車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

ご当地マンホール in 香川県善通寺市

2021年03月21日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・香川県

善通寺市(ぜんつうじし)は香川県の西北部に位置する市です。丸亀市、三豊市、仲多度郡琴平町・多度津町・まんのう町に隣接。西部に天霧山を負い、北部から東部にかけては平坦な地形。満濃池を水源とする金倉川は東部をほぼ北上し、丸亀市内を通過して瀬戸内海に注ぎ、小河川の弘田川は善通寺町有岡地区にある大池に源を発し、市域の西部を北西方向に縦貫して、多度津町を経て瀬戸内海に注ぎます。

中心市街地は、空海が父善通の菩提寺として創建した善通寺の門前町として発展。四国八十八ヵ所 75番札所として参詣者が多く、また市内には 72番曼荼羅寺・73番出釈迦寺・74番甲山寺・76番金倉寺などの札所が集中し、史跡の天霧城跡、有岡古墳群があります。「市の木:クスノキ」「市の花:菊」を制定。

キャッチフレーズは、「住んでみたい・住みつづけたいまち 善通寺」「人が活き まちが活きる 善通寺」

明治23年(1890)、町村制の施行により、多度郡善通寺村・吉田村・麻野村、那珂郡与北(よぎた)村・吉原村・筆岡村・竜川村が発足。

1899年、郡制の施行により那珂郡と多度郡が合併、仲多度郡となる。

1901年、善通寺村、吉田村、麻野村が合併、町制を施行し、仲多度郡善通寺町が発足。

1954年、仲多度郡善通寺町、与北村、吉原村、筆岡村、竜川村が合併、善通寺市が発足。

マンホールには市章を中心に、「町の花:キク」がデザインされています。

昭和29年(1954)10月4日制定の町章は「ひらがなの「ぜ」をモチーフにして作られたもので、市の融和と繁栄を表わし市勢の力強い発展を表現しています。」公式HPより

自治体章も自治体名もありませんが、文字は右から左に、制水弁の弁は、旧字体の「辨」という文字が使われています。

杉の木と五重塔を足して二で割ったようなキャラは、善通寺市商店連合会のものですが、特に固有名詞は無いようです。

撮影日:2011年6月18日

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ご当地マンホールとマンホールカード第12弾 in 香川県旧綾歌町(丸亀市)

2021年03月20日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・香川県

旧綾歌郡綾歌町(あやうたちょう)は香川県内のほぼ中央に位置した町です。坂出市、丸亀市、綾歌郡飯山町・綾南町・綾上町、仲多度郡満濃町に隣接。低い山地と、地区の南西端を流れる土器川とその支流によって侵食された谷がつくる起伏の多い地形で、谷をせき止めた多数の溜池がにより、農業用水を供給。南の高見峰、猫山、城山からなる連山の麓には四国最大のレジャースポット「ニューレオマワールド」があり、経営者陣のアイデア&努力により今も健在です。「町の木:もちの木(ヤマグルマ)」「町の花:菊」を制定。

旧キャッチフレーズは「農業と観光の町」

明治23年(1890)、町村制の施行により、鵜足郡栗熊村・富熊村・岡田村が発足。

1899年、郡制の施行により阿野郡と鵜足郡が合併、綾歌郡となる。

1951年、栗熊村、富熊村が合併し、綾歌郡久万玉村となる。

1959年、岡田村と久万玉村が合併、綾歌郡綾歌町となる。

2005年、(旧)丸亀市、綾歌郡飯山町と合併、新たに丸亀市となりました。

マンホールには、高見峰、猫山、城山からなる三連山と、「町の花:菊」がデザインされています。

昭和48年(1973)4月1日制定の町章は「綾歌町の「ア、ヤ」を図案化したもので 教育の町、産業振興の町、伸びゆく豊か な町を象徴し、限りない町勢発展を表し ている。」合併協議会資料より

撮影日:2011年6月16日&2018年12月15日

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マンホールカード、頂きました。

2020年7月1日、第12弾として全国53自治体で62種類(累計407自治体478種類)の マンホールカードの配布が 開始されました。「丸亀市C」のマンホールカードは、「丸亀市綾歌市民総合センター」でいただけます。

