goo blog サービス終了のお知らせ 

車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

ご当地マンホールとマンホールカード in 静岡県浜松市

2021年04月20日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・静岡県

浜松市(はままつし)は静岡県の西部(遠州)に位置し、静岡県最大の人口と面積を持つ市です。2005年7月1日 、浜北市、天竜市、引佐郡引佐町・細江町・三ケ日町、浜名郡雄踏町・舞阪町、磐田郡佐久間町・水窪町・龍山村、周智郡春野町を編入し、新浜松市となりました。政令指定都市&国際会議観光都市に指定。県庁所在地の静岡市を上回る人口を持ち、静岡市とともに全国5位の規模を有する静岡・浜松大都市圏の中心都市として機能。全国の市町村で2番目の面積で3つの行政区を持ち、面積の約6割を天竜区が、人口の97%以上を天竜区を除いた2区で占められています。湖西市にまたがる浜名湖は、湖としては日本で10番目の大きさを持ち、遠州地域における経済・文化・観光の中心となっています。「市の木:松」「市の花:ミカン」「市の鳥:ウグイス」を制定。

キャッチフレーズは「やらまいかスピリッツ! 創造都市・浜松から。」

マンホールには「出世大名家康くん・出世法師直虎ちゃん」がデザインされています。

自称「徳川家康公」の生まれ変わりと、「女城主・井伊直虎」の生まれ変わりという二人。 何と、昨今流行の「ゆるキャラトレカ」にもなって、良い大人たちも惑わせています。

浜松市マスコットキャラクター「出世大名家康くん」一人のデザインも有ります。 髷は「うなぎ」 羽織の紋は「ミカン」、袴は「ピアノの鍵盤」と、体全部で浜松市をPR中。

「はままつ副市長・出世大名家康くん

「浜松まつり・凧揚げ合戦」の凧を描いたもので、凧には「河川」の文字。

上と良く似たデザインですが、こちらの凧には「都市下水」の文字。

東海地方有数の工業都市らしく、近未来風のハイテクな都市のデザインです。

一見幾何学的なデザインですが、市章を中心に「波・ビル・人・川・山」を表しています。

都田地区の集落排水マンホールは、都田川の河童伝説をもとにして地元中学校の美術部がデザインした「都田川の河童」。最初にこれを見た時は「水の妖精?」と思ったのですが、まさか河童とは想定外。撮影中に、ご近所の人から「この絵は何なのか?」と聞かれ、「河童」ですと言ったら「絶対に違う!」と言われました😅

旧浜松市の「市の木・松」「ヒナに餌を運ぶ市の鳥・ツバメ」下に「市の花・萩」もあります。 「河川」の文字もデザインもそのまま、市章が旧から新市章にかわって設置されていました。

2005年7月1日制定の市章は「上下対称的なデザインは、自然環境の循環と共生の形であり、上部は浜松市北部の豊かな森林を、下部は浜名湖と遠州灘の美しい「うみ」を表している。 また、白い波の形は、遠州灘の白波であり、浜松市の躍動と発展を表現している。」公式HPより

上水道関連の市章つき規格蓋、仕切弁、空気弁・消火栓・量水器。

「電気」と書かれた市章付き規格蓋、下に小さく刻まれているのは「マンホールメーカー:福西鋳物」のロゴ。

「七夕ゆかた祭り」で用いられる小型蓋で、七夕飾りがデザインされています。

モール街の路上モニュメントは四方に竪琴を配し、中央から同じく四方に「コスモス」がデザインされています。

四方に竪琴を配し、中央から同じく四方に「ひまわり」。

路上タイルは版画絵のようなデザインで二種類で「朝顔」&「ツバキ」。

マンホールではありませんが、浜松駅にあるターミナルの案内モニュメント。「楽器の街」らしい美しいデザイン。

浜松の名産と言えば「浜松餃子」。浜松餃子学会の公式キャラクター『ちゃお』は「浜松餃子の妖精」。「凧揚げ合戦」の凧を片手に、餃子のPRに励んでいます。

こちらも餃子のキャラクターですが、そのものズバリ!王様餃子の『王様くん』

最期は、浜松名産のウナギを肥料にして栽培したサツマイモ畑から収穫された、謎の生き物!! 頭はサツマイモ、体はうなぎと言う、うなぎいもオリジナルキャラクター『うなも』

