降って来るもの

写真と散文とぽえむ

最高の一枚を

2017-02-28 07:30:05 | 随想

        最高の一枚を

 一体どれ程の枚数を記憶とPCに焼き付けたのだろう。きっと、ブログという表現手段に出合っていなければ、多分あなたという他人と巡り会っていなければ、そうして、その貴方と心情を交換する幸せに恵まれていなければ、決して手にすることの無かった枚数に違いない。
 海馬の写真庫は、そんな忘れ難くて消し難い映像が満載で、嬉しい悲鳴で溢れそうなのだ。ブログ開始から満五年が経った。僕はとにかく撮りに撮った。愛機のルミックスが無二の親友に思える程に。竹馬の友も斯くばかりと思える程に、何時でも僕の傍に有った。
 家族やふるさとの四季や、空や雲や夜明け前や夕暮れ時の色合いや、滴たちの表情や虫食い葉っぱの百相や、人間界と自然界の在りの儘を記録してきた。そうして、膨大な其れはひとつの宝、一つの自慢ひとつの誇りでもある。
 無を有に、一遇一会を僕の永遠にした作業でもあって、僕は今その財産に埋もれながらも、ときどき自己陶酔の蜜の味にほくそ笑むのだ。

 この間、山里に初めて雪が舞った朝に、何時ものように犬とカメラを道ずれに、時々傘をさして歩きながら、ふと想った。去年の、つまりは2016年の元旦から大晦日までの、たぶん幾千枚には成るだろう画像の中でどれが僕の「最高の一枚」になるのだろうと暫く想いを巡らせたのだ。
 真っ先に浮かんできたのは”初冬の城巡り”で一週間ほどもかけてUPを続けた中の一枚、titleも”十秒の奇蹟”としたあの霧中に垣間見た美しい山城「備中松山城」だった。映像と一緒に、あの奇蹟の瞬間は今も生々しく甦る。其処に気が向けば、何時でも忘れ難く、鮮やかに