1998年に設置開始されたマンホールには「綾歌三山」、「町の花:菊」がデザインされています。

「丸亀市綾歌町は県下屈指の産地として菊の生産が盛んであることから、マンホール蓋前面に菊が大きくデザインされています。 菊の背後には、綾歌三山である城山(しろやま)・猫山(ねこやま)・大高見峰(おおたかみほう)がデザインされています。 城山の頂上からは、瀬戸内海、丸亀平野、飯野山(讃岐富士)が一望できます。 大高見峰は、山頂の高見峰神社に祀られている天狗「大高見坊」にちなみ、地元では「たかんぼさん」と呼ばれ親しまれています。 2005年3月22日の合併により綾歌郡綾歌町は丸亀市綾歌町となりましたが、合併前からのデザインが現在も使われています。」

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ご当地マンホールとマンホールカード第9弾 in 香川県旧飯山町(丸亀市)

2021年03月19日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・香川県

旧綾歌郡飯山町(はんざんちょう)は香川県のほぼ中央に位置した町です。坂出市、丸亀市、綾歌郡綾歌町に隣接。町名は、北端部の讃岐富士ともよばれる飯野山(422メートル)にちなみ、北東部には城山(きやま)、その裾野には多くのため池を持つ平野部が広がり、中央部から南部にかけて大束川が流れ、西側に土器川。米作のほか、モモ、ブドウ、ミカンなどの果樹栽培が行われ、とくにモモは県下一の産地で、モモの花の咲くころは、飯野山、城山の山麓はピンクに彩られれます。「町の木:サザンカ」「町の花:桃」を制定。

旧キャッチフレーズは「讃岐富士と桃源郷の町」

明治23年(1890)、町村制の施行により、鵜足郡法勲寺(ほうくんじ)村、坂本村が発足。

1899年、郡制の施行により鵜足郡と阿野郡が合併、綾歌郡となる。

1956年、坂本村と法勲寺村が合併、綾歌郡飯山町が発足。

]2005年、(旧)丸亀市、綾歌郡綾歌町と合併、新たに丸亀市となりました。

マンホールには「飯野山」「おじょもの足跡」、「町の木:山茶花」、「町の特産:桃」がデザインされています。

昭和41年(1966)1月1日制定の町章は「は、ん、几の各々の文字と山の絵をデザ インしたもので、文字の持つ可読性より も、純粋に造形性と同時に讃岐富士の具 象による象徴性を加味したもので、飯山 町の特質というものを端的に表現し、特 に円形は融和の精神、さらに若々しさと 飛躍・発展を表したデザインである。」合併協議会資料より

撮影日:2011年6月16日&2018年12月15日

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2018年12月14日、第9弾として全国60自治体で60種類(累計407自治体478種類)の マンホールカードの配布が 開始されました。「丸亀市B」のマンホールカードは、「丸亀市飯山市民総合センター 業務担当窓口 」でいただけます。

2000年に設置開始されたマンホールには「飯野山」と「桃」」と「おじょもの足跡」、「町の木:サザンカ」がデザインされています。

「マンホール蓋の右手にデザインされているのは、丸亀市飯山町の特産品である「桃」。 その生産量は県下一を誇ります。 背後にそびえ立つのは、新日本百名山のひとつである「飯野山」です。 円すい形の美しい姿から、別名、讃岐富士と呼ばれています。 左手に描かれている、ひときわ大きな足跡は、飯野山に伝わる伝説の大男「おじょも」の足跡です。 飯野山に登ると、今でも「おじょもの足跡」がついた大きな岩を見ることができます。 2005年3月22日の合併により、綾歌郡飯山町は丸亀市飯山町となりました。 マンホール蓋の下方には、町の木であったサザンカがあしらわれています。」

訪問日:2018年12月15日

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田潮(たしお)八幡宮 in 香川県丸亀市

2021年03月18日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・香川県

丸亀市土器町、青ノ山西麓に鎮座される「田潮(たしお)八幡宮」。御祭神は『誉田別命(応神天皇)』

由緒に「古くより鵜足郡津郷の産土神として応神天皇を祭り 青野山西麓に鎮座 土器八幡宮と崇められてきた。 南北朝時代、貞治元年(1362)7月 細川頼之が将軍足利義詮の命により、細川清氏を松山郷高屋の城に攻めたとき、出陣に際し当八幡宮に戦勝を祈願した。清氏の西長尾・中院源少将雅平に対しては 陽動作戦を以て戦い、清氏を高屋の西林田の地に討ち取ったことは、太平記に詳述してある。 全讃史には、はじめ源少将が攻めてきたとき、頼之はしばらく当社付近へ退却したが、社前の水田地帯一面に潮が満ち、敵軍を防いだので 田潮八幡宮と称したと伝えている。」

