みやしたの気まぐれblog

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飯田線貫通旅行1

2009-08-15 22:59:04 | 乗り鉄
6月の下旬だったと思いますが、新聞で飯田線紹介の記事を見た母親が飯田線に行きたいと言い出し、両親を飯田線へ案内することに。そこに叔父、叔母も加わって、8/8-9に5人で飯田線へ行ってきました。
今回は引率メインと言うことで、さすがにいつものように撮影とか秘境駅とか種物ばかりにはしていられないので、今までずっと無視してた沿線の観光地を回ることにしました。長時間の乗車は厳しいので、なるべく移動は特急、新幹線を利用しました。

8/8の朝は新横浜駅で両親と合流。新幹線車内で東京から乗車している叔父、叔母と合流し、豊橋へ。豊橋で特急「伊那路」に乗り換えます。しかし、この日の「伊那路」はいつもと違い中部天竜止まり。7/30に門島~唐笠で山肌崩落が発生し、復旧工事のために平岡~天竜峡が不通になっていたためです。「伊那路」で中部天竜以北に向かう人も強制的に降車となり、1時間20分後の519Mへ乗り換えとなりました。これだったら、「伊那路」で北に向かう人は最初から519M乗っていた方が良かったでしょうにねえ・・・。っていうか、中部天竜止まりじゃ「伊那」に入っていないじゃん。
さて、中部天竜でこちらは予定通りの下車でして、1時間20分の間に「佐久間レールパーク」を見学し、昼食を済ませます。「伊那路」がはき出した旅客を強制収容したため、レールパークは結構混んでいました。食事もいつもの「民話の郷」食堂ではなく、その向かいにあった豊橋の弁当屋「壺屋」の出張駅弁販売で済ませました。展示車両は両親や叔父、叔母が子供の頃に走っていた車両が多かったので、それなりに楽しんではもらえました。

中部天竜の側線に停車中の117系臨時快速「佐久間レールパーク号」。ヘッドマークを無理矢理取り付けているのが良くわかる。

中部天竜で回送になってしまった373系特急「伊那路」。

8/8時点で佐久間レールパークはあと85日の命。

定番の展示車両横並び。

8月の特別展示車ED11 2。ちなみに9月の特別展示車クハ111-1はお色直しで留守でした。

ED11 2の運転台。碓氷峠鉄道文化村で見たEF63形に比べるとシンプル。

JR東海鉄道博物館へ移転しないことが決まっているソ80形+チキ6000形。解体行きだろうか?

同じくJR東海鉄道博物館へ移転しないクヤ165-1。現存する唯一の旧153系だが。この他にED62等も移転しない。

壺屋弁当部の出張販売。お弁当は2種類だけだったが。

1時間20分を消化して519Mで平岡へ向かいます。「伊那路」の客も吸い込んだため、車内は立って乗車する人もいました。途中、水窪では、中部天竜に待避場所がなかったらしい373系が留置されていました。

車内より撮影した373系。

平岡に着くまでに、伊那路と519Mの中で、車掌が行き先を訪ねて統計を取っていたんですが、いざ平岡にたどり着くと、出迎えの代行バスには全然人が乗り切らない状態でした。この辺りはカーブが多くてきつく、大型のバスが乗り入れられないため、小型の観光バスタイプだったのが災いしましたね。
JR東海の社員があと5分でもう1台バスが来ると言いますが、10分以上経ってようやく1台やってきて、なんとか3台に分かれて519Mの乗客が乗車しました。なお、1台だけが途中の温田・門島・唐笠のみ停車、残り2台は天竜峡直行という状態でした。


平岡駅で撮影した代行バス。手前が直行便、後が3駅停車便。

代行バスで揺られること1時間あまり、ようやく天竜峡駅に到着しましたが、到着した瞬間に247Mが発車。ひどい話です。どうせ247Mは飯田で9分の待ち時間があるんだし、バスからの乗り継ぎを待てばいいのに。これで乗り継ごうとした人たちは1時間40分待ちという扱いでした。JR東海ひどすぎ。
私達の方は、この後天竜ライン下りへ向かうため、上記の乗り継ぎの影響は受けませんでしたが、JR東海は代行輸送をもう少し手際よくやって欲しいものです。

次回は天竜ライン下りと飯田まつり「りんごん」です。
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