垂井町垂井に境内を構える、浄土真宗大谷派寺院「東光山:本龍寺」。『阿弥陀如来』を本尊とします。
山門・書院の玄関は、垂井宿脇本陣から移築したものといわれ、明治11年(1878)10月の天皇御巡幸の折に、こちらで御小休された旨の碑がたてられています。
山門から続く白漆喰の塀には、四体の唐獅子の瓦が嵌め込まれており、これにはびっくり!
それぞれの表情が実に細かく作られており、狛犬愛好家ならずとも嬉しくなる代物。
なまこ壁が美しい蔵は「経蔵」でしょうか?説明があったかもしれませんが見逃しました。屋根の留蓋瓦の獅子も、唐破風(からはふ)の屋根に絡みつく龍も、どれもこれも素晴らしい。 芭蕉の句碑が見たいという私に付き合わされた格好のご亭主殿でしたが、上々の収穫になりました。
「創建は不詳、室町時代の文明元年(1469)に蓮如上人が巡錫で当地を訪れた際、当時の住職がその教えに感化され、浄土真宗の寺院として再興したと伝えられています。」
元禄4年(1691)、『芭蕉』は住職であった『規外』を訪ね、冬籠もりして句を残しています。境内の「作り木塚」は、文化6年(1809)に住職『里外』と『白寿坊』によってつくられました。
建立された碑の数は六基
【 今からは 雪見にころぶ 人は誰 】規外
後方の少し丸みをおびた句碑が『芭蕉』が冬篭りで読んだ句。
【 作り木の 庭をいさめる 時雨かな 】(造園したばかりの庭は何とも落ち着きが無い、それを宥めるかのように時雨が通り過ぎてゆく)
芭蕉句碑の横に『傘狂』【 蜂の巣や 知らぬきのふを あふながる 】
手前に、安政2年に建立された『化月坊』【 一二丁 笠わすれたる 清水哉 】
植え込みの近くに建立されていた二基の句碑、読めそうな気がして色々試しましたがダメでした。説明では文化6年(1809)に、当時の住職『里外』と『白寿坊』が句碑を建立したと記録にあります。と言うことは、この二基が『里外』と『白寿坊』の句碑かなとも思ったのですが、不明なまま。こういうのが一番イライラするのですが、分からないものはどうしようもありません😩
訪問日:2018年10月9日