一の鳥居両脇より参道入口を守護されているのは、玉にじゃれる子狛を連れた優しい表情の吽形さん。向かい合って子供に笑いかけているのは、玉を持った阿形さん。生憎の雨の下ですが、この一対が醸すほのぼの感・・・良いです。

随身門の近くに車を止め、ここから降りしきる雨の中の参拝・・傘を片手では思うようにデジカメも向けられません。神門内には、昔はとっても鮮やかだったと思われる矢大神、左大神が神域を守護されています。

境内は雨にぬれてひっそりと静謐さを保ち、傘を叩く雨の音だけが耳に響いてきます。長い参道には、寄付奉納者の名を刻んだまだ新しい石柱がぎっしりと並び、崇敬の篤さを物語るその数に圧倒されます。

その長い参道を守護されているのは、可愛らしいと言う言葉が似合いそうな浪速タイプの狛犬さん一対。首に結ばれた紙垂が雨に濡れてちょっと切ない気持ちになります。

石段参道の上、豪華な唐破風を付けた拝殿に辿り着いたところで参拝です。今のお願いは、とりあえずこの雨が止みますように・・・🙏🙏

目貫で向拝を支える力士、一方は両手で。もう一方は肩で重い貫を支えながら、平然と下界を見下ろしています。

拝殿内に鎮座されていた漆喰製の神殿狛犬さん。色褪せて見えるのはかなりの年代をこちらで過されたからでしょう。

今回、雨にも拘らず拝殿内の狛犬さんを撮影できたのは、神社関係の方のご好意のお陰です。雨に濡れた体ゆえ遠慮したのすが、気にせずにと笑顔で拝殿内の灯りまでつけていただきました。おかげさまで沢山の絵馬も拝見でき、大好きな鏝絵の絵馬も見ることができました。

雨に濡れた足を気にする二人に、「何の気にしなくても構いませんよ」と笑ってくれた奥様。あのときの優しいお言葉は、今も一緒の記念写真を見るたびに思い出します。
        本当に、本当に有難うございました🙏🙏

拝殿近くより神域を守護されるのは参道の狛犬さんとよく似た浪速タイプの狛犬さん一対。文政13年(1830)12月吉辰建立の古参ですが、顔立ちが厳しく見えるのは雨に濡れている所為でしょう。

拝殿の屋根から顔を覗かせるのは・・珍しくおどけた表情の龍ですね・・何とも楽しそうですが、何か(誰か)待っておいでなんですか?

屋根の上、楽しいのは龍だけではありません、留蓋の上の虎に獅子、雨の所為で最初はその形状が理解できなかったのですが、何と虎も獅子もそれぞれ二匹でじゃれあっているんです。

こんなに楽しい細工瓦を作成された鬼師さん、他の作品もあるのなら是非とも見てみたいものですが・・お名前が分からないのが残念。

境内の一画にある神馬舎。何故か気になって見上げた向背に邪気を退治する鍾馗さんの彫刻がありました。

こんなに強そうな鍾馗さんに守られておいでなら、真っ白い神馬さん、きっと毎晩枕を高くして眠れる事でしょう😊

降りしきる雨に邪魔され、本殿や境内社への参拝は諦め、そろそろ車に戻ることにします。それでも殆ど素通りだった参道の境内社に、ご挨拶だけはできました。

「境内社:粟嶋神社」、御祭神は『少彦名神』と思われます。

開放的な洞に納められた「地蔵菩薩坐像」、これも神仏習合の名残でしょうか? 最後に手を合わせ、旅の無事を願わせていただきました。

参拝日:2011年6月16日

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玉積(たまづみ)神社 in 香川県丸亀市

2021年03月17日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・香川県

旧金毘羅五街道の一つ、丸亀街道の船着き場「新堀湛甫(しんぼりたんぽ)」に建立された「太助灯籠」。江戸在住の人々(千人講)が浄財を出し合って天保九年(1838)に完成したもので、「江戸講中」と刻まれた台座には寄進者や世話人ら1,357人の名前が刻まれています。「太助灯籠」の由来は、寄進者の中で最高額の80両を寄付した「塩原太助」の名にちなんだものといわれています。

