田切に着いた。改めてホーム上の小さな待合室を見渡すと、備え付けてあったはずの「Rノート」がない。・・・これは後で発見されるのだが・・・
以前はこの待合いに、ゴミ箱とロッカーがあり、一通りの掃除用具や何故か金属バットなどが常備されていた。実はバットを置いたのは僕なんだが。今はそれらは何もない。だから駅の掃除をするにも道具をそれぞれ持ち寄らなければならない。その点だけは何とかして欲しい。ゴミ箱がないのも考え物で、おかげで待合いの中と言わず外と言わず、至る所にゴミが散乱している。
さて、大変気が重い。今回の掃除では「ある事」があった。僕はこの事実をどう処理したらいいか、未だに悩んでいる。いつまでも結論を持ち越しにも出来ないので、ここで初めて公表しようと思う。
待合いの拭き掃除などをしつつ、ふと見ると、ホームの下や裏手の土手がゴミだらけだ。あまりにも汚い。ゴミのほとんどはジュースの缶やお菓子の箱などの紙くず。傘などの大型の物も落ちている。待合い裏の土手に降りてゴミを拾った。また、ホームの下の線路上にも極めてたくさんのゴミが散乱している。もちろん線路に降りるのはよくない。が、あまりにもひどいので見過ごしにも出来ない。そこで列車の時間を何度も確認し、安全を万全に考慮した上で線路に降りてゴミを拾った。
駅には掃除をしている僕らの他に、もう一人だけ地元の年配の男性がいた。見覚えのある人で、毎回掃除の時に会う。つまりこの時間帯に駅を利用する人なのだ。僕が線路のゴミを拾っていると、大きな声で、「たばこの吸い殻を拾え」と指図をする。何度も何度も、しまいにはけっこういい剣幕でだったように感じた。一通りひろってホームに上がると、その人はたばこに火を付け、一服吸った後、その吸い殻を線路に投げ捨てた。それも一度ならず二度だ。
何だこれは!?
はっきり言って田切の駅は、他の無人駅に比べても汚い。それは地元の人が手を入れていないからだ。浦川や東上など南部地域の無人駅は、地元の婦人会の人たちが毎朝清掃していて、極めて綺麗に保たれている。そう言った無人駅もあるのだし、それがあるべき姿ではないかと僕は思う。
僕は駅を掃除するのは嫌ではない。だがその結果、つまり遠くから来る人が大切に思って綺麗にしている駅なのだから、地元の人にも同じように大事にして欲しいのだ。ところがどうだ!
田切の駅は相変わらず汚い。無くなっていたRノートは、裏の土手から破られて焼かれた無惨な姿で出てきた。いったい何なのだこの仕打ちは。
僕は怒りを通り越して、悲しくなった。
僕は今までいったい何をしてきたのだろう?結局は地元の人に、定期的に駅を無料で掃除しに来る便利な奴ら程度の扱いを受けてきたのだろうか。少なくてもそう言った依存心を植え付けては来なかったろうか?
この先、掃除自体をどうするのか?考える時が来たように思う。
以前はこの待合いに、ゴミ箱とロッカーがあり、一通りの掃除用具や何故か金属バットなどが常備されていた。実はバットを置いたのは僕なんだが。今はそれらは何もない。だから駅の掃除をするにも道具をそれぞれ持ち寄らなければならない。その点だけは何とかして欲しい。ゴミ箱がないのも考え物で、おかげで待合いの中と言わず外と言わず、至る所にゴミが散乱している。
さて、大変気が重い。今回の掃除では「ある事」があった。僕はこの事実をどう処理したらいいか、未だに悩んでいる。いつまでも結論を持ち越しにも出来ないので、ここで初めて公表しようと思う。
待合いの拭き掃除などをしつつ、ふと見ると、ホームの下や裏手の土手がゴミだらけだ。あまりにも汚い。ゴミのほとんどはジュースの缶やお菓子の箱などの紙くず。傘などの大型の物も落ちている。待合い裏の土手に降りてゴミを拾った。また、ホームの下の線路上にも極めてたくさんのゴミが散乱している。もちろん線路に降りるのはよくない。が、あまりにもひどいので見過ごしにも出来ない。そこで列車の時間を何度も確認し、安全を万全に考慮した上で線路に降りてゴミを拾った。
駅には掃除をしている僕らの他に、もう一人だけ地元の年配の男性がいた。見覚えのある人で、毎回掃除の時に会う。つまりこの時間帯に駅を利用する人なのだ。僕が線路のゴミを拾っていると、大きな声で、「たばこの吸い殻を拾え」と指図をする。何度も何度も、しまいにはけっこういい剣幕でだったように感じた。一通りひろってホームに上がると、その人はたばこに火を付け、一服吸った後、その吸い殻を線路に投げ捨てた。それも一度ならず二度だ。
何だこれは!?
はっきり言って田切の駅は、他の無人駅に比べても汚い。それは地元の人が手を入れていないからだ。浦川や東上など南部地域の無人駅は、地元の婦人会の人たちが毎朝清掃していて、極めて綺麗に保たれている。そう言った無人駅もあるのだし、それがあるべき姿ではないかと僕は思う。
僕は駅を掃除するのは嫌ではない。だがその結果、つまり遠くから来る人が大切に思って綺麗にしている駅なのだから、地元の人にも同じように大事にして欲しいのだ。ところがどうだ!
田切の駅は相変わらず汚い。無くなっていたRノートは、裏の土手から破られて焼かれた無惨な姿で出てきた。いったい何なのだこの仕打ちは。
僕は怒りを通り越して、悲しくなった。
僕は今までいったい何をしてきたのだろう?結局は地元の人に、定期的に駅を無料で掃除しに来る便利な奴ら程度の扱いを受けてきたのだろうか。少なくてもそう言った依存心を植え付けては来なかったろうか?
この先、掃除自体をどうするのか?考える時が来たように思う。