車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

茨城県那珂市のマンホールカード

2019年12月21日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・茨城県

2019年8月7日、第10弾として全国61自治体で61種類(累計455自治体539種類)の マンホールカードの配布が 開始されました。「那珂市」のマンホールカードは、「那珂市曲がり家」でいただけます。

2019年に設置開始されたマンホールには「ひまわり」がデザインされています。

「市の花である「ひまわり」の花を描いたマンホール蓋で、旧那珂町で設置しているデザインです。 太陽に向かって咲くひまわりは、夏を象徴する太陽の花とも言われており、丸い花の形は市民の和を表すとともに、明るく元気なイメージが那珂市のまちづくりを象徴しています。毎年8月には、夏の一大イベントである「ひまわり フェスティバル」が開催され、会場周辺には25万本ものひまわりが咲き誇ります。 ひまわりの畑には巨大迷路もつくられ、毎年多くの人たちでにぎわいます。 約4haの畑一面に広がるひまわりを見晴台から見下ろす景色は、息をのむような壮大な光景となっています。」

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那珂市(なかし)は茨城県の中心よりやや北部、那珂台地の中央に位置する市です。北は常陸太田市・常陸大宮市、北東は日立市、東はひたちなか市と那珂郡東海村、南は水戸市、西は東茨城郡城里町に隣接。市の北側には久慈川が西から東へ、西側には那珂川が北西から南東へと流れ、市域は、この両一級河川の沿岸に広がった広大な水田地帯と、中央に広がった那珂台地からなっています。「市の木:八重桜」「市の花:ヒマワリ」「市の鳥:白鳥」を制定。

1955年、那珂郡菅谷町・神崎村・木崎村・五台村・戸多村・額田村・芳野村が新設合併、那珂町が発足。

1957年、国田村上国井の一部を編入。

2005年、那珂郡瓜連町を編入、市制を施行、那珂市となる。

キャッチフレーズは「いぃ那珂暮らし」

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茨城県結城市のマンホールカード

2019年12月20日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・茨城県

2018年12月14日、第9弾として全国60自治体で60種類(累計407自治体478種類)の マンホールカードの配布が 開始されました。「結城市」のマンホールカードは、「結城蔵美館(木曜日は結城市都市建設部下水道課)」でいただけます。

2017年に設置開始されたマンホールには「まゆげった」と「市の花:ユリ」がデザインされています。

「市の伝統工芸品「結城紬」「桐下駄」をモチーフにした市公認キャラクター「まゆげった」を使用したデザイン蓋です。 太い眉毛は下駄の鼻緒、玉子のような丸い体は絹織物の原料である繭、身に着けているのはもちろん結城紬と桐下駄です。背景には市の花「ユリ」を散りばめています。 結城紬はわが国最古の歴史を持つ絹織物で、2010年にはユネスコ無形文化遺産に登録されました。 配布場所の結城蔵美館には、日本3大名槍「御手杵(おてぎね)の槍」のレプリカが展示されています。 徳川家康公の次男秀康が結城秀康となった「結城」です。歴史を感じながら、街の散策をしてみてください。」

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結城市(ゆうきし)は関東平野のほぼ中央,茨城県西北端の県境に位置する市です。東は鬼怒川の清流をはさんで筑西市、南は古河市、結城郡八千代町に、また北西は県を跨いで栃木県小山市に隣接。市域はおおむね平坦で関東ローム層に覆われており、鬼怒川・田川と西仁連川の河川にはさまれた、結城台地と呼ばれる海抜20~45メートルの標高をもつ比較的高いゆるやかな低稜傾斜地帯です。古代より「ふさ(麻)」や「木綿(ゆう)(穀や楮などのコウゾ属の繊維)」の産地として「総の国のゆうき」と呼ばれ、奈良時代頃からは結城紬の特産地として発展してきました。「市の木:クワ」「市の花:百合」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により、結城郡結城町・絹川村・江川村・上山川村・山川村が発足。

1954年、結城町が山川村を編入。結城町、上山川村、絹川村、江川村が合併、市制を施行、結城市となる。

キャッチフレーズは「元気 ステキ ゆうき」

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茨城県取手市のマンホールカード

2019年12月19日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・茨城県

2018年8月11日、第8弾として全国76自治体で76種類(累計364自治体418種類)の マンホールカードの配布が 開始されました。「取手市」のマンホールカードは、「取手市役所取手支所取手駅前窓口」でいただけます。