「太助灯籠」から程近く、丸亀市西平山町に鎮座される「玉積(たまづみ)神社」。御祭神は『天照大神、品陀皇大神、大國主大神、少彦名神、豊受大神、天兒屋根命、中筒之男神、市杵島姫命、綿津見神

県神社誌によれば「天保年間新掘堪浦築造の際、剰土を盛たる所に丸亀班大阪蔵屋敷に祀りし神社を奉遷したるなりといふ」。江戸時代には金毘羅宮遙拝所として鎮座されており、鳥居には「金刀比羅宮」の額がかけられています。神仏分離を踏まえて、明治以後独立し、現社名に改称されました。

神社入口、鳥居脇より神域を守護されるのは、明治3年(1870)11月建立の浪速型狛犬さん一対。冷たい雨に打たれながらデジカメを向ける私たちに、何かもの言いたげ。「阿・なぁなぁ、どこから来たん??関西って、どこらへん??」「吽・雨やと言うのに、わしらに会いに来たんか? もの好きやな~」

境内入口に奉納された燈籠の笠の上では、岩山に足を踏ん張る狛犬さん。でも吽形さんは生憎と枝の中に隠れてしまって、この雨では面会は叶いません。

千鳥破風・唐破風付きの拝殿。遠目でも気になる屋根の細工瓦、破風の彫刻が気になりますが、雨が怖くてデジカメが上に向けられない・・😣

雨から隠れるように写した拝殿の脇障子、左は波間を咆哮する龍。右は林に潜む獅子だと思うのですが、後からの撮影なので顔がすっかり隠れています。

拝殿前左右より神域を守護されるのは、文政元年(1818)10月吉日建立の狛犬さん。こちらには「石工:岡田屋五兵衛」のお名前も刻まれており、阿吽共にとてもフレンドリーな表情。見返すこちらも思わず笑顔になりそうな一対です。

境内社:金神社」、御祭神は『金山彦神』、小さなお社ですがこちらにも神域を守護される狛犬さんが居ます。

こちらがしゃがまなければ、前からのお顔が見えないほどの大きさですが、正面から向き合うと、魔除けのお面を思い出させる、とっても!!強情そうなお顔。

「玉積神社」に隣接されて鎮座されるのは、小さな赤い鳥居が鮮やかな「境内社:稲生神社」

この神域を守護される狛犬さんは・・・・・何と香炉台の下にいました!

決して軽いとは思えない香炉を背中に載せながら、なんて可愛らしく笑っている事か。思わずしゃがみこんで頭を撫でていた自分にビックリ😅

拝殿の貫から参拝者を見下ろしているのは、精悍この上ない顔立ちの獅子さん。普通は獅子と獏(もしくは像)との組み合わせが多いのですが、ここではどちらも獅子のようです。

角度を変えたら違って見えるかもしれませんが、何しろ雨の中・・・これ以上動き回れないのが残念。

参拝日:2011年6月16日

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山北八幡宮~其の二 in 香川県丸亀市

2021年03月16日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・香川県

「山北八幡宮」には多くの境内社が奉られており、鳥居の内に鎮座される境内社もあります。「境内社:山北天満宮」を守護されるのは、スリムなボディがご自慢の狛犬さん一対。

こちらの狛犬さん、建立された年代は不明なのですが、真横から見るとお腹と足の間の空間が見事な正三角形なんですよ。横顔で並ぶと、鳥類の顔を思い出すのは私だけでしょうか?

