大晦日の一筆啓上~改元~
平成三十一年四月三十日に一つの時代が終わり、翌五月一日から「令和」という新しい年号を刻むことになった今年。奇しくも十二支の殿である”亥年”にマッチした改元になった。
相変わらず、いや寧ろその被害の度合いと範囲を拡大させて、自然災害の多い年だった。もしかしたら、驚天動地の前触れかも知れないと、本気で思えるような数々の災害を知った。同じ感慨を去年も抱いたものだが、今年は一回り規模が大きくなって無辜の人人や大地を容赦なく襲った。
東欧の十代の彼女の真摯な直訴に世界中の指導者は耳を貸さねばならないけれど、様々な為政者が同じ方向を向くことなど有り得ないのが寧ろ現実だろうと考えれば、流石に無力感が漂う。それでも声を挙げ続ける彼の少女のように、諦めない姿勢を貫くことで少しでも温暖化阻止が認知されますようにと切に思う。
それから、ネットなるものが流通の主流となりつつあり、老若男女の誰も彼もその文明の利器に肖ることで、不特定多数で不安定で未知なるものとの交わりが増え、必然的に減少の一途を辿る人と人との交流の場が失われるという弊害が徐々に顕著になりつつあって、それが胸に刺さった棘のようにときどき情感を刺激するこの頃の世相だ。
人間同士の肌の触れ合いのような関係が薄くなって、他人への関心事がなくなり孤立を深める数多の人人を嘲笑うように、虐待や殺人のニュースが引きも切らずゴールデンのTVや新聞の一面を賑した。
そうして、もはや他人ごとではなくなった高齢者の交通事故が多発したのもこの一年を象徴する出来事と言えよう。今年僕に届いた”免許証更新”のお知らせの葉書には、とうとう事前講習が義務付けられているとの記述が現れて、己が到達点の一つの目印でもあった”古希”を過ぎたことを意識せずには居られなくなった。
そんな様々に興亡した負の世相を一掃してくれたのが、ラグビーW杯の”oneチーム”で初めてベスト8まで勝ち進んだ日本代表の選手たちの逞しさだっただろうか。野球と云い、サッカーといい、渋野日向子の圧巻の笑顔と云い、確かにスポーツが人々の心を繋ぐ糸になれる証のようにも感じた。
年末に近づいたころに、国立競技場完成のニュースが流れた。そう言えば来年は「2020東京」の年。年が明ければ、来るべきその日に向かって盛り上がる一体感と、バラ色の期待感に彩られた半年に成る事だろうと容易に想像させるのだ。
さてプライベートでは、何と言ってもまず第一に五回目になった北の大地への三泊四日のwarpだろう。今回は道東の「知床国立公園」をメーンに計画を立て、”天に続く道”や”知床峠”や”摩周湖”を走ってきた。何度訪れても裏切らないのが北海道の魅力。帰りの途次で来年は最後に残った”函館と松前”にと女房と確認し合って、又一年その計画で楽しめる事になった。
それから、暦の上では立春のまだ寒い二月には、始めてから五年目になる男四人衆の旅を今年も実施することが叶った。今回の行先は太陽とフルーツの国「吉備」。その前の年の暮れに半月板を損傷し運を天に任せた旅だったが、幸い道中を無事に切り抜けることができ、二本杖で”備中松山城”に登下城出来たことは忘れ難い思い出に繋がった。
それから、まだ先月のことになるが遊覧船での”恵那峡の紅葉”と、美濃のおんな城主の城で有名な「岩村城跡」さらに、一泊して向かったのが中津川にある天然の要害に聳える「苗木城跡」。一つの旅で日本三大山城の二城を踏破。後は我が大和にある日本一の「高取城跡」を残すだけになった。我が家から半時間余りで辿り着く此処は来年の夏までには・・。
三人の子供達のそれぞれの家庭に誕生した「七人の孫」。森繁久彌が演じた”爺じ”のように孫たちの一挙手一投足に一喜一憂しながら、それでも恩恵たっぷりの一年を過ごさせてもらった。
そうそう孫の話で思い出したのだが、無事に古希を迎えたお祝いにと家族十六人が勢揃いした七月の近江長浜での二日間も胸に沁みて浮かんでくる出来事ではある。
それから古希と云えば、二月と四月に殊の外親しかった友人を相次いで失った。その侘しさと哀しさが半年以上経過した今でもしみじみと胸に甦っては、改めて僕が今いる位置を再認識するのだ。老いと云う無知で未知の状況は否応なしに近付いてくる。けれど徒にその事実に狼狽せず、寧ろそれを当たり前のように受け止められるよう残された未来に挑んでゆきたいと決意する。
ともあれ、何時でもそこに居てくれるだろうANATAやanata。長い短い太い細いや、品質や質量を問わず人と繋がる縁の糸に感謝し、来るべき月日も、そのことを慈しみ抱き、巡り会う奇蹟の結ぼれを後生大事に生きてゆきたい。
佳き一年を!の他動的ではなく、佳き一年に!!の能動の態度で、お互いに意味深い絲を紡いでゆきましょう。
全ての”あなた”へ!!
令和元年 大晦日 21:51 まんぼ