2017年に設置開始されたマンホールには「組合章」と「ツツジ・藤・菜の花」がデザインされています。

「取手地方広域下水道組合は、昭和56年2月に、公共下水道事業の運営を目的として設立された全国でも数少ない一部事務組合です。 マンホール蓋中央の組合章は、水面(みなも)をイメージしたもので、周りを設立当時の市町村の花で飾っています。 取手市の「ツツジ」は緑の豊かさにふさわしい花として、旧藤代町の「フジ」は薄紫色が未来に夢を託す虹色の一つであること、旧伊奈村の「菜の花」は小貝川沿い一面を黄色に染める様が人に元気を与え、明るく未来に伸びるという理由で制定されました。 「人と水の明るい未来のための下水道」という願いをこめてデザインしたものです。」

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取手市(とりでし)は茨城県の南端、県南地域に位置する市です。つくばみらい市、龍ケ崎市、守谷市、北相馬郡利根町に、また県を跨いで千葉県:我孫子市、柏市に隣接。利根川とその支流である小貝川の二大河川が流れる水と緑に恵まれた地域にあり、利根川水運の拠点地・物資集積地として栄えてきました。「市の木:モクセイ・ゲッケイジュ」「市の花:ツツジ・フジ」「市の鳥:フクロウ・カワセミ」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により、北相馬郡取手村・台宿村の区域を以て取手町が発足。

1947年、北相馬郡井野村を編入。

1955年、北相馬郡稲戸井村・小文間村・寺原村および高井村の一部と新設合併、改めて取手町となる。

1970年、市制を施行、取手市が発足。

2005年、北相馬郡藤代町を編入。

キャッチフレーズは「ほどよく絶妙とりで」

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茨城県土浦市のマンホールカード

2019年12月18日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・茨城県

2018年4月28日、第7弾として全国49自治体で49種類(累計301自治体342種類)の マンホールカードの配布が 開始されました。「土浦市」のマンホールカードは、「土浦市観光協会」でいただけます。

1984年に設置開始されたマンホールには「帆曳舟」と「筑波山」がデザインされています。

「古くは万葉集にも詠まれた常陸野のシンボル、名峰「筑波山」を西に望み、東には日本第2位の広さを誇る湖「霞ヶ浦」を擁する土浦市。 本マンホール蓋は、そんな水と緑豊かな土浦の風景を印象的に表現したものです。 デザインの左側に描かれている船は「帆曳船(ほびきぶね)」とよばれる明治時代に発明された船で、高さ9メートル、幅16メートルの帆で風を受けて網を曳き、ワカサギ漁などを行った歴史があります。 帆曳船を使用した漁は昭和40年代にトロール船の普及によって姿を消しましたが、今でも観光用として運用され、大自然をバックに昔ながらの優雅な姿を見せてくれます。」

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土浦市(つちうらし)は、茨城県の県南地域に位置する市です。牛久市、つくば市、かすみがうら市、石岡市、稲敷郡阿見町に隣接。霞ヶ浦の西に広がる地域には古くから人々が活動し、市域には旧石器時代からの遺跡があ、縄文時代には、縄文海進により霞ヶ浦は大きな入り江(古鬼怒湾)となったと考えられています。慶長9年に水戸街道が整備され、市域には4つの宿場と間の宿が置かれ、水戸街道と、霞ヶ浦水運が結びつく水陸交通の要地として繁栄してきました。市内では、日本三大花火の一つ「土浦全国花火競技大会」が毎年11月に開催。また、レンコンが特産品であることと、海軍に縁があり飛行船「ツェッペリン伯号」が飛来した際にカレーを振舞ったことから、レンコンを入れたカレー「ツェッペリンカレー」による町おこしが行なわれています。「市の木:ポプラ・ケヤキ」「市の花:桜」「市の鳥:ヨシキリ・ウグイス」を制定。

1940年、新治郡土浦町・真鍋町が新設合併、土浦市が発足。

1948年、新治郡朝日村沖新田、荒川沖・荒川本郷の各一部、都和村を編入。

1954年、上大津村を編入。

2006年、新治村を編入。

キャッチフレーズは「水・みどり・人がきらめく 安心のまち 活力のまち 土浦」

土浦市イメージキャラクター『つちまる』。土浦市の特産品「レンコン」の耳がチャームポイントで、永遠の1歳6ヶ月の男の子。好物は「カレーと常陸秋そば」です。

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茨城県常総市のマンホールカード

2019年12月17日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・茨城県

2017年12月9日、第6弾として全国64自治体で66種類(累計252自治体293種類)の マンホールカードの配布が 開始されました。「常総市」のマンホールカードは、「常総市地域交流センター」でいただけます。

