高梁市(たかはしし)は岡山県の中西部に位置する市です。2004年10月1日、高梁市と上房郡有漢町、川上郡成羽町・備中町・川上町が合併、現在の高梁市となりました。総社市、井原市、新見市、真庭市、加賀郡吉備中央町に。さらに県を跨いで広島県庄原市、神石郡神石高原町に隣接。古来から備中国の中核であり、近世では幕藩体制のもと備中松山藩を中心として繁栄してきました。一級水系の高梁川が市の中心部を貫流し、かつては高梁川を利用して高瀬舟によって玉島港まで物資の輸送が盛んに行われた為、高梁は物流の中心として発展。現存天守の中で唯一の山城であり、最も標高の高い場所にある松山城の眼下に広がる高梁の城下町は、武家屋敷や町家、神社仏閣などが立ち並ぶことから備中の小京都と呼ばれます。「市の木:アカマツ」「市の花:サクラ」「市の鳥:ヤマセミ」を制定。
キャッチフレーズは「交流・創造都市 たかはし ひと・まち・自然にやさしい高梁」
明治22年(1889)、町村制の施行により、上房郡高梁町・松山村・津川村・今津村・川面村 ・巨瀬村 、川上郡玉川村 ・宇治村・松原村・高倉村・落合村、阿賀郡中井村が発足。
1929年、上房郡高梁町が松山村を編入。
1954年、上房郡高梁町、津川村、川面村、巨瀬村、川上郡玉川村、宇治村、松原村、高倉村、落合村が合併。市制を施行し初代高梁市が発足。
1955年、高梁市が上房郡中井村を編入。
1970年、高梁市が上房郡賀陽町佐与谷大字上竹・西の各一部を編入。
マンホールは、中央に市章があるだけの規格タイプのみです。
昭和30年(1955)4月14日制定の市章は「限りなき紺碧の大空に 躍進する高梁の頭文字 (文化)Tに、観光松山 城を偲び、産業資源 (松葉で示す)は、広 く海外(生産)に伸び て(四方尖端)いる高 梁市を表徴す。」公式HPより
マンホールは味気ないですが、空気弁、消火栓には「備中松山城」が描かれています。(木山神社参道付近に設置)
岡山自動車道高梁SA:備中松山城
「松山おどり」と書かれた小さい蓋は、「備中たかはし松山踊り」の幟用ではないかと思われます。(備中高梁駅付近に設置)
幕末に備中松山藩の藩政改革を成し遂げた山田方谷の生誕地、高梁市をPRする為に生まれた高梁市キャラクター『ほうこくん』。手に持っている本には「節約のすすめ」がぎっしりと・・・・
撮影日:2010年8月11日
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