大洞院の参拝を終えたら、こちらに詣でた主目的(罰当たりで御免😅)、境内に残された町指定文化財史跡「曲流舎(きょくりゅうしゃ)句碑群」の捜索。
境内左右に立ち並ぶ句碑は、天保年間から明治にかけて活躍した「曲流舎俳諧」の往時をしのぶ「曲流舎句碑群」。スタートは幕末期の俳壇に大きな影響を与えた『曲流舎海保可川』から。文久二戌年(1862)古稀祝の建立。
【世にさわる もの音もなし 蓮の露】『二世:一川』
【涼風や 気がるにかえる帰 もと元の道】『三世:雙流』
【出歩けば 裾風寒し 春の月】『五世:静川』
【松風に むかひてさますや 花の酔い】『六世:文丈』
句は不明、「月見」「吾」「離れ」「老」の文字と、作者の『三善』だけが読みとれました。
作者の名前は『平雪』、「草」で始まる句である事が読み取れました。
更に下の4つの句碑は『八世:煮石』『可聴』『可逸』『可融』いずれかが当てはまると思われます。これでも結構な時間をかけて、ご亭主殿と二人で解読を試みたり、一生懸命ググったりもしたのですがダメでした。
案内では句碑は十二基と言う事ですが、判読の可否はともかく、見つけたのは全部で十一基。では残りの一基は・・・。文章らしきものが刻まれたこの碑には先祖代々の文字があるので、多分「供養碑」だから違う。
すでに「石柱碑」という事しか分からない、かなりの年代を経たと思われる碑。でも、きっとこれも違っているようで、では何処に??と気分的にすっきりしません。
「庚申塔」「供養碑」「大師堂」の前・・碑と名の付くものは徹底的に写してきましたが句碑には程遠い。近ければリベンジも出来るのですが、高速使ってノンストップでも7時間は半端無く遠すぎる・・😭
「芭蕉門下大島蓼太につながる夫桑庵弗児の門人で、幕末期の俳壇に大きな影響を与えた『曲流舎海保可川』。可川は俗名を海保仙治、通称九郎左衛門といい、寛政5年(1793)に生まれ、俳諧結社曲流舎をおこし、嘉永2年(1849)俳号披露の開筵(句会を設ける)賀集『由婦花』を出版、金江津連として常総地方にその名を馳せ、元治元年(1864)72歳で亡くなった。」河内町公式HPより
訪問日:2019年3月16日