浜松名産のウナギが登場したところで、新東名浜松SAの記念スタンプは「浜名湖のうなぎ漁」。

音・かおり・光環境創造条例マスコットキャラクター『サフラ』。「サフラ」の名称は、「サウンド(音)、フレグランス(かおり)、ライト(光)」の頭文字から名づけられました。

撮影日:2010年4月18日&2016年12月15日&2018年11月15日

------------------------00----------------------

2017年4月3日、第4弾として全国42自治体で50種類(累計151自治体170種類)の マンホールカードの配布が 開始されました。「浜松市」のマンホールカードは、「浜松出世の館」でいただけます。(「浜松市観光インフォメーションセンター」に変更)

2016年に設置開始されたマンホールには「出世大名 家康くん」と「出世法師 直虎ちゃん」がデザインされています。

「浜松市マスコットキャラクター「出世大名家康くん」、「出世法師直虎ちゃん」がデザインされた「出世マンホール」です。 徳川家康公は、「浜松城」を築いて17年間城主を務めたのち天下統一を成し遂げた、まさしく「出世大名」。 家康くんはその生まれ変わりといわれています。 井伊直虎は浜松生まれの浜松育ち。 出家した後、徳川四天王の一人として大出世を成し遂げた井伊直政を育て上げ、女城主として井伊家断絶の危機を救った「出世法師」で、その生まれ変わりとされるのが直虎ちゃんです。 見つけると出世運が「うなぎのぼり」になるとされるこのマンホール蓋。 是非探してみてください!」

このお二方、市内のあらゆる場所に出没して、浜街市のPRに日夜励んでいるそうです。

訪問日:2018年11月15日

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

目指せ!快適車中泊~2(車中泊二度目)

2021年04月19日 08時00分00秒 | 車中泊の色々

初めての車中泊から二週間弱で二度目の車中泊旅。今回は少し遠出になるので、前泊を入れての二泊二日。目的地は浜松市、磐田市と決まりました。以前、友人Jさんに車泊の話しをしたところ、次回には自分も行きたいと言うことで、今夜の前泊地「新城PA」で落ち合うことに。

生憎の雨に、新城までの距離を考えると流石に無事に合流できるだろうかと気になり眠れない・・雨の音に混じって、真横に車のエンジン音が聞こえた時は、すでに日付が変わっていました。翌朝は、昨日の雨がうそのような青空。今回の車泊旅も、きっと楽しくなりそうです。

前回の改善点① 掛け布団シングルでは幅が足りず、寒い思いをする・・・これは、自宅にあるダブルサイズの二枚重ね毛布を持参する事で、問題解決できました。 これからは暖かくなる筈なので、当分はこれで問題なく過せるでしょう。
右手前にあるプラスチックケースは、広げるとテーブルになり、中には食器が入っています。 前回の車中泊、車内での食事の際にも活躍してくれました。

同じく改善点② 夜の車内は、予想以上に外部からの音がうるさい・・この点も、100均で購入した耳栓が外の騒音を遮断してくれて、問題解決。 ご亭主殿は、まだ寝床を整える前なのに、丸めた布団をクッション代わりにして寛いでいます。

着替えや洗面道具などは、中身に合わせた袋に収納して、ダッシュボードに並べて置き、細々とした物は、運転席の背もたれに掛けたバッグに、仕切りを作って収納。なるべく少ない動きで行動できる・・と言うのは、狭い車内ではとても重要な事なのです。だからといってその為だけに余分な出費は出来ません。家に眠っているものをフル活用させるのも、楽しみの一つ。

翌日の車泊地は「遠州豊田PA」。前泊の新城PAに比べると、大型車から少し離れて駐車できるので、夜中のエンジン音にあまり悩まされずにすみました。(耳栓があってもエンジン音は気になります)

しかもここはスマートICがあるので、余分な距離を走らずにすみ、当然料金も安くて済みます。

改善点① 車内が薄暗いと侘しい。どこかのCMみたいですが、もっと明かりを!
改善点② 朝方や食事時、コーヒーや味噌汁などの温かい物が欲しいと切実に思いました。 そう!温かい「お湯」があれば、簡単にちょっとした物を作る事が出来て、食事も断然美味しくなる筈!
改善点③ 洋服のまま寝るのは以外に疲れるし、疲れると翌日に差し支えます。 そこで、人に見られても恥ずかしくなく、それでいて楽に寝られる「夜用の着替え」を!

