降って来るもの

写真と散文とぽえむ

聴心記.LⅩとplusⅠ

2017-12-31 14:20:14 | 聴心記

                LXとplusⅠ「終いのページに」

 

聴心記Ⅰを書き起こした11月11日から

今日の大晦日までの50日で

僕が目途にしていたLXに昨日到達した

早いのか遅いのか

それぞれに異論はあるけれど

縁起のいいRome数字の60で

ヒトの一生で言えばメデタイ還暦で

文字数28439字の頁数132をCOUNTしたところで

再び新しい一page目を迎える為に

明日の元旦に合わせて

今日の大晦日で

この聴心記一巻(詩11)は「終いのページに」したいと想う

 

又、何時か、一歩を踏み出しさえすれば

詩神に見限られる凶事さえなければ

或いは、詩心の枯渇さえなければ

再び何某かの冠を被せて

今度は”詩12”を披歴できるだろう

未来に拡がる唯の無の中に

有の一巻を紡ぎだせるに違いない

 

僕自身もそのことの稀有に望みを託し

幾足りの読み手で居てくれるアナタ方も

そのことに、初夢の吉を重ねて

ともどもにwaitingして欲しいと・・

2017 12/31 14:20:14 万甫

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僕の小晦日

2017-12-31 08:00:09 | 日記

           ~~~ヾ(^∇^)おはよー♪ございます!!

 昨日の僕の小晦日(kotugomori)は、夜明け前の暗闇の中でまるで-鎌倉-のように明かりの居場所を作り、聴心記二篇をブログUP。ようよう夜がお開きになった頃から県内の友人知人宛ての賀状を仕上げ(必ず宛て名は手書きで、裏には印刷したmessageと二行ほどの直筆のphraseを書き込むので)、朝食を済ませたらそれを持ってwalkingに。

 近くの郵便局までは徒歩で1000歩程度の距離なので体をほぐすにはもってこいの運動量になる。その続きで晦日の距離を稼ぐべく本格的に歩き始める

 新しい道を捜し単独行では、午前のウオーキングでは初めて9000歩を突破して意気揚々と凱旋。何と一時間半も歩いたのだ。殆ど誰とも出会うこともなく新鮮なozoneを独り占めして、前頭葉も活発に活動を始め、僕は頭の中で晦日と大晦日のスケジュールや、聴心記でUPする文言や、誕生真近に迫って来た三重の次女の第二子の僕の七人目の孫の事やを想い乍ら、実際の時間の半分ぐらいの感覚で。

 帰って来ると女房が「もう蒸しているから早くコウジブタを用意して!!」と。そこから孫二人も参加して家族6人で3㎏、餅つき機で2回の恒例のお餅つき大会を開催。如何にも賑やかだった時間を象徴するかのように、白い片栗粉を彼方此方に撒き散らして作業は11時には終了した。そのまま、搗き立て餅を黄粉と餡子でたべたり、おじやを掻きこんだりでで昼食も済ませる。

 少しお昼寝をして(何しろ早朝型なので数十分の寝足しは必須項目なのだ)、午後からは「ふるさと」へひとっ走りして松の内の飾り物にする松竹梅を調達に向かった

 

                   「思いいづる

30日はちょうど母の月命日。思いを込めて手を合わしてきましたよ。現況の報告や七人目の孫の無事の誕生や、新築の家で7人で住むことにしたことやeetcを。

あの「袴岳」の麓に生家が在る

苔むした山間の道を

どんどん上る

家の前で車を降りて、ふと思い立ってこの古びた道を更に深くへ、更に奥へと分け入る。

途中からは道の真ん中が抉られて・・

道はどんどん狭くなり、凸凹になり、雑草に覆われて・・。

我が村はその昔(江戸時代には)”伊勢本街道”が通っていて、”ふるさと創生事業”で整備されて、その道標が彼方此方にある。

こんな風に案内板が

     