1996年に設置開始されたマンホールには「豊田城」と「ツツジ・梅・鶯」がデザインされています。

「中央に一級河川の鬼怒川が流れ、東部の低地部にのどかな水田地帯が広がる常総市。 本市のマンホール蓋は、合併前の石毛町の花「ツツジ」、木「ウメ」、鳥「ウグイス」に、地域のシンボルである「豊田城」をとり合わせて図案化したものです。 豊田城は、お城の形をした地域交流センター(平成4年に建設)のこと。 平安時代末期から戦国時代まで、この地方を支配した桓武平氏一族の豊田氏が小貝川べりに城を築き、それが豊田城と呼ばれていたため、このように命名されました。 ただし、当時の城は今のような天守閣(高さ48.5m)ではなく、カヤ葺きで小貝川を要塞化したものだったとされています。」

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常総市(じょうそうし)は茨城県南西部の県西地域に位置する市です。つくば市、つくばみらい市、坂東市、下妻市、守谷市、結城郡八千代町に、また県を跨いで千葉県野田市に隣接。東に小貝川、市中央に鬼怒川が流れており、この鬼怒川を境に東部地域には市街地や水田、西部地域には水田、畑、森林、工業団地などが広がり、また猿島台地上では「さしま茶」が生産されています。「市の木:カシ」「市の花:桜」「市の鳥:ウグイス」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により、豊田郡水海道(みつかいどう)町が発足。

1896年、郡制の施行により、豊田郡、岡田郡、結城郡の区域をもって結城郡が発足。

1954年、結城郡豊岡村・菅原村・大花羽村・三妻村・五箇村・大生村、北相馬郡坂手村を編入・市制施行し水海道市となる。

1955年、筑波郡真瀬村の一部、同郡谷和原村大字川又を編入。

1956年、北相馬郡内守谷村・菅生村を編入。

2006年、結城郡石下町を編入。常総市と改称。

キャッチフレーズは「なんか、いいかも。~Find Your Joso~」

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茨城県守谷市のマンホールカード

2019年12月16日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・茨城県

2017年12月9日、第6弾として全国64自治体で66種類(累計252自治体293種類)の マンホールカードの配布が 開始されました。「守谷市」のマンホールカードは、「守谷市上下水道事務所 (休日は守谷市役所)」でいただけます。

1990年に設置開始されたマンホールには「山百合とコジュケイの親子」と「市の木:松」がデザインされています。

「守谷市の花「ヤマユリ」、木「マツ」、鳥「コジュケイ」をデザインしたマンホール蓋です。 コジュケイはキジ科の鳥で、仲間のジュケイよりも小型なため、この名前が付けられたとされます。 本絵柄のように、雛を連れたコジュケイの姿は、 家族が絆を深めながら繁栄する姿と重なり、どこか微笑ましいものです。 本市の下水道普及率(類似事業を含む)は100%に達し、今後は施設の維持管理が中心になりますが、そんな中、マンホール蓋に関しては新たに車道に設置する場合に滑り止めの機能を施しています。 一方で、歩道に対しては本デザイン蓋を残し、親しみやすいまちづくりを進めていきます。」

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守谷市(もりやし)は茨城県南地域に位置する市です。つくばみらい市、取手市、常総市に、また県を跨いで千葉県:柏市、野田市に隣接。県内では最も面積の小さい市で、市域の大半が常総台地に属し、海抜平均20mの台地が広がります。市域は令制国における下総国相馬郡であり、廃藩置県後は印旛県、千葉県を経て茨城県へと編入。河川に囲まれた場所であったことから江戸時代から発達した河川舟運の恩恵を受け、銚子などの利根川下流から関宿、江戸川方面への中継拠点、鬼怒川を通じた関東北部の産品の集積地として発展してきました。「市の木:松」「市の花:山百合」「市の鳥:小綬鶏」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により北相馬郡守谷町が発足。