天満宮の撫で牛さん、そんな事を思って狛犬さんにべたべた触る私を、不審そうに見ています😅

西汐入川の川口に鎮座され、大正6年(1917)に「山北八幡宮」に遷された「京極船魂神社」。現在は丸亀市福島町の京極大橋下に鎮座されています。その社殿の跡地に設けられたのが「京極船魂神社遙拝所」

鳥居の両脇より神域を守護されるのは、天保12年(1841)建立の一対。吽形さんは宝珠を、阿形さんは角を持ち、口中になにやら(おそらく玉)含んでいます。

「境内社:王子社」。御祭神は『伊邪那岐命、伊邪那美命、天照大御神、速玉之男命、事解之男命』。

鳥居の両脇より神域を守護されるのは、万延2年(1861)正月吉日建立の狛犬さん一対。どちらも顔よりも大きな玉を持って・・というかもたれて休憩しているようにも見えます😅

吽形さんの玉にすがって、遊んでとねだっているのは、可愛い子狛さん。その仕草は、人と神獣の違いはあっても同じに可愛いく、それを見守る姿はとても優しいのです。

「境内社:高津神社」の〆鳥居脇より神域を守護されるのは、昭和47年(1972)8月建立の岡崎型狛犬さん一対。

この神社の守護を担当される狛犬さん達の中では一番年若の一対ですが、小さいながらも力瘤一杯で大きな目を四方に配っています。

左手に鎮座されるのは「境内社:稲荷社」、右に「境内社:高良社(高良玉垂命)」

稲荷社を守護されるのは、小さな素焼きの神狐さん。もろい材質ゆえに、小さなお体は満身創痍ですが、それでも日々健気に祠をお守りしています。

境内社七社、左から「亀山神社」、「荒魂神社」、「和霊神社」、「稲荷神社」、「猿田彦神社」、「大国主神社」、「春日神社」と並びます。

左手に鎮座されるのは「境内社:大神宮」、右手に「境内社:幸神社」が並びます。

旧金毘羅五街道の一つ、丸亀街道の中心に鎮座される「山北八幡宮」。広く取られた一画には「金刀比羅宮遥拝所」が設けられています。

参拝日:2011年6月16日

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山北八幡宮~其の一 in 香川県丸亀市

2021年03月15日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・香川県

丸亀市山北町に鎮座される「山北八幡宮」。御祭神は『品陀和気尊、息長帯姫命、玉依姫命』  『波仁夜須神、水波女神、天照皇大神、大物主神』の四座が合祀され、丸亀市の産土神として崇敬されています。

境内由緒「宝暦の社記によれば当社往昔は、船山に鎮座ありて船山大明神と奉称せられしが、船山後に亀山と称せらるるに至り。よって亀山大明神と称せらるるに至れりとありて、伝うる所によれば、往古亀山は船山又は波越山と称せられ、海潮山のふち迄満ち来りしを以てこの山に於て船を造り又修理せしより船山と称したり。 後年この沖に大亀来たりしを捕らえて朝廷に献ず。以来沖を丸亀沖と称し山を亀山と称するに至れりと言う。~以下略」

二の鳥居前より神域を守護されるのは、昭和10年(1935)9月23日建立のなんともおどけた表情の狛犬さん。

この顔で出迎えられたら、心の憂いなぞ一気に吹き飛んでしまいそうです。

鳥居を潜って神橋・随身門と続きますが、何とそちらにも沢山の狛犬さんが神域の守護を担当されていました。

まずは「山北八幡宮」一番の最年長で、寛政5年(1793)8月吉日建立の狛犬さん一対。出会ったのは2011年ですから当時211歳😲。何ともユニークな表情で頑張っておられます。

続いては文政12年(1829)正月吉日建立の、これもかなりお年を召した狛犬さん一対。吽形さんは頭上に宝珠を頂き、阿形さんは角を持ち、口中に玉を咬んでいます。

随身門前より神域を守護される、昭和5年(1930)1月9日建立の狛犬さん一対。

ちょっと扁平頭で、どんな場所にいても笑顔を誘うムードメーカー的存在。この底抜けに明るい笑い顔を見れば、たいていの悩みは消えるかも。

随身門を潜って参道正面、〆鳥居の向こうに、千鳥破風・唐破風を備えた華麗な拝殿が見えています。こんな鬱陶しい雨の中ですが、だからこそ尚更に神域の澄んだ静けさが心地よく感じられて思わず深呼吸。

参拝を済ませたらそのまま境内の散策。こちらの建物は絵馬殿ですが入り口は閉ざされており、内部は公開されていません。

絵馬殿には、県指定有形民族文化財「山北神社奉納 京極侯参勤交代御船揃絵馬」が収蔵されているとか。実際に見る事は出来ませんが、大きな写真付の説明が添えられています。