人工の工作物がないところまで登って来ると

があって

此処からは昔の儘の間道が続く

久し振りに二時間ばかり換気し、周辺の掃き掃除をして

古里を後に

今日の晦日はいっぱいいっぱい歩いたので、旅行中の否応なしの歩数を除けば、自分の意志で歩いた一日の歩数としての記録を大幅に更新した

いよいよ今日は大晦日(ootugomori)。一年の反省と一年の計を思惑する日だ。12/31 08:00:08 まんぼ

 

 

 

 

 

 

 

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バネ指

2017-12-30 22:07:05 | 随想

                    バネ指

 

 「これを貼って暫く様子を見ましょう」と、まるで他人事のように(勿論、他人には違いないのだが)軽く扱われた整形外科の受診から早くも二ヶ月が経過した「バネ指(医師は親指内側の腱鞘炎と言ったが)」のその後は、頗る良くないのだ。

 普通サイズの”経皮鎮痛消炎剤”を半分に切って親指に巻きつけるようして幾日か眠ったけれど、期待したほどの効果は現れない。業を煮やして親指を固定するサポーターや、OTとして働く息子の助言で親指の筋に沿ってテーピングなども試して見たのだが、状況は変わらず。それどころか年末の切り仕事に遭遇して何時もより多く長くironを握った(洗い師が生業なので致し方無いのだが)ので、心なしか悪化したような気さえするのだ。

 28日の仕事納めが済むと、直後には自分の意志では痛くて曲げられない第二関節を、左手の親指の助けを借りて曲げるというとんでもない始末になった。

 無論イザという時には痛みを堪えて無理矢理に曲げるしかないし、左手の手助けも借りるので生活の中ではそれ程のダメージでもないのだが。それでもその状態を長く引き摺っていると、その四六時中の鈍痛と、微熱を抱える親指の有り様の不愉快さに辟易とする時間が増えてきて、精神衛生上は非常に良くないのだ。

 其れや是やで少しストレスが溜まりつつあると自覚するのだが、幸いお正月が遣って来て、親指を酷使する仕事からは暫くの間離れる。年末の29日から新年の10日頃(何しろ自営業者なので、休む日数は自分次第という事になる)まで二週間近くのその間に、若しかしたら劇的に、悩まされた痛みが噓のように(同じ症状で苦しんだ先輩が、ある日突然治った!!って言ったのだ)消えるんじゃないかと淡い期待をかけているところだ。

 だがもし、仕事始めの日が来ても相変わらずの状況であるのなら、あの日、いみじくも尊大な医師がのたまわったように「様子を見て駄目なら、神経ブロックの注射しかない!!」に潔く従うしかないのかな~と、口惜しいけれどそう覚悟している、バネ指を抱えて少し憂鬱な晦日の今日の僕なのだ。

                 2017 12/30 22:06 まんぼ

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聴心記.LⅩ(60)

2017-12-30 06:44:29 | 聴心記

                LX(60)「無念なく書き物として」

 

きっとこの六十有余年の間

僕のココロは

膨大な内なる声を挙げて来たに違いないが

 僕がその声に気付き始めたのは

ほんとうにその声を拾えるようになったのは

まだ、ほんの最近のことなのだ

 

十代から二十代にかけて

鼓膜を微動させたものの記憶は

 幽かに残ってはいるが

それは色褪せた影絵のようなもので

朧気な形さえ伴わない

 

それから幾十年もの

長い長い沈黙の時間が流れて

 遠くから木霊のように

それらしきものをcatch出来るようになったのは

最早人生の平均的な長さの

四分の三を失くした後の事だ

 

それから

その声を分析したり分類したり

書き加えたり削ったり

 ようよう僕の口の端に載せられたのは

古来希なる場所の道標が

ぼんやりと見えるようになったこの頃の事だ

 時間で語れば

もはや残量八分の一しかないギリギリのtimingなのだ

 

無駄ではなかった八分の七の名誉の為に

自分を何とか生きた四分の三の誇りの為に

 僕は

僕が放つ内なる声のすべてを

暫くは拾い尽くしたいと決意している

 

無念なく、後悔なく、懺悔なく、遅滞なく

イノチのエキスとessenceを内包する

 その僕の肉声を

僕のイノチの履歴の書き物として残すために!!

