕が盛んになると、繭や生糸の集散地として発展してきました。町域には財を成した八鹿商人を偲ばせる建物も残されています。日高町、出石町、村岡町、養父町、大屋町、関宮町に隣接。「町の木:杉」「町の花:ツツジ」を制定。現養父市の中心地であり、養父市役所が置かれています。
明治22年(1889)、町村制の施行により養父郡八鹿村・高柳村・伊佐村・宿南村が発足。
1913年、八鹿村が町制を施行、養父郡八鹿町となる。
1955年、養父郡八鹿町・高柳村・伊佐村・宿南村が合併、改めて八鹿町が発足。
2004年、養父郡養父町・大屋町・関宮町と合併、養父市八鹿町となりました。
マンホールには、町章を中心に、町の花「ツツジ」が描かれています。
仕切弁にも、「町の花:ツツジ」がデザインされています。
昭和30年4月1日制定の町章は「「八」・「カ(鹿)」を円形にして図案化したもの。」
八鹿町道路元標
町屋の卯建屋根に施された波乗り兎の細工瓦。兎は月、波は水に結びつくことから火除けの呪いとして、倉や家屋の飾り瓦によく見られる意匠です。
こちらの仕切弁は、上記の仕切弁等と同じ旧八鹿町域に有ったものですが、ツツジの下のデザインが他の自治体の知章に見えます。詳細をご存知の方、是非とも情報をお寄せください。
撮影日:2011年3月31日&2014年11月21日
2011年3月の但馬方面の車泊旅では「道の駅・ようか 但馬蔵」にて車中泊をさせて頂きました。直売所の野菜はどれも新鮮で、お土産用のスィーツはどれもお洒落、ついついお財布の紐が(^^;)
車で旅をする私たちにとって、こうした場所は本当に有難く大切な場所です。改めて、その折には有難うございました。
と思って調べたら勘ぐりすぎでした。
八鹿の由来は「街道に屋根が連なる『屋岡(やおか)』が転じて八鹿になった」とのこと。
つまり古くからの宿場町。
確かに地図を見ると山陰道と豊岡・城崎への分岐点。
tibinekoさまのおかげで、あれやこれや妄想し調べ生きてゆくには必要ないけど、蘊蓄を語るには十分な無駄な知識がどんどん蓄積されてゆく今日この頃です。
楽しい。笑
でもまっちさんのおかげで、知らない事を沢山教えられ、その度ごとに感心したり納得したり。
生活する為の知識習得は色々と大変ですが、無駄な知識は心の栄養になります(〃∇〃)
いや~~~~、本当に楽しい!!!
八鹿町では沢山のマンホールを観察され、充実した旅であったことがうかがわれます。
波乗りうさぎの瓦が火災よけであったこと、知りませんでした。波乗り兎についても初耳です。道路元標も、堂々としていますね。
訪問された年月日を読みますと、心に響くものがあります。大切にしたい過去・・切なくなるものがあります。
そんな目で見て歩くと、意外な発見が沢山あり、、街歩きの楽しさを倍増させてくれます