車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

二見興玉(ふたみおきたま)神社 in 三重県伊勢市二見町

2021年04月13日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・三重県

伊勢市二見町江に鎮座される「二見興玉(ふたみおきたま)神社」。御祭神は『猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)・宇迦御魂大神=(豊受大神)』

海岸沿いに続く道は、「二見興玉神社」への参道。入口には神明鳥居が建立され、美しい日の丸が潮風を受けてはためいています。

特に境内の磯合にある「夫婦岩」は、沖合約700メートルの海中に沈む「祭神・猿田彦大神」縁の「興玉神石」を拝する神社であり、夫婦岩がいわゆる「岩門」であることは案外知られていません。

由緒によれば、御神体とされる「興玉神石」は『猿田彦大神』の化身とも、天孫降臨の際に大神が立たれた石とも伝えられ、宝暦年間に発生した地震により、夫婦岩の沖合約700mの海中に沈んでしまったと云われています。その為肉眼で見る事は出来ませんが、1960年のチリ地震による津波で水が引いた際一時的に姿を現し、その大きさは、東西216m・南北108mであったと言います。「興玉(おきたま)」とは、海中の神霊を意味する『澳魂(おきたま)』の別名。海底深く眠る神の依り代・・・・波の音さえも厳粛に聞こえる気がします。

夫婦石の周囲に屹立する岩にはそれぞれに、左から「獅子岩・烏帽子岩(通称蛙岩)・屏風岩」の名称がつけられています。

岩の前にちょこんと座っている「蛙」。ちなみに猿田彦大神の神使は蛙さん。神社参拝の後に神徳を受けた人々が神社の境内に蛙の塑像を献納するため、境内には様々な素材の蛙像が参拝者を出迎えてくれます。

「明治43年(1910)、猿田彦大神を祀る「興玉社(おきたましゃ)」と宇迦御魂大神を祀る「三宮神社(さんぐうじんじゃ)」を合祀したもので、その際に現社名に改称。興玉社の歴史は、夫婦岩に注連縄を張り、興玉神石の遙拝所を設けたのに始まるという。天平年間(729年 - 748年)、僧行基が興玉神の本地垂迹として「江寺(えでら)」を創建し、境内に興玉社を建てて鎮守社とし、後に現在の二見浦へと遷座した。」(Wikipediaより)

手水舎のうちより、仲良く並んで参拝者を出迎える蛙さん。ここでは吐水龍ではなく、吐水蛙なんですね😊

水をかけると願いが叶うと言わる「満願蛙」さんは水の中。但し書きがあるのは、多分吐水蛙さんと間違えられる事が多いからかも。

手水舎の隣に位置するのは「天岩屋」。神代の昔、太陽神である天照大御神がお隠れになり、世界が真っ暗になったという神話の舞台となった場所です。

拝殿の前には「天照大御神」を誘い出すために面白おかしく神楽を舞う「天宇受賣命」像があります。ストリップの元祖とも言われる神楽舞ですが、実際に石見神楽などにも取り入れられており、個人的には好きな演目です。

境内の一画に鎮座される「竜宮社」、後祭神は『綿津見大神(わたつみのおおかみ)』。海の神であり、転じて海・海原そのものともされます。

神域を守護されるのは海神の眷属とされる阿吽の龍一対。阿形は口中に宝玉を、吽形はがっちと爪を食い込ませて宝玉を握り締めています。

禊橋(みそぎばし)を渡った先の見晴所の一角に立つ「契りの松」。江戸時代、阿波国から伊勢参りに来た若い男女が、二見浦で塩垢離(みそぎ)を行うときに、着物を松の木にかけて結び 夫婦の契りと子孫繁栄を祈願したことから、「契りの松」と呼ばれるようになったと伝えられています。

最後は浜参宮鳥居の近くに奉納された「さざれ石」「千代に八千代に さざれ石の 巌となりて」・・君が代に詠われるように、細石は、小さな小石が何百何千と集まり、悠久の年月を経て凝固し巌となります。その意味さえも学ばず、国歌である君が代を敬えない者が、何故この国にしがみつくのか・・ 私にはその歪みきった精神構造が全く理解できません(理解したくも有りません)。

参拝日:2010年4月3日

コメント (2)
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