車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

ご当地マンホール in 岡山県井原市

2022年02月04日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・岡山県

井原市(いばらし)は岡山県の南西部に位置する市です。2005年3月1日、後月郡芳井町、小田郡美星町を編入。笠岡市、総社市、高梁市、小田郡矢掛町に。さらに県を跨いで広島県福山市、神石郡神石高原町に隣接。高梁川支流の小田川の流域で谷底に水田が開け、南部は丘陵、北部は吉備高原に囲まれて盆地を形成。近世には山陽道の七日市宿、高屋宿の宿場町として、明治以後には白ネル、デニムなどの布地や製品を生産。戦後のデニム・ブームには国内生産の75%を占め、その後生産量は減少したものの、その品質の高さから、欧米を中心に今も多く輸出されています。また、「中国地方の子守唄」発祥の地として、さらに2005年に合併した旧美星町が日本で初めて制定した「光害防止条例(1989年11月29日制定)」を引き継ぎ「日本初の対光害専門条例を制定した市」としても知られています。「市の木:クロマツ 」「市の花:サクラ」「市の草花:パンジー、ペチュニア」を制定。

キャッチフレーズは「美しい自然、息づく文化、笑顔でつながるひと、元気発信都市いばら」

明治22年(1889)、町村制の施行により、後月(しつき)郡井原村・高屋村・出部村・県主村・木之子村、東江原村、神代村、西江原村、山野上村・青野村が発足。小田郡稲倉村・大江村

1896年、井原村が町制を施行、後月郡井原町となる。

1900年、東江原村、神代村が合併、後月郡荏原村が発足。

1922年、高屋村が町制を施行、後月郡高屋町となる。

1925年、西江原村が町制を施行、後月郡西江原町となる。

1942年、井原町、出部村が合併、改めて後月郡井原町が発足。

1953年、後月郡井原町、西江原町、高屋町、荏原村、木之子村、県主村、青野村。山野上村と、小田郡稲倉村、大江村が合併、井原市が発足。

マンホールには「子守唄の里」と「市の草花:パンジー」「市の木:黒松」「市の花:桜」がデザインされています。(井原駅前通りに設置)

倉敷マンホールサミット展示蓋

井原市は西日本有数のぶどうの産地としても有名で、消火栓・仕切弁には、市のシンボルの他に「葡萄」がデザインされています。

昭和28年(1953)12月11日制定の市章は「井原の「井」の字を井枠の四角でつなぎ、中央に「原」を片仮名で図案化し、市民の和による団結と飛躍を象徴したものです。」公式HPより

井原駅前通りに設置されている方位盤。描かれているのは扇の的を射る『那須与一』。井原市野上町余次には『荏原那須氏』が、その祖『那須与一』をしのんで建てた供養墓「伝・那須与一墳墓」があるそうです。

井原市井原町にある「井原市立田中美術館」。隣接する田中苑に建立された2m余りの「鏡獅子のブロンズ像」は井原市出身で近代日本を代表する彫刻家『平櫛田中』が、六代目尾上菊五郎をモデルに約20年の歳月をかけて完成。今にも見得を切って動き出しそうな迫力に圧倒されます。(画像提供:義姉)

撮影日:2009年9月20日


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