2002年、市制を施行し、守谷市となる。

キャッチフレーズは「きらめき守谷 夢彩都(ゆめさいと)」

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茨城県石岡市A&Bのマンホールカード

2019年12月15日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・茨城県

2016年12月1日、第3弾として全国46自治体で46種類(累計109自治体120種類)の マンホールカードの配布が 開始されました。「石岡市A」のマンホールカードは、「まち蔵藍」でいただけます。

1995年に設置開始されたマンホールには「常陸國總社宮例大祭:幌獅子(ほろじし)」がデザインされています。

「通称「石岡のおまつり」と呼ばれ、関東三大祭の一つに数えられる「常陸國總社宮例大祭」幌獅子(ほろじし)を描いたデザイン蓋です。 石岡のおまつりは、創建千年を誇る古社・常陸國總社宮の最も重要な祭礼に位置付けられ、毎年9月15日と、敬老の日を最終日とする三連休に開催されます。 期間中40万人超の見物客が詰めかけるこのおまつり。 勇壮な幌獅子のほか、菊家紋の大神輿や絢爛豪華な山車など40数台が市内を巡行する様はまさに圧巻です。 幌獅子に対する石岡市民の愛着は強く、石岡の史跡を今に遺す常陸風土記の丘には日本一大きな獅子頭「獅子頭展望台」が建設されています。」

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2017年4月3日、第4弾として全国42自治体で50種類(累計151自治体170種類)の マンホールカードの配布が 開始されました。「石岡市B」のマンホールカードは、「yasato de toreta マーケット」でいただけます。

1997年に設置開始されたマンホールには「筑波山」と「ユリ」、「シイの実と葉」がデザインされています。

「石岡市の西側にそびえる「筑波山」、市の花「ユリ」、市の木「シイ」の葉と実を描いたデザイン蓋です。 筑波山は日本百名山の一つに数えられ、万葉集でも多くの歌が詠まれるなど、古くから親しまれている名峰です。 ユリは市内の観光施設「茨城県フラワーパーク」に約1万2,000本が自生し、7月に行われる「やまゆりまつり」には多くの観光客が訪れます。 また、ユリの名を冠した温泉施設「やさと温泉ゆりの郷」は筑波山の中腹にあり、絶景と名湯を同時に楽しめると評判です。 シイは市内に巨木として多数存在している樹木であり、市民の手によって幾世代にもわたり大切に守り育てられています。」

石岡市マンホールの缶バッジ

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石岡市(いしおかし)は関東地方北東部、茨城県の県南地域に位置する市です。土浦市、つくば市、かすみがうら市、笠間市、桜川市、小美玉市に隣接。市北部に園部川、南部に恋瀬川が流れ南西部で霞ヶ浦に接し、市西部では八郷地区(八郷盆地)を取り囲むように筑波山、足尾山、加波山、吾国山、難台山などの筑波山地の山々が連なります。奈良時代 には常陸国の国府が置かれ、長らく常陸府中(ひたちふちゅう)や常府(じょうふ)などと呼ばれており、茨城県名発祥の地とされています。明治2年(1869)の版籍奉還の際に石岡と改名されましたが、「石岡」の由来は定かではありません。「市の木:椎」「市の花:百合」「市の鳥:ひばり」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により、新治郡石岡町、高浜町、三村、関川村が発足。

1953年、 新治郡高浜町を編入。

1954年、新治郡石岡町が市制を施行、石岡市となる。同年、新治郡三村、関川村を編入。

2005年、新治郡八郷(やさと)町と対等合併、新たに石岡市が発足。

キャッチフレーズは「あなたの 〇〇があるまち いしおか」

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茨城県つくば市のマンホールカード

2019年12月14日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・茨城県

2016年8月1日、第2弾として全国40自治体で44種類(累計64自治体74種類)の マンホールカードの配布が 開始されました。「つくば市」のマンホールカードは、平日のみ「つくば市役所1階 水道お客様センター」でいただけます。

1999年に設置開始されたマンホールには「スペースシャトル」と「地球」と「筑波山」がデザインされています。

新しいバリエーションとして2017年4月から「英語版」も、日本語版と同じ場所で頂けます。

「つくば市が1999年に採用したデザインです。つくば市は「国際都市つくば」を掲げていることから、「未来都市」として相応しいイメージを 図案化したものです。日本百名山にも数えられる筑波山は、いにしえから関東平野にそびえ立つシンボルとして名高く、気象観測や無線通信の 重要拠点として活用されています。また、JAXA筑波宇宙センターが1972年に開設され、これまでに数多くの日本人宇宙飛行士を輩出しました。 こうしたつくばの歴史を踏まえ、本デザインには、太古から変わらぬ筑波山と未来へ向けて飛び立つ宇宙船、宇宙船が青い地球を回る軌道を「古今 調和の融合」として描いています。」