車泊日:2010年4月16日~17日

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

目指せ!快適車中泊~1~

2021年04月18日 08時00分00秒 | 車中泊の色々

快適な車中泊の為には色んな工夫が必要と言う事で、まずは準備段階で、必要と思える色んなものを揃えるところからスタート。何しろ「裕福」とは程遠い我が家の財政状態😅 できるだけお金を掛けずに! どうしても購入しなければならないものは、なるべく品質の良いものを、出来るだけ安く😊  

と言うことで、一番最初に楽天で購入したのが、「ミラリードsecret ZONE簡単カーテン」4点。リア用に2組、前席・後部座席用各1組、薄くて軽くてしかも光を通さない優れものです。
「パッケージ破汚品」の訳ありで、本品は752円と安価でしたが、送料がほぼ同額の740円😔、しかも前席用はメッシュ生地しかなく、型紙代わりと割り切って、手持ちの遮光カーテンで自作。リアフェンダーガラスは、不要になった サンシェードを切り抜いて、吸盤で貼り付けました。

車中泊を快適に過す為の基本は、「睡眠」をどれだけ充実させるかにかかっています。 これは、どのサイトで見ても同じ意見であり、その為の工夫は様々で、手の込んだ物も一杯。
基本的に、我が家では日常の足として車は必要不可欠。4人の人間が乗る事もあります。大きな改造はできないので、現状を維持しつつ、必要な時だけの「車泊仕様」としました。
車は「スズキワゴンR」、我が家では、通称ワゴちゃん😄と呼んでいました。

こんな小さい車に、大人二人も寝られるのかって言われますが、車同様、持ち主も至ってコンパクト。助手席のヘッドレストを外し前に倒せば、助手席側に長さ190cmのフラットなスペースが確保でき、ご亭主殿用の就寝スペースに。

助手席と後部座席の間には大きめの籠、運転席と後部座席との間には、クーラーボックスを収納。籠の中身は、大きめの保温水筒、2ℓのペットボトルに入れた水等々を、立てて入れます。

運転席側のイスを目一杯前に引いて倒せば、長さ160cm弱のフラットなスペースが確保できるので、私の寝床が確保。就寝時は布団などが沈み込まないように、この上に板を渡して、これで基礎部分は完璧😄

まず、L型のフラットスペースに、銀マット(キャプテンスタッグ)。アマゾン価格¥1647円は少し高いけど、他所に120×200cmのサイズがなかった為、止むを得ません。

一方の中央に50cmほどの切込みを入れ、運転席側のあまった部分は、内に折りこんで高さの確保。 手前に並んだ人形は、頭部分の低さをカバーする為の補助枕代わり😅

安売りだったので買ったものの、使う機会がなかった手持ちのラグ、何とサイズは120×200cm! マットと同様に切込みを入れ、これで運転席側も、ほぼ確実にフラットになりました。

毛布やベッドパットを利用し、60cm幅で長さの異なる長座布団を、敷布団用に二種類作成。これらを順番に敷き詰めたら、寝る時まで、倒した後部座席の上に折りたたんでおきます。枕部分には、厚手の長座布団120cm×70cmを置きましたが、これがすこぶる良い感じでした。

照明は、蛍光灯タイプの懐中電灯があったので、それを後部のグリップに引っ掛けて使用。洗面用具に、履き替え用のサンダル、着替えに弁当、後は、掛け布団を積み込んだら準備万端。
こうして2010年4月3日~4日・一泊二日の三重県伊勢方面への初めての車泊旅が決行されました。

------------------------00----------------------

初めての旅を終えての反省点・改善点を書き出し、次の快適な車泊旅に備えます。

改善点① 掛け布団シングルを二人で共有するには幅が足りない・・サイズを大きくするか個別にするか。(季節によっては、予想以上に車内は寒さが身にしみます)
改善点② 夜の車内は、予想以上に外部からの音がうるさいので、耳栓は必須。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ご当地マンホール in 三重県旧小俣町(伊勢市)

2021年04月17日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・三重県

旧度会郡小俣町(おばたちょう)は伊勢平野の南部に位置した町です。伊勢市、度会郡玉城町・御薗村、多気郡明和町に隣接。宮川左岸に位置し、参宮街道「宮川の渡」の渡河集落として発達。南東部は宮川の沖積地で水田が広がり、古代には伊勢神宮の小俣御厨として位置づけられていました。北部は明野ヶ原台地で江戸末期に開拓。町の西端部に標高40m前後の丘陵地(大仏山)が僅かに存在するが、殆どは標高20m未満の平地で、米作を中心にイチゴなどの施設園芸が行われています。「町の木:サクラ」「町の花:キク」を制定