神馬舎の格子の隙間からは、奉納された木製の黒馬・白馬の姿を見ることができます。

白馬の優しい優雅な顔立ち、黒馬のいかにも自信に満ちた精悍な体つき・・もしかしてこの一対の御神馬は夫婦馬かもしれません。

神馬が登場したので、こちらはブロンズ製の御神馬、腹掛けには八幡宮の「三つ巴紋」ではなく、「五三の桐紋」が輝いています。

こちらのブロンズ製の犬像は、神馬の横に奉納されていたものですが、特に何かの注釈も無く、何故ここに奉納されているのかわかりません。

広大な「山北八幡宮」の境内、小さな祠も含める境内社は11社にも及び、見所はまだまだ続きますが・・・~続きは明日のブログで

参拝日:2011年6月16日

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丸亀城 in 香川県丸亀市

2021年03月14日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・香川県

丸亀市のシンボル的存在「丸亀城」。市街地の南部に位置する標高66mの亀山を利用し、縄張りはほぼ四角形。亀山の廻りを堀(内堀)で囲んだ渦郭式(かかくしき)の平山城で、別名「亀山城・蓬莱城」とも呼ばれます。

緩やかであるが荒々しい野面積みと、端整な算木積みの土台から、頂は垂直になるよう独特の反りを持たせた「扇の勾配」と呼ばれる石垣。山麓から山頂まで4重に重ねられた石垣の高さは、合わせると60メートルにもなり、三の丸石垣だけで一番高い部分は22メートル。「石垣の名城」として観光案内にも記され、2006年4月6日には 日本100名城(78番)に選定されています。

城跡の全域は国の史跡に指定されて「亀山公園」として市民の憩いの場となっています。現存天守のほかに大手一の門・大手二の門・藩主玄関先御門・番所・御籠部屋・長屋が現存しており、そのうち天守・大手一の門・大手二の門は国重要文化財に指定されているとのこと。 生憎の雨ですが、案内に沿って行けるところまで歩こうと言う事になりました。

旧藩主居館の表門だった玄関先御門は、「御殿表門」とも呼ばれ、江戸時代初期の建築。お城の門としては珍しい薬医門(やくいもん)形式となっています。

「大手一の門」は、寛文10年(1670)頃に建築され、藩士が太鼓を打ち、刻(とき)を知らせていたことから”太鼓門”とも呼ばれています。ひとかかえもある大きな柱や梁(はり)でしっかりと組まれ、大手の正門らしい威厳と風格を備えた櫓門(やぐらもん)。東側には、出陣に際し武者を一堂に集めた桝(ます)形があります。

「大手二の門」は一の門と同時に建てられた、高麗門(こうらいもん)形式の門。大手とはお城の正面のことを指し、追手とも書きます。

雨の降りがきつくなってきたので「丸亀城内観光案内所」に避難。入り口では某局大河に便乗した浅井三姉妹に出迎えられました。次女:お初は「京極高次」の正室になりましたが、それから三代後の「京極高和」が、丸亀城初代藩主なんですね。(TVは見ませんが、その程度なら知っています)

しばらく様子を見ていましたが、時間的にもそんなに余裕を取っていない事もあり、丸亀城はここで終わり。 見事な石垣に見送られ次の目的地へと移動しましょう。

それから6年後の2017年8月、マンホールカード目的で丸亀市役所まで来ましたが、結局丸亀城への再訪は叶いませんでした。いつも思うことですが、私達の「又、次の機会に・・」くらい、当てにならないものは無いかもしれません😅

訪問日:2011年6月16日

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うちわの港ミュージアム in 香川県丸亀市

2021年03月13日 08時00分00秒 | 日本の伝統・芸能・技の美

「伊予竹に土佐紙貼りてあわ(阿波)ぐれば讃岐うちわで至極(四国)涼しい」と歌い継がれる丸亀、全国うちわ生産量の約9割を占め、丸亀市の代表的な地場産業とされる「丸亀うちわ」

