松本市内田にある「馬場家(ばばけ)住宅」。江戸時代末期の長野県西南部を代表する民家建築として、1996年に国の重要文化財に指定。
指定要素には建築物だけではなく、敷地、景観も含まれているため西側の道路を挟んだ向かいの畑までが重要文化財の指定範囲になっています。重文の畑って・・なんか凄くないですか😊
馬場家の伝承によると、先祖は武田信玄の家臣で美濃守信春の縁者である『馬場亮政』とされ、天正10年(1582)の武田氏の滅亡を機に当地を開発。この住宅の原初を築造したとされています。
「屋号は「古屋敷」と呼ばれ、西面は、左右に長屋を持つ表門、及び塀で囲み、北面・東面は土塁で囲む構造。」
屋敷地中央に主屋が建ち、周囲に中門、文庫蔵、奥蔵、隠居屋、茶室、旧馬屋などの建物が配置。第16代当主により敷地と建物の約半分が松本市に寄贈され、主屋と文庫蔵、門長屋、旧馬屋が一般公開されています。
「おんべ祭り」の飾りだったと記憶・・
「江戸時代末期、嘉永4年(1851)に建築された主屋は、棟の正面に「雀おどし」と呼ぶ棟飾りをつけた本棟造。規模は間口九間(18.8m)、奥行七間(16.4m)で、ゲンカン、ザシキ、イリカワなどの整った接客部を備えるなど家格にふさわしい意匠を持っています。」
褄下彫刻の「蕪」
母屋の右隣には、馬場家と密接な関係にあったとされる高島藩主の為だけに設けられた「中門」があり、藩主の御成り以外は閉じられたままでした。
「旧馬屋 かつては「灰部屋」(肥料に用いる囲炉裏や竃の灰を貯蔵するための建物)と呼ばれていましたが、規模が大きいこと、また柱の配置などから当初は馬屋だったと推定されています。」
門内より
菜の花畑の向こうに、馬場家の屋敷神『古屋敷稲荷大明神』が祀られる「祝殿(いわいでん)」が鎮座されます。祝殿の後には推定樹齢800年以上の大ケヤキ(松本市特別天然記念物)が聳え立ち、独特の景観を生み出しています。
「日本タンポポ」・・春の土手を席巻してしまった西洋タンポポに負けるな!😆
訪問日:2016年4月24日
太文字部分は「新まつもと物語」「松本丸ごと博物館」より引用しました。
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