明治22年(1889)、町村制の施行により、度会郡小俣村・北浜村・有田村が発足。

1928年、小俣村が町制を施行、度会郡小俣町が発足。

1953年、度会郡北浜村明野開拓地を編入。

1955年、度会郡有田村湯田・新村・井倉字妻ヶ広を編入。

2005年、旧伊勢市・二見町・御薗村と合併、新伊勢市が発足。伊勢市小俣町となりました。

マンホールには、町章と、「町の木:桜」が美しくデザインされています。浄水場の塀の向こうに見えていたマンホールの為、これが精一杯。

昭和33年(1958)10月20日制定の町章は「「小俣町の「小」を図 案化。円で和を、翼型で発展を 表し、明るく伸びゆく小俣町を 象徴したものです。」合併協議会資料より

撮影日:2010年4月3日

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

御薗(みその)神社 in 三重県伊勢市御薗町

2021年04月16日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・三重県

伊勢市御薗町王中島に鎮座される「御薗(みその)神社」。御祭神は『八柱神・宇迦之御魂神・大山祇神』。

境内には由緒の類は無く、神社庁のページにも記載がない為、詳細は不明。

正面入り口、鳥居の両脇より神域を守護されるのは、昭和5年12月建立の岡崎型狛犬さん一対。吽形さんは仔狛を、阿形さんは小さな玉を持っています。

石垣で組んだ一段高い場所に祭られる注連縄が掛けられた自然石。残念ながら説明が無く、祭神等は不明。

御薗神社境内にある四本の大楠の一つ。最大の楠は本殿の右側にあり、幹周り5.90m、樹高は24m。

境内の片隅に建立されていた道標。傷みを食い止めるためか角の補強がなされています。裏面「左 長屋 高向」「右 新開 神社」は、明治維新までの神領地4ヶ村「長屋村・高向村、新開村」の事であろうと思われます。

参拝日:2010年4月3日

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ご当地マンホール in 三重県旧御薗村(伊勢市)

2021年04月15日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・三重県

旧度会郡御薗村(みそのむら)は伊勢平野の南端部に位置した村です。伊勢市、渡会郡小俣町に隣接。村域の大半は宮川下流(河口付近)の東岸にあり、著しい高台や丘陵は無く、緩やかに海岸方向へ向けて傾斜する低坦地状となっていますが、海(伊勢湾)には面していません。背後に丘陵を負った河岸段丘上の集落で、南方中ノ川の両岸にかけて広大な水田が広がっています。「村の木:ウメ」「村の花:キク」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により、度会郡御薗村が発足。

2005年、旧伊勢市・二見町・小俣町と合併、新伊勢市が発足。伊勢市御薗町となりました。

マンホールには村章を中心に、自治体名の頭文字「み」が、全体にデザインされています。

昭和55年(1980)9月8日 制定の村章は「村名の頭文字である「み」を 図案化し、飛躍発展を表徴しま した。」合併協議会資料より

「御薗神社」境内に設置されていた独自の鉄蓋、用途は今一つ不明。

撮影日:2010年4月3日

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ふらり~二見の町歩き in 三重県伊勢市二見町

2021年04月14日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・三重県

二見と言うと反射的に「二見浦」、二見浦とくれば「夫婦岩」となるのですが、それだけで二見を紹介してしまうのは、いささか勿体無い気がします。訪れる人を収容する宿、記念の品や土産を並べる店、土地の名物を食べさせる店等々・・なんでもない風景の筈なのに思わず足を止めてしまう非日常が、二見のそこかしこに存在しています。

例えば「伊勢」と言えば「伊勢海老」。ちなみにイセエビは学名で決して伊勢市の伊勢では有りません。ですがイセエビ三大産地の一つで全国水揚げ量1位を誇っているのも事実。別名「志摩海老」とも呼ばれています。