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つくば市は茨城県の南西部に位置する市です。つくばみらい市、常総市、下妻市、筑西市、桜川市、石岡市、土浦市、牛久市、龍ケ崎市に隣接。市名は市のシンボル的存在である筑波山にちなみ、県内初のひらがな市名となりました。北に関東の名峰筑波山を擁し、東に霞ヶ浦を控え、あわせて水郷筑波国定公園に指定。また、市域の大部分は、筑波・稲敷台地と呼ばれる標高20~30メートルの関東ローム層に覆われた平坦な地形で、南北に流れる小貝川、桜川、谷田川、西谷田川などの河川は、周辺の平地林、畑地あるいは水田等と一体となって落ち着いた田園風景を醸し出しています。「市の木:ケヤキ」「市の花:ホシザキユキノシタ」「市の鳥:フクロウ」を制定。

1987年11月30日に筑波郡谷田部町、大穂町、豊里町、新治郡桜村が新設合併、つくば市が発足。国内4例目のひらがな表記の市となる。

1988年、筑波郡筑波町を編入。

2002年、稲敷郡茎崎町を編入。

キャッチフレーズは「わたしのつくばをみつけよう。」

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茨城県水戸市のマンホールカード

2019年12月13日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・茨城県

利根町を最後に茨城県のマンホール・名所の紹介は終了。ラストは、これまでに交換して頂いた茨城県のマンホールカードを一挙に紹介したいと思います。

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2016年4月1日、第1弾として全国28自治体で30種類の マンホールカードの配布が 開始されました。「水戸市」のマンホールカードは、「水戸観光案内所」でいただけます。

2013年に設置されたマンホールには「みとちゃん」と「市の木:梅」がデザインされています。

【この蓋に描かれたキャラクターは、水戸市の「みとちゃん」です。デザイン・名前とも市の公募で決まりました。みとちゃんの衣装は、水戸黄門でお馴染み、水戸光圀公のものによく似ています。それもそのはず、みとちゃんは、いつか黄門様のように全国行脚をしたいと願うお出かけ大好きな女の子。頭にかぶっているのは「わらづと納豆」で、市の木「梅」の花の飾りがとてもチャーミングです。このマンホール蓋は、水戸駅北口側市街地の歩道に設置されていて、街の人びとからは「街の雰囲気が明るくなった」と大好評。みとちゃんはこれからも街を見守り、訪れる人達を楽しませてくれるでしょう。】

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水戸市(みとし)は茨城県の県央地域、関東平野の東側に位置する市です。ひたちなか市、笠間市、那珂市、東茨城郡城里町、大洗町、茨城町に隣接。中心部を含む市域の大部分は旧茨城郡に属しており、茨城県の名称は県庁が茨城郡水戸に置かれたことに由来。また「水戸」の地名は、那珂川の舟運の河港として盛え、水運の戸口とされていた事に由来します。市域の那珂川の周辺は低地で、それ以外は台地が広がり、日本初の水道専用ダム「楮川ダム」を擁します。徳川御三家の一つ「水戸徳川家」所縁の地で、『水戸黄門(徳川光圀)』や、日本三名園の一つ「偕楽園」が知られています。明治時代以降、水戸の伝統であるワラ納豆(水戸納豆)の生産が盛んになり、全国的に知られるようになりました。「市の木:梅」「市の花:ハギ」「市の鳥:シロセキレイ」を制定。

明治22年(1889)4月、町村制の施行により水戸市が発足。日本で最初に市制を施行した全国31市の一つ。

1955年、東茨城郡上大野村・渡里村・吉田村・酒門村・河和田村の一部、那珂郡柳河村を編入。

1957年、東茨城郡飯富村・那珂郡国田村を編入。

1958年、東茨城郡赤塚村を編入。

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柳田國男記念公苑 in 茨城県利根町布川

2019年12月12日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・茨城県

明治8年(1875)7月30日、八人兄弟の六男として生を受けた『柳田國男(松岡國男)』。「日本人とは何か」という問いの答えを求め、日本列島各地や当時の日本領の外地を調査旅行し、特に初期においては「山の生活」に着目。著書「遠野物語」に、「願わくは之を語りて平地人を戦慄せしめよ」と記しています。写真は『大正天皇』即位の御大礼において「大嘗祭」に出席した時のものと思われます。

