降って来るもの

写真と散文とぽえむ

聴心記.LⅩとplusⅠ

2017-12-31 14:20:14 | 聴心記

                LXとplusⅠ「終いのページに」

 

聴心記Ⅰを書き起こした11月11日から

今日の大晦日までの50日で

僕が目途にしていたLXに昨日到達した

早いのか遅いのか

それぞれに異論はあるけれど

縁起のいいRome数字の60で

ヒトの一生で言えばメデタイ還暦で

文字数28439字の頁数132をCOUNTしたところで

再び新しい一page目を迎える為に

明日の元旦に合わせて

今日の大晦日で

この聴心記一巻(詩11)は「終いのページに」したいと想う

 

又、何時か、一歩を踏み出しさえすれば

詩神に見限られる凶事さえなければ

或いは、詩心の枯渇さえなければ

再び何某かの冠を被せて

今度は”詩12”を披歴できるだろう

未来に拡がる唯の無の中に

有の一巻を紡ぎだせるに違いない

 

僕自身もそのことの稀有に望みを託し

幾足りの読み手で居てくれるアナタ方も

そのことに、初夢の吉を重ねて

ともどもにwaitingして欲しいと・・

2017 12/31 14:20:14 万甫

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聴心記.LⅩ(60)

2017-12-30 06:44:29 | 聴心記

                LX(60)「無念なく書き物として」

 

きっとこの六十有余年の間

僕のココロは

膨大な内なる声を挙げて来たに違いないが

 僕がその声に気付き始めたのは

ほんとうにその声を拾えるようになったのは

まだ、ほんの最近のことなのだ

 

十代から二十代にかけて

鼓膜を微動させたものの記憶は

 幽かに残ってはいるが

それは色褪せた影絵のようなもので

朧気な形さえ伴わない

 

それから幾十年もの

長い長い沈黙の時間が流れて

 遠くから木霊のように

それらしきものをcatch出来るようになったのは

最早人生の平均的な長さの

四分の三を失くした後の事だ

 

それから

その声を分析したり分類したり

書き加えたり削ったり

 ようよう僕の口の端に載せられたのは

古来希なる場所の道標が

ぼんやりと見えるようになったこの頃の事だ

 時間で語れば

もはや残量八分の一しかないギリギリのtimingなのだ

 

無駄ではなかった八分の七の名誉の為に

自分を何とか生きた四分の三の誇りの為に

 僕は

僕が放つ内なる声のすべてを

暫くは拾い尽くしたいと決意している

 

無念なく、後悔なく、懺悔なく、遅滞なく

イノチのエキスとessenceを内包する

 その僕の肉声を

僕のイノチの履歴の書き物として残すために!!

2017 12/30 06:44:30 万甫

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聴心記.LⅨ

2017-12-30 06:17:56 | 聴心記

                    LⅨ「一歩なら」

 

一歩ならまだしも

二歩も遅れれば

二度と肩を並べるのは不可能で

人々は何処へ行ってしまったのか?

 見当もつかない

 

一歩なら

曲がり角に消えるまでに

何とか追えるけれど

 何かの手違いのようなもので

もしも三歩も遅れてしまえば

人々には永遠に追いつかない

 

一歩なら

暗闇に掻き消えるまでに

 もしかしたら

追いつけるかも知れないけれど・・

 

親しい人や知っている人々は

僕を悠然と追い越して

次々に先へと行ってしまい

 見る間に姿を隠してしまう

 

何歩も遅れてしまえば

 殆ど

取り返しなど付かないのだ

 

その一歩が

どれ程の深さで、どれ程の闇で

どれ程の高さで、どれ程の乖離で

どれ程の時空の隔たりなのかは

 皆目見当もつかないけれど・・

 

確かに其処から離れると

如何ともし難く

 孤独に蹲っている自分を感じる

身動きできなくなって

 蹲っているしかない己を

 

大きな無念は

 いつでも

易々と一歩なら・・から始まる

 

一歩の大きさを知るために

試行錯誤する日常よ

 意識と無意識と、夢と現と

明と暗を往来する道程の

不確かな一歩の魔力と魅力と・・

 

走馬燈のように

廻り巡る一歩の思惑の不思議よ

 其処に存在する

命の深淵と愛しさよ

12/30 06:17

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聴心記.LⅧ

2017-12-29 21:37:12 | 聴心記

                  LⅧ「不滅の詩詞に」

 

-僕は歩きながら文章を書く-

 

歩きながら

 アノ人への手紙を書く

幼子の使う”お絵かきボード”のように

胸の奥に誂えてある便箋や葉書や

200字詰めや400字詰めの原稿用紙に

代わる代わる必要な分だけ

要りようになった行だけ

 言葉を書き付けてゆく

 