海産物つながりで、伊勢志摩の海女さんが採って来た新鮮な貝料理を食べさせてくれるお店も沢山あります。捨てられるはずの貝殻も、工夫一つでりっぱな看板に😲

二見の代表駅である「参宮線:二見浦駅」。全面ガラス張りの駅舎は夫婦岩をモチーフとしており、1993年に建てられたそうです。

駅前の句碑は【宿日傘 借里てみやげの もの買ひに】冬嶺星

二見浦に向う途中の山の上に、えらく派手な建物を見かけたので、お安いコンデジさんに頑張ってもらって目一杯ズーム!。多分「伊勢・安土桃山文化村」の建物だと思う👀

路地から不意に現れる小さなお社は「茶屋庚申堂」。庚申様は農作・風邪などの神様。堂内には、江戸後期に茶屋組中により建てられた、緑色片岩の自然石の塔とニ体の石地蔵が収めらされています。

幾つかの家の軒先に、「蘇民将来子孫家門(そみんしょうらいしそんかもん)」と書かれたお札が下げられた注連飾りを見かけます。意味する物は、昔話とか佛説法などで説かれる、貧者の施し的な内容ですが「蘇民将来」が人の名前だった事にちょっと驚きでした。

人の気配が少しずつ消えていく町歩き。歩きやすくては良いのですが、殆どのお店が店じまいをしており、それはそれで物足りないのも事実😅

茶屋地区から二見浦に向かって歩いていると、打ち寄せる波の音が聞こえてきます。子供の頃に慣れ親しんだ潮の香りは、幾つになっても懐かしく、センチな気分にさせてくれます。今日は少々風が強く、そのせいで波音もたかく聞こえるのでしょう。

遊歩道に沿って歩いていると、右手に「賓日館」の入り口が見えてきました。皇族や要人の宿泊施設として明治20年(1887)に建設。現在は資料館として公開されています。建物は2004年3月に、三重県指定有形文化財に、2010年6月に、国重要文化財に指定されました。

おや、こちらの唐破風の正面玄関にも「蘇民将来子孫家門」の注連飾り。

二見興玉神社、参道入り口近くに建立されていた「中村九一」氏の献歌碑

【いつみても かわらぬ伊勢の二見岩 夫婦は仲良く くらせとゆふらん】

「契りの松」の側、寛政12年に二見浦の絵の賛として詠まれた本居宣長歌碑。 

【かはらじな 波はこゆとも 二見がた 妹背の岩の かたき契りは】

【月と日の 間の二見の あさぼらけ 松島十湖

最後は大好きな芭蕉さんうたがふな 潮の花も 浦の春

訪問日:2010年4月3日

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

二見興玉(ふたみおきたま)神社 in 三重県伊勢市二見町

2021年04月13日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・三重県

伊勢市二見町江に鎮座される「二見興玉(ふたみおきたま)神社」。御祭神は『猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)・宇迦御魂大神=(豊受大神)』

海岸沿いに続く道は、「二見興玉神社」への参道。入口には神明鳥居が建立され、美しい日の丸が潮風を受けてはためいています。

特に境内の磯合にある「夫婦岩」は、沖合約700メートルの海中に沈む「祭神・猿田彦大神」縁の「興玉神石」を拝する神社であり、夫婦岩がいわゆる「岩門」であることは案外知られていません。

由緒によれば、御神体とされる「興玉神石」は『猿田彦大神』の化身とも、天孫降臨の際に大神が立たれた石とも伝えられ、宝暦年間に発生した地震により、夫婦岩の沖合約700mの海中に沈んでしまったと云われています。その為肉眼で見る事は出来ませんが、1960年のチリ地震による津波で水が引いた際一時的に姿を現し、その大きさは、東西216m・南北108mであったと言います。「興玉(おきたま)」とは、海中の神霊を意味する『澳魂(おきたま)』の別名。海底深く眠る神の依り代・・・・波の音さえも厳粛に聞こえる気がします。

夫婦石の周囲に屹立する岩にはそれぞれに、左から「獅子岩・烏帽子岩(通称蛙岩)・屏風岩」の名称がつけられています。

岩の前にちょこんと座っている「蛙」。ちなみに猿田彦大神の神使は蛙さん。神社参拝の後に神徳を受けた人々が神社の境内に蛙の塑像を献納するため、境内には様々な素材の蛙像が参拝者を出迎えてくれます。

「明治43年(1910)、猿田彦大神を祀る「興玉社(おきたましゃ)」と宇迦御魂大神を祀る「三宮神社(さんぐうじんじゃ)」を合祀したもので、その際に現社名に改称。興玉社の歴史は、夫婦岩に注連縄を張り、興玉神石の遙拝所を設けたのに始まるという。天平年間(729年 - 748年)、僧行基が興玉神の本地垂迹として「江寺(えでら)」を創建し、境内に興玉社を建てて鎮守社とし、後に現在の二見浦へと遷座した。」(Wikipediaより)

