回想録を
平成という一つの時代が幕を下りることが規定の事実となった今年。さればその冠を被った最後の「平成30年」の、僕にとっても特別に印象深い此の年のことを、順不同、randomに振り返り、思い出を新たにして我が人生の七分の三を生きた時代を記憶とともに記録したいと思い立ってペンを執った。
あくまでも個人的なもの(何処かの成り行きに任せてトップに躍り出た成金主義者が、やがて書くだろう回顧録とは月と鼈の)だから、そこに大衆受けする何事の記載もないので、興味のない方や関心の湧かないお方は早々に回避行動をとって頂いて結構。そこに何の拘りも蟠りも抱かないまんぼですから。
さてさて、お断りの書き出しはそれぐらいにして先へと進みましょう。何と言っても僕にとっても家族にとってもの一大イベントとして特筆されるのは-①転宅-だろうか!!
息子たち夫婦と話し合って「同居」することで合意し、土地探しを始めて3年目の去年の正月に不動産屋から朗報が。即決。建て方は以前から決めていた「全館床暖」を謳う彼の会社の「夢の住まい」だったので、その後はとんとん拍子に物事は進む。H29の10/17”地固まる”に似合いの雨降る「地鎮祭」を経て霜月半ばから工事が始まり、明けて今年H30の03/30に住宅の引き渡し式。それから2週間後、桜花爛漫の04/11ついに念願の新居への転宅を終えたのだった。息子夫婦に孫二人、そこに義母も加わって総勢7人での賑やかな新生活。この家でそれぞれが実現してゆくだろう”yume”を、賑やかに静かに見定めてゆきたいと思う。
次に思い出すのはまだ最近になる4度目の北の大地の旅-②道北(利尻礼文サロベツ.稚内宗谷)-だろうか。9月下旬から3泊4日の最高の旅だったが、最後の最後に台風の影響で小学校の修学旅行以来のお江戸で一泊というおまけ迄ついて、尚更に忘れ難いものになった。
そうそう、今年の元旦早々から周りのみんなをやきもきさせていた-③7人目の孫-が”七尽くし”のluckyを背負って7日に誕生。しかも両親の名付けたのが「新arata」とは、何と良いtimingの好い名前だと喝采したのだ。
2018年の今年-④詩11と詩12の二冊を自費出版-した。これは2017年の間に書いた膨大な詩を”天と地”の二巻に分けて予定通り春先と秋の初めに自費出版したもので、何時ものように読んでくれている20人足らず人に届けた。
男友達3人と連れ立って、2月3日(節分)と4日(立春)の一泊二日で訪れた-⑤四国遍路の旅-も忘れられないものになった。3日に讃岐の金毘羅詣りを済ませた翌朝は、何と四国では20年ぶりと云う吹雪の朝を迎える。それは予定していた出発時間を二時間も遅らせる程に激しく僅かの時間で20センチ近くにもなった。真っ白い雪道を走って空海の生まれた場所という清浄無垢の雪の「善通寺」に参拝。殊の外に神聖な気分を味わったのだ。
4人目の孫「湊人」と6人目の孫「蒼唯」と住むことになり、蒼唯が満一歳になったのを契機に産休を終えた嫁さんも再び勤め始めたので、孫の保育園への送り迎えも”じいじ”の新たな仕事になった。部屋の前でじいじを見つけた時のはちきれそうに嬉しい顔をしてくれる孫娘の表情がenergyになっている。保育園と云えば、そうそう直近の事だが湊人が園からもらってきた-⑥ノロ騒動-で一家6人が次々に罹患して散々のクリスマスになったことも、その続きのように自身の膝の疾患に痛い目を見ている・・ことも、憚りながら筆記するべき出来事になった。
思い返せば、今年は京都に住む娘のお陰で南山城に点在するたくさんの-⑦古寺や古刹を訪れる-ことができた。浄瑠璃寺の静寂、岩船寺の紫陽花、秋には紅葉の海住山寺へ。国宝釈迦如来座像が佇む蟹満寺も。11月には最後の紅葉狩りにと奈良市東部の「正暦寺」で百彩を堪能した。
いろいろあった平成最後の一年。こうして取り出してみるとあっという間のような、思い返すとたくさんの時間が経っているような不思議な気分になるのだが、最後に、忘れてはならない出来事をUPして回想録を。閉じたいと思う。
7月女房の還暦祝いに-⑧南鳥羽相差に家族全員集合-して総勢16名でお祝いの席を設けて過ごした一泊の旅。そのホテルの部屋で撮ってもらった集合写真が、新居の御影石のワイドキッチンの上でそれぞれの様子を見守っている。これからも、誰一人、この零れるばかりの笑顔を失わないように先頭に立って・・と思う年の暮れの晦日の朝ではある。
2018 12/30 08:15 まんぼ