利根川べりの布川にある旧小川邸の離れは、彼が13歳の頃から三年間を過ごした場所。現在、旧小川家の母屋(復元)と土蔵は「柳田國男記念公苑」として一般に広く開放されています。

小川家母屋の庭先には、國男が東京の自宅で育てていた「山桃」の木が、高く茂っています。

施設の記念スタンプは、國男少年が書物を乱読したという「小川家の土蔵」

土蔵の前には「小川家の屋敷神」が祀られており、ここで國男少年は「神秘体験」をしました。 好奇心旺盛な少年は、家人の留守を見計らいこの祠の石の扉を開けて中を見てしまったのです。中には綺麗な玉が入っており、それを見た途端心がざわめき、そうして見上げた青空には星が輝き・・

・・・と、突然、ヒヨドリが鳴きながら空を通過し、その声で正気を取り戻す事が出来たといいます。

「触らぬ神に祟りなし」・・兎にも角にも石祠に手を合わせ🙏🙏、履物を変えて土蔵へと移動。

土蔵の中に入って一番に目に飛び込んできたのは、ガラスケースの中で貴重品然とした「玉」。例の「石祠の玉」・・・ですが大丈夫😄。これはレプリカで、実物は別の場所に保管されているとの事。 神として祀られている物に、迂闊に手を出してはいけない・・不心得物は肝に銘じましょう!

狛犬を盗んだり、鳥居を傷つけたり、あまつさえ本尊とされる仏像を盗むなど、信仰の有無に関わらず人として最低の行為です!!

資料館の展示内容は実に多岐に及んでおり、本来ならじっくり腰を据えて見たい物ばかり。

「私の家は日本一小さい家」だと、國男が折に触れて人に話したと言う「生家の模型」。

これは2014年12月に訪ねた、兵庫県福崎町にある実際の彼の生家で、四畳半と三畳が二間ずつ・・。確かに大きいとは言えませんが、当時の一般庶民の家を見れば「日本一小さい」は言い過ぎ😓 居住者人数に対してと付け加えましょう😄

様々な展示に見入りながら進んでいた私の足をピタリと止めさせたのは、壁に架けられていた一枚の絵。 その絵の中から聞こえてきたのは、消え行く嬰児の声、詫びて・・詫びて・・吾が子を殺める母の、血を吐く無音の叫び。私はただ・・・立ちすくんでいました。

「柳田國男は、『故郷七十年』の中で、「利根川べりの生活で、私の印象に最も強く残っているのは、あの川畔に地蔵堂があり、誰が奉納したものであろうか、堂の正面右手に一枚の彩色された絵馬が掛けてあったことである」と述べています。 今も布川の徳満寺本堂に掲げられ、「間引き絵馬」として知られるこの絵馬は、産褥の女がはちまきを締めて、生まれたばかりの嬰児を押さえつけているという悲惨なもので、障子に映った影絵には角が生えており、そばには地蔵様(現在は足の部分だけが残る)が立って泣いています。この絵馬は先に当地方を襲った飢饉の被害の甚大さを物語る貴重な資料の一つで、食料が欠乏した場合の調整は死以外になく、人工中絶ではなく、もっと露骨な方法が採られてきたことが伺えます。これを見た國男は、「その意味を、私は子供心に理解し、寒いような心になった。」と述べており、後に民俗学を志す原点なったともいわれています。」資料館説明より

飢饉の被害の甚大さを物語る貴重な資料の一つで、食料が欠乏した場合の調整は死以外になく・・・絵馬に描かれた室内の様子は、屏風などの調度を見てもそれなりの大家と思われます。そんな家庭であっても子を間引かねばならなかったのか・・・と同時に、誰が何の意図でこの絵馬を書いたのだろうかという問いが生まれました。それが子殺しをしてしまった母親であるなら、自らを鬼としたことも、親の手によって殺される子に御仏の慈悲があると信じたかった心も・・上っ面ではあるけれど、でもわかるような気がします。

訪問日:2019年3月16日

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