丸亀市港町の海を臨む一角、1995年に市によって開設され、香川県うちわ協同組合連合会運営による「うちわの港ミュージアム」があります。

「慶長5年(1600)、丸亀の旅僧が九州で一宿のお礼にうちわの製法を伝授したのが、熊本来民うちわの始まりと言われています。このため、「丸亀うちわ」の技術は江戸時代初期までに確立していたと考えられています。寛永10年(1633)になると、金毘羅参りのお土産として天狗の羽団扇にちなむ朱色に丸金印の『渋うちわ(男竹丸柄うちわ)』作りを考案。その後、丸亀藩が藩士の内職にうちわ作りを奨励するなど、代表的なうちわ産地の基盤を築くことになりました。」丸亀うちわHPより

天明年間(1781~1789)、下級武士の内職としてうちわ作りを奨励した丸亀藩江戸詰大目付『瀬山登(せやまのぼる)』。丸亀港の一画を占める「新堀湛甫(しんぼりたんぽ)」には、金比羅灯篭と並んで彼の坐像が建立されています。

時代と共に団扇の形状は「男竹丸柄」から「女竹丸柄」のうちわへと移り、明治時代には「男竹平柄うちわ」の製造が盛んになり、現在の丸亀うちわの主流を占めるまでになります。と・・・このあたりの内容は受け売りですが😅、「うちわミュージアム」では、時代と共に移り変わったうちわの実物を見ることもできます。

ところで「うちわ」と言えば、最も重要な部分が竹で作る骨組み。何とこの「竹骨の廻廊」!。天井から壁一面に張り巡らされた独特の透け感、竹と言う自然素材だからこその視覚的な優しさは、単にお洒落とかではなく、日本の文化に繋がる美意識を改めて思い起こさせます。

そしてミュージアムでは実際に竹を削って骨を作る職人さんの凄技を間近に見ることができるのです。上は2011年、下は2017年の訪問時の画像ですが、何度見ても見飽きません。

最後は2017年の訪問で見つけた、香川県うちわ協同組合連合会公認キャラクター『瑠々風(るるか)』。丸亀うちわが誕生したころから丸亀うちわを見守っている「うちわの精」で、魔法の大うちわにのって丸亀の町を飛び回っているそうです。

でも個人的にはこっちの八の字髭の猫さんの方が・・😅

訪問日:2011年6月16日&2017年8月10日

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ご当地マンホール in 香川県旧丸亀市(丸亀市)

2021年03月12日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・香川県

旧丸亀市(まるがめし)は香川県中西部に位置した市です。坂出市、善通寺市、綾歌郡綾歌町・飯山町・宇多津町、仲多度郡満濃町・多度津町、更に県を跨ぎ海上により岡山県倉敷市、笠岡市、 浅口郡寄島町に隣接。早くから海上交通の要衝として、また、物資の集散地として発展し、特に金刀比羅宮の参道口として大いににぎわいました。慶長7年(1602)、生駒氏が亀山に築城し、丸亀城と名付けたのが「丸亀」という名の起こりといわれており、以後、城下町として栄えてきました。丸亀城は扇の勾配と呼ばれる美しい石垣が有名で、その石垣は高さ日本一を誇り、現在も市のシンボルとして、また市民の憩いの場としても多くの人たちに親しまれています。「市の木:ヤマモモ」「市の花:サツキ」を制定。

明治23年(1890)、町村制の施行により、那珂郡丸龜町・六郷村・南村・本島村・郡家村・垂水村・広島村、綾歌郡川西村・土器村・飯野村が発足。

1899年、郡制の施行により那珂郡と多度郡が合併、仲多度郡となる。丸龜町が市制を施行、丸龜市が発足。

1917年、丸龜市が仲多度郡六郷村を編入。

1951年、丸龜市が仲多度郡南村を編入。

1954年、丸龜市が仲多度郡本島村、郡家村、綾歌郡川西村、土器村を編入。

1955年、丸龜市が善通寺市原田町・金蔵寺町、綾歌郡飯野村の一部を編入。

1958年、丸龜市が仲多度郡垂水村・広島村を編入。

2005年、丸龜市が綾歌郡綾歌町、飯山町と対等合併、新たに丸亀市となりました。

明治33年(1900)4月1日制定の市章は「旧丸亀藩主京極家の馬印と して用いられた「立鼓(りゅうご)」を 採用。」合併協議会資料より

撮影日:2011年6月16日&2018年12月15日

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