手水舎のうちより、仲良く並んで参拝者を出迎える蛙さん。ここでは吐水龍ではなく、吐水蛙なんですね😊

水をかけると願いが叶うと言わる「満願蛙」さんは水の中。但し書きがあるのは、多分吐水蛙さんと間違えられる事が多いからかも。

手水舎の隣に位置するのは「天岩屋」。神代の昔、太陽神である天照大御神がお隠れになり、世界が真っ暗になったという神話の舞台となった場所です。

拝殿の前には「天照大御神」を誘い出すために面白おかしく神楽を舞う「天宇受賣命」像があります。ストリップの元祖とも言われる神楽舞ですが、実際に石見神楽などにも取り入れられており、個人的には好きな演目です。

境内の一画に鎮座される「竜宮社」、後祭神は『綿津見大神(わたつみのおおかみ)』。海の神であり、転じて海・海原そのものともされます。

神域を守護されるのは海神の眷属とされる阿吽の龍一対。阿形は口中に宝玉を、吽形はがっちと爪を食い込ませて宝玉を握り締めています。

禊橋(みそぎばし)を渡った先の見晴所の一角に立つ「契りの松」。江戸時代、阿波国から伊勢参りに来た若い男女が、二見浦で塩垢離(みそぎ)を行うときに、着物を松の木にかけて結び 夫婦の契りと子孫繁栄を祈願したことから、「契りの松」と呼ばれるようになったと伝えられています。

最後は浜参宮鳥居の近くに奉納された「さざれ石」「千代に八千代に さざれ石の 巌となりて」・・君が代に詠われるように、細石は、小さな小石が何百何千と集まり、悠久の年月を経て凝固し巌となります。その意味さえも学ばず、国歌である君が代を敬えない者が、何故この国にしがみつくのか・・ 私にはその歪みきった精神構造が全く理解できません(理解したくも有りません)。

参拝日:2010年4月3日

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ご当地マンホールとマンホールカード第12弾 in 三重県旧二見町(伊勢市)

2021年04月12日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・三重県

旧度会郡二見町(ふたみちょう)は三重県の南東部に位置した町です。西と西南部は五十鈴川を隔てて、他は地続きで伊勢市に隣接。伊勢平野の東南端、志摩半島の北縁にあり北は伊勢湾に面します。町域の西部は宮川と五十鈴川で流出してきた砂が伊勢湾流によって堆積した砂堆が発達。伊勢志摩国立公園に属し、国の名勝に指定された二見浦の東端の立石崎には、二見を代表する景観「夫婦岩」があり、縁結びを願う多くの人々が訪れます。「町の木:黒松」「町の花:ヒマワリ」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により、度会郡東二見村・西二見村が発足。

1908年、東二見村、西二見村が合併、町制を施行し度会郡二見町が発足。

2005年、旧伊勢市・御薗村・小俣町と合併、新伊勢市が発足。伊勢市二見町となりました。

マンホールには、「二見浦の夫婦岩から見る旭日」と、周囲に「町の花:ひまわり」がデザインされています。

昭和41年(1966)11月15日制定の町章は「外側の上下の半円は二見町 の「二」を表しています。内側 の円は太陽で、日の出の名所と して知られた二見浦の「日の 出」を表しています。このしる しは、二見町が昇る太陽のよう に限りなく発展していく様子 や願いを表したものです。」合併協議会資料より

久居市越境蓋

撮影日:2010年4月3日

------------------------00----------------------

マンホールカード、頂きました。

2020年7月1日、第12弾として全国53自治体で62種類(累計535自治体667種類)の マンホールカードの配布が 開始されました。「伊勢市B」のマンホールカードは、「二見生涯学習センター内 二見浦観光案内所」でいただけます。

2020年に設置開始されたマンホールには「夫婦岩と月の出」と「旧町の花:ひまわり」がデザインされています。

「古来より二見浦は参宮の禊の地として知られ、多くの人々がここで禊をして伊勢神宮を目指しました。 中心に描かれた二見輿玉神社の「夫婦岩」は、猿田彦大神ゆかりの輿玉神石を拝する鳥居の役割を担っており、開運招福・家内安全・交通安全・夫婦円満・縁結びの祈願に、多くの人々が訪れます。 夫婦岩の間からは、夏至の頃には日の出を、10月から1月の満月の頃には月の出を拝むことができます。 また運が良ければ、夏至の頃に昇る朝日に富士の山影を望むことができ、一見の価値ありです。 周囲に配された「向日葵」は、平成17年の4市町村合併で新伊勢市が誕生する前の旧二見町の花です。」

