最高の一枚を
一体どれ程の枚数を記憶とPCに焼き付けたのだろう。きっと、ブログという表現手段に出合っていなければ、多分あなたという他人と巡り会っていなければ、そうして、その貴方と心情を交換する幸せに恵まれていなければ、決して手にすることの無かった枚数に違いない。
海馬の写真庫は、そんな忘れ難くて消し難い映像が満載で、嬉しい悲鳴で溢れそうなのだ。ブログ開始から満五年が経った。僕はとにかく撮りに撮った。愛機のルミックスが無二の親友に思える程に。竹馬の友も斯くばかりと思える程に、何時でも僕の傍に有った。
家族やふるさとの四季や、空や雲や夜明け前や夕暮れ時の色合いや、滴たちの表情や虫食い葉っぱの百相や、人間界と自然界の在りの儘を記録してきた。そうして、膨大な其れはひとつの宝、一つの自慢ひとつの誇りでもある。
無を有に、一遇一会を僕の永遠にした作業でもあって、僕は今その財産に埋もれながらも、ときどき自己陶酔の蜜の味にほくそ笑むのだ。
この間、山里に初めて雪が舞った朝に、何時ものように犬とカメラを道ずれに、時々傘をさして歩きながら、ふと想った。去年の、つまりは2016年の元旦から大晦日までの、たぶん幾千枚には成るだろう画像の中でどれが僕の「最高の一枚」になるのだろうと暫く想いを巡らせたのだ。
真っ先に浮かんできたのは”初冬の城巡り”で一週間ほどもかけてUPを続けた中の一枚、titleも”十秒の奇蹟”としたあの霧中に垣間見た美しい山城「備中松山城」だった。映像と一緒に、あの奇蹟の瞬間は今も生々しく甦る。其処に気が向けば、何時でも忘れ難く、鮮やかに立ち戻って来る風景。恐らくは旅立ちの時にも僕とともにあるに違いない。
二日掛けて辿り着いたのだ。二泊三日の旅はただ”雲海に浮かぶ城”を見るために、撮るために企画された。けれど、その日の岡山県高梁市の備中高梁駅は霧雨が降って重苦しい風景に覆われていた。直前まで、予約していた観光タクシーの一人千円が惜しくなってcancelするか、女房とすったもんだするほど悩んだ最悪の気象条件だったのだ。
駅に降り立ってモーニングの間に幸か不幸か雨は小康状態になった。ならば兎に角!と微かな望み抱いて車中の人になる。ときおり動くワイパーの音に脅されながら右に左に曲がりくねった山腹を二十分走って目的の地に到着。展望台に向かおうとする僕たちに運転手が「次の予約があるので十五分経ったら戻って下さいよ!」と、同情の入り混じった顔で追い打ちを掛ける。
逸る気持ちと、祈る想いを抱えて展望台に到着すればすでに先人が。悠々自適の人達が望遠を装着した如何にも高価そうなカメラを、それを支える太くて頑丈そうな三脚にsetして待機中。お金にも時間にも余裕があるのか、タバコを燻らせながら「今日は無理やろな~」などと宣う。「霧が下から上に動いてるから雨は止まんやろな~」などと勝手放題に会話する。
僕と女房は二階建ての展望台を所在投げに下りたり上ったりしては、乳白色に閉じ込められた眼前の景色に落胆の色を隠せなくなっていった。引き返せ!と念を押された時刻迄残り僅か5分ばかりに成って、九割方諦めに支配されかけていた頃、突然、双眼鏡でその辺りを監視していた人が歓声を挙げた。
「霧が右から左に流れ出したぞ!!」と。「見えて来るぞ!!」と。そうついに出現したのだ。一厘一毛の期待に大自然は応えてくれた。雲中じゃないけれど、否むしろそれ以上に希少な「霧中の備中松山城」がついに網膜に写り込んだ。確かに「十秒の奇跡」だった。十秒後からは雨が本降りに成って来たのだから。
その奇蹟の一枚が、そうして、2016年の「最高の一枚」が此れだ!!
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2017 02/28 07:30:07 まんぼ