勿論、僕のは架空のboardだから

其の儘に放置しておけば

 直に

時間が掻き消してしまうので

大切な文書や大事な書き付けは

余り間を空けずに取り出すのだが・・

 

ときどき出す宛てなしの手紙を綴ったりもする

僕の中の色々なboku宛に

 或いは

僕の器に記載されている

縁の人の宛先や苗字や名前にも・・

 

歩き出せば何時でも

 胸の用紙を拡げて僕は

取り留めのない想いを筆記してゆくのだ

悪戯に

真実を一行か二行挿入し

 ほくそ笑んだりして・・

 

今書くものは

巡り合う千載一遇の僕の一行になる

 

今読んでくれているアナタへの一編は

僕の一期一会の記念碑になる

 

願わくば

アナタも曰く”同じく”の

不滅の詩詞になって欲しいけれど・・

*2017 12/29 21:36 万甫

 

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聴心記.LⅦ

2017-12-29 03:09:04 | 聴心記

                  LⅦ「八百万の神々でも」

 

枯れないでいたいと念願する

 生死はひとつの連環だが

 イノチを安堵されている間は

飢えないでいたいと祈念する

 

愛するココロと慈しむココロと

許すココロと夢見るココロと

writerであり続ける現実とを

忘れないでいたいと切望する

 

些細な希望を列挙してゆけば

八百万の神々でも足りないが

 僕は唯

様様な”ぼく”として認知できる僕を

僕として表記してゆける間は

 僕を失いたくないと

只管、合掌するのだ

 

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聴心記.LⅥ

2017-12-28 14:42:51 | 聴心記

                LⅥ「永遠のコロナのように」

 

何時ものように僕は

創作現場へと足を向ける

 

是から遭遇するだろう千載一会の象徴が

どんな一行を

如何なる一編を

僕に齎してくれるのか

そのことが僕の曼陀羅にどのように織り成され

それがどのようなKATACHIで

曼陀羅のイノチを彩成してゆくのか

その愉しみHITOTU、心中に輝いて在れば

永遠のコロナのように

僕は何時でも温もって居られる

 

四色のball penと

文庫本サイズのmemo帳を

左右のpocketに突っ込んで

*12/28 14:42

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聴心記.LV

2017-12-28 07:04:28 | 聴心記

                   LV「再生の階kizahasiは」

 

常に、働きかけなければ

何時も、問いかけなければ

倦まず、模索しなければ

 彼の人の言の様に

あらゆる時間や場所や胸の音叉や

命の流離に意識を投影して

自分の存在を、匂い掛けしなければならぬ

 

if、アナタが

此のボクのように

ほんとうにガラン洞の不毛地帯を

 胸中に抱えてしまったと

知らされてしまったTOKIは

 

 -再生の階-は

 その行為の有無の如何で

 或いは

 それに伴う辛苦と等価で

遅速や長短の差異が生じたとしても

誰でもが必ず発見できる

 

千日回峰行の偉大な僧のように

唯の俗人には

気絶しそうな程に

 遠大で厳しい関門だが・・

                    「いつものように」

 

何時ものように

六地蔵の前に膝をついて

目に見えない仏の慈悲に

目に見えないイノチの先の安寧を願って

しずかに合掌する

 

今日の一歩さえ儘ならない剣が峰を

歩くヒトの群れなれば

唯、今日の一歩一歩が恙なきようにと

 血族、親人、縁の人の

*12/28 07:04:28 万甫

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聴心記.LⅣ

2017-12-27 21:32:56 | 聴心記

                     LⅣ「分岐点に」

 

幾つかのchanceは

確かに

自分の手で創り出せる

自分の想いと意思で削り出せるチャンスは

確かに有る

 重要な問題は

果たして

その事に気づいているのか否か

気づいて実践できるのか否か

 其処が

くっきりと明と暗を隔てる分岐点になる

 

無知の自我に

 例え一刻のTimeの価値さえ見い出せない

 

chanceの幾許かは

自ら創り出せるという能動の立場を

 何時でも

胸に刻印して置かねばならぬ

 

僕が毎日senderであるように

僕が日毎writerであるように

僕が意図的にwalkingの余裕を創出するように

僕が当然のように手書きの賀状に拘るように

僕が機器の何倍も手紙を愛おしむように

僕が・・

*12/27 21:32

 

 

 

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聴心記.LⅡ

2017-12-27 06:34:43 | 聴心記

                      LⅡ「adviceを」

 

ちょっと前に

僕は聴心記XLⅥ「極意は」で

 何処かの明日に

手の届く未来の中に

”楽しみ”を創造して彼方此方に鏤めておけば

軽やかに今日を越えてゆけると書いたが

 それでは

今日という差し迫った現実を

skipしながら送迎するには

どんな方策が有効だろうかと

 あくまでも

個人的なadviceをひとつ

 

それは、今日という枠内の全ての時間に

”甲斐”の艶と張りを持たせるという事

 

例えば

夢現の綱渡りに興じたり

朝食べるサンドイッチに挟み込む

 hamuの厚さに迷ったり

待ち受けているかも知れぬ

その日限定の幸運にDOKIDOKIしたり

 

僕なら、今日書く物語に

木霊の様に誰かの声が聞こえてこないかと

 耳を澄ませたり

今日ポストに投函する便りが

相互のココロを往来して

 どんな効能を齎すのか夢想してみたり・・

 

一つや二つは誰にでも訪れる吉事を

思い浮かべては頬を弛ませたり・・

 もしも

そんな機会が素通りしたなら

夕食のスキヤキの白い湯気を想ったり

何処かで是から出会うかも知れない

 運命の人に想いを馳せたり

自分のイノチが

誰かの胸を潤しているのだと言い聞かせて

 幸せの雰囲気に浸ってみたり

 

一日の大概は

そういう風に”愉しみ甲斐”を間配っておけば

眠気に誘われれば

 きっと心地よい寝息を立てられる

上手く事が運ばなくて

部分的な欠損が出来てしまったら・・

 う~ん、そうだな~

僕なら日記や詩に書いて

大方は発散できるのだけれど・・

 

それぞれに一番得手とする方法で

楽しかった今日だったと

 全部まとめて

過去に送り届けるしか無いのかも知れない

 

悪しからず。だけれど・・

*12/27 06:34

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聴心記.LⅢ

2017-12-26 06:53:44 | 聴心記

               LⅢ「amebaのように」

 

いつでもその時DOKIに

百%の自分を抽出してしまうので

暫くはKUUになる

自分というものが

 蛻の殻になるのだ

 

次々に自分を絞り出していれば

いつか

自分が無くなってしまうのではないかと

本当に心配してしまう

 

書ける自分が

百%もどってくるまで

はっきりとそれを確認するまで

百%のUTAは創れない

 

沢山TACUSAN自分物語を書いて

繰り返し再生してきたけれど

何時でもその都度に

百%の自分に戻れるのか慄いてきたけれど

今のところamebaのように

次々に形を変えながら

強かに次の自分に出会えているので

その間はまだ百でも百一でもの

自分物語を綴れると

先行きは楽観しているのだが・・

                  「夜を継ぎ足して」

 

寝不足が続くと

流石に頭がかすれて来るので

正常に作動する範囲では

眠りを補給しなければと算段する

それは人それぞれの基準だが

僕はどうもまだ夜を移動中に

自分の夜明けを迎えてしまうので

かすれに気づいたときは

その残りの夜を継ぎ足して必要量を充填する

けれどなかなか

何時もいつも満足という訳にはいかないのだ

例えば

三時から五時までだったり

五時から六時四十五分だったり・・

何れにしても

冬の真ん中の今は

ただ夜から夜へと移動しているだけだが

                  「書くと読む」

 

書かないで読みたいと思うことがよくある

書くことは

イノチの一部のようなものだから

なかなか林檎を切る様な訳にはいかないけれど

書くことの半分は

読んだり観たり聴いたりのエキスで支持されているので

その割合を増やせば

書くことに立ち止まることなど

未経験のまま過ぎると思うのに

費やす物理的な条件と

持ち運ぶ己が心情の堅牢さにも

彼方此方に綻びが現れるこの頃は

僕が願う程には

読了の書物が積み上がっていかない

 

あの青春の時代には

煌めく哀楽の移ろいだけが目に留まり

あの壮年の頃には

圧し掛かる荷重に翻弄されて

読むことなどは何時でも意識外にあった

 

理を知るのが遅かったのだ

もっと読み込んでいれば

もっと聴き込みもっと鑑賞していれば

きっと今書く一編の意味も内容も

研磨と凝縮と洗礼を受けて

更に重厚な滋味を内包できたかも知れない

 

近頃ときどき

一年の三百日ぐらいは

書かないで読みたいと想うのだ

残る六十日余は

その経過報告に宛てる算段にして・・

                   「涙の滴より汗の匂いに」

 

同じところを堂々巡りしても

同じ場所でどれだけ足踏みを続けても

同じ空気をどれ程の勢いで吸い込んだとしても

それぞれの時間や期間や

 長さや可能性や希望やは

軈て例外なくその身に起きる終焉に向かう

periodのひと呼吸に収束されてゆくのだ

この世でたった一つ違わぬ

最初で最後の約束に

 されば

滞って悲嘆の涙にくれるより

自らの意志で辿り着く場所であるように

己の全てをフル稼働して前へと向かうのだ

”涙の滴より汗の匂い”に

イノチの覚悟を託して

 それが

依り良く自分を生きることに繋がる

*12/26 06:53 万甫 

 

 

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