2017 12/30 06:44:30 万甫

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聴心記.LⅨ

2017-12-30 06:17:56 | 聴心記

                    LⅨ「一歩なら」

 

一歩ならまだしも

二歩も遅れれば

二度と肩を並べるのは不可能で

人々は何処へ行ってしまったのか?

 見当もつかない

 

一歩なら

曲がり角に消えるまでに

何とか追えるけれど

 何かの手違いのようなもので

もしも三歩も遅れてしまえば

人々には永遠に追いつかない

 

一歩なら

暗闇に掻き消えるまでに

 もしかしたら

追いつけるかも知れないけれど・・

 

親しい人や知っている人々は

僕を悠然と追い越して

次々に先へと行ってしまい

 見る間に姿を隠してしまう

 

何歩も遅れてしまえば

 殆ど

取り返しなど付かないのだ

 

その一歩が

どれ程の深さで、どれ程の闇で

どれ程の高さで、どれ程の乖離で

どれ程の時空の隔たりなのかは

 皆目見当もつかないけれど・・

 

確かに其処から離れると

如何ともし難く

 孤独に蹲っている自分を感じる

身動きできなくなって

 蹲っているしかない己を

 

大きな無念は

 いつでも

易々と一歩なら・・から始まる

 

一歩の大きさを知るために

試行錯誤する日常よ

 意識と無意識と、夢と現と

明と暗を往来する道程の

不確かな一歩の魔力と魅力と・・

 

走馬燈のように

廻り巡る一歩の思惑の不思議よ

 其処に存在する

命の深淵と愛しさよ

12/30 06:17

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聴心記.LⅧ

2017-12-29 21:37:12 | 聴心記

                  LⅧ「不滅の詩詞に」

 

-僕は歩きながら文章を書く-

 

歩きながら

 アノ人への手紙を書く

幼子の使う”お絵かきボード”のように

胸の奥に誂えてある便箋や葉書や

200字詰めや400字詰めの原稿用紙に

代わる代わる必要な分だけ

要りようになった行だけ

 言葉を書き付けてゆく

 

勿論、僕のは架空のboardだから

其の儘に放置しておけば

 直に

時間が掻き消してしまうので

大切な文書や大事な書き付けは

余り間を空けずに取り出すのだが・・

 

ときどき出す宛てなしの手紙を綴ったりもする

僕の中の色々なboku宛に

 或いは

僕の器に記載されている

縁の人の宛先や苗字や名前にも・・

 

歩き出せば何時でも

 胸の用紙を拡げて僕は

取り留めのない想いを筆記してゆくのだ

悪戯に

真実を一行か二行挿入し

 ほくそ笑んだりして・・

 

今書くものは

巡り合う千載一遇の僕の一行になる

 

今読んでくれているアナタへの一編は

僕の一期一会の記念碑になる

 

願わくば

アナタも曰く”同じく”の

不滅の詩詞になって欲しいけれど・・

*2017 12/29 21:36 万甫

 

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寒々と、黄昏

2017-12-29 07:07:57 | 夕景

        ~~~ヾ(^∇^)おはよー♪ございます!!