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

神宮徴古館・神宮農業館・宇治山田駅 in 三重県伊勢市

2021年04月11日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・三重県

神都の異名を持つ伊勢市に残された歴史的建造物。最初の紹介は伊勢市神田久志本町にあるルネッサンス様式の「神宮徴古館(ちょうこかん)」

第二次世界大戦末期の1945年7月、アメリカ軍の空襲により外壁を残すのみとなりましたが、1953年の第59回神宮式年遷宮を記念して修復。現在は、神宮崇敬の歴史や日本の文化を展示する「歴史と文化の総合博物館」となっています。

「設計は片山東熊・高山幸次郎で、煉瓦造に石貼仕上げとする端正な意匠の建物。平面は、中央ホ-ルとその奥の貴賓室、左右の翼屋を廊で繋ぐ構成になる。戦災後大改修されたが、外壁廻りは保存されている。」 ~文化遺産オンラインより

社殿建築の模型、式年遷宮の御神宝類等々、神宮を知る為には必見の博物館、できれば内部も拝見したかったのですが・・・・やっぱり時間が😔

1998年に国の登録有形文化財に指定された「徴古館」と同時期に、文化財に指定された「神宮農業館」。平等院鳳凰堂をモデルとした和洋折衷の建物はどこか懐かしく美しい佇まいを見せています。

「農業館」では、神宮と農業の係りを示すものとして、神嘗祭に奉納された皇居御田で作られた稲穂。香淳皇后ゆかりの生糸、繭などを展示。人間と自然の産物との関わりをテーマとした、日本最初の産業博物館となっています。

「元はロの字型の平面であったが,近年の移築で中央部の宝形屋根の望楼の左右に翼屋を配し、廊で繋ぐ前半部のみに縮小。外観は和風で,内部架構は洋風にまとめる優れた技量がうかがえる。設計は片山東熊。」~文化遺産オンラインより

同敷地内の「神宮美術館」は、1993年・第61回神宮式年遷宮を記念して建てられました。日本の伝統的な建築様式を踏襲しており、緩やかな勾配の銅板葺の屋根に、内装は素木を活かした現代建築。各分野の方々から神宮に奉納された作品を所蔵、展示しています。

御幸道路沿いに一際目を引くケヤキ造の大門。かっては徳川将軍家の祈祷師を務めた御師邸の門でしたが、1935年に神宮文庫の門として倉田山へ移築。『御師邸門』として1958年に伊勢市の有形文化財に指定。通称「神宮文庫の黒門」と呼ばれています。

参宮急行電鉄の終着駅として昭和6年(1931)に建設された「宇治山田駅」。間口120m、鉄筋コンクリート3階建ての外部壁面は、クリーム色のテラコッタ・タイルで装飾。スパニッシュ様式に仕上げられた駅舎は、2001年、国の登録有形文化財に指定されています。

お伊勢参りの玄関口として多くの観光客を迎える駅舎内には、そのものズバリ「お伊勢参り顔出し」。右は遷宮の際に新しい御正殿の敷地に敷き詰める「お白石」を奉献する「お白石持行事」の奉曳車。

いずれの地でも同じですが、文化財に指定された建物だけが素晴らしいわけではありません。長い歴史を生き抜いてきた建物は、その存在自体が既に素晴らしいものなのです。神宮外宮近くにあるレトロな木造三層楼「山田館」。深川の宮大工が最高の技術と感性で創り上げた建物は、今風の建物の中にあって、思わず足を止めさせる風格を備えています。

外宮参道の角に建つのは、明治創業の打刃物店「菊一文字金近本店」。「菊一文字」と聞くと、鎌倉時代初期の刀工、菊一文字則宗が鍛えた「沖田総司」の刀を思い出すあたり・・マニアックです😅。

伊勢・せきやの「参宮あわび」の大看板に思わず立ち止まって見上げ、改めてこうした諸々によって参道の景観が作り上げられている事を実感させられます。

訪問日:2010年4月3日

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする