金科玉条
きっちりと締め切った厚手の洋カーテンとその先の障子窓を擦り抜けて来る明るさが、日ごとに早く強く目蓋に届けられるようになって、それが勿体なくて”春眠”などしていられなくなる気分にさせてしまう。
昨日もそんな感じで目覚めて、同じように体調を観測し、”喉の痛さの宿小”と”咳の回数の減少”を確認して、やっと9日間のイライラから解放される!と思ったものだったが、それは甘い判断に過ぎなかったようで、一日中”頭痛”に悩まされた。
今朝も体調の加減を恐る恐る探ってみたが、あんなに気を滅入らした原因不明(たぶん風邪の菌がしぶとくしがみ付いていたのだ)の頭痛はもう消えたようだ。喉の痛みも九分九厘大丈夫。咳も暫くの間の記憶に残っていない程なので、今回の”諸症状”はようよう終息したようだ。発症から何と十日もかかって(まだ油断できないが・・)治癒したようだ。
罹患しやすくなった。そうして罹患すると原状回復に思いの他に手こずるようになった。復活に時間が要り様になった現実を知る機会が増えたともいえる。そういう想いの繰り返しの一つ一つが、ある種の諦念と覚悟を養っていくに違いないと思わされる。
その過程で、僕はこの言葉を「金科玉条」のように胸に刻むのだ。「健全な肉体にだけ健全な精神は宿る!!」と。多分それは老若男女の別は問わないのだろうけれど、それを身に沁みて知覚するのは、僕が老いの部類に身を置き始めたからに他ならない。
* 04/25 06:10:06 まんぼ