 ようよう白み始めて、薄墨色の風景に成って来た師走29日午前6時半の山里。その微かな明るさで読み取った温度計の数字は1℃。曇天の空の色と合わせて、何となく侘しい年の瀬の遣る瀬無さも混じっているのを感じたりしている朝デス。

 何時も文字ばかりの愛想のない画面を見てもらっているので、今朝は一昨日27日の夕方の当に冬の真ん中の「寒々とした夕景」をUP。と言っても特別な映像ではないので申し訳ないですが・・。

 この所特別何処へ出掛けるでもなく、日常に特段の変化もなくて、cameraを袈裟懸けにして朝夕のwalkingに出たとしても、なかなかレンズを向ける対象にも出会わなくて、それだからどんなに工夫しても似たような”風景画”に。

 で、中には写真を楽しみに覗いてくれる人もいるかも知れませんが、そんなブロ友さんには-悪しからず-の今日も、又!です。

12/27 16:40に出発

 前日の夕方は冷たい風がそれも強風が吹き荒れて、体感温度を数度は押し下げた歩きに成りましたが、27日の夕方のも、防寒着で完全武装してのウオーキングになりましたよ。

 この日は北陸と北日本で暴風雪のニュース。その映像が頭に残っていて、見上げる空模様はその片割れの尻尾部分のようなおどろおどろしさで広がり、黄昏時の仄暗さと相俟ってそれはそれは肌寒い40分間でした

オレンジのシェードが田面も波立つ

 ”孫の向かえ”という新たな仕事が出来たので、始まりはどうしても4時半から5時の間になってしまい、冬至までは暗さとの駆けっこでした。昼の一番短い日から5日経ち圧迫感は少し減少しましたが、それでも5時20分過ぎの帰宅時間には、もはや5メートル前方の真近まで冬の暗闇が迫ってきていましたよ

凛とhalfmoonが

微かに南東の空にblueが

12/29 07:07 まんぼ

 

 

 

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聴心記.LⅦ

2017-12-29 03:09:04 | 聴心記

                  LⅦ「八百万の神々でも」

 

枯れないでいたいと念願する

 生死はひとつの連環だが

 イノチを安堵されている間は

飢えないでいたいと祈念する

 

愛するココロと慈しむココロと

許すココロと夢見るココロと

writerであり続ける現実とを

忘れないでいたいと切望する

 

些細な希望を列挙してゆけば

八百万の神々でも足りないが

 僕は唯

様様な”ぼく”として認知できる僕を

僕として表記してゆける間は

 僕を失いたくないと

只管、合掌するのだ

 

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聴心記.LⅥ

2017-12-28 14:42:51 | 聴心記

                LⅥ「永遠のコロナのように」

 

何時ものように僕は

創作現場へと足を向ける

 

是から遭遇するだろう千載一会の象徴が

どんな一行を

如何なる一編を

僕に齎してくれるのか

そのことが僕の曼陀羅にどのように織り成され

それがどのようなKATACHIで

曼陀羅のイノチを彩成してゆくのか

その愉しみHITOTU、心中に輝いて在れば

永遠のコロナのように

僕は何時でも温もって居られる

 

四色のball penと

文庫本サイズのmemo帳を

左右のpocketに突っ込んで

*12/28 14:42

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聴心記.LV

2017-12-28 07:04:28 | 聴心記

                   LV「再生の階kizahasiは」

 

常に、働きかけなければ

何時も、問いかけなければ

倦まず、模索しなければ

 彼の人の言の様に

あらゆる時間や場所や胸の音叉や

命の流離に意識を投影して

自分の存在を、匂い掛けしなければならぬ

 

if、アナタが

此のボクのように

ほんとうにガラン洞の不毛地帯を

 胸中に抱えてしまったと

知らされてしまったTOKIは

 

 -再生の階-は

 その行為の有無の如何で

 或いは

 それに伴う辛苦と等価で

遅速や長短の差異が生じたとしても

誰でもが必ず発見できる

 

千日回峰行の偉大な僧のように

唯の俗人には

気絶しそうな程に

 遠大で厳しい関門だが・・

                    「いつものように」

 

何時ものように

六地蔵の前に膝をついて

目に見えない仏の慈悲に

目に見えないイノチの先の安寧を願って

しずかに合掌する

 

今日の一歩さえ儘ならない剣が峰を

歩くヒトの群れなれば

唯、今日の一歩一歩が恙なきようにと

 血族、親人、縁の人の

*12/28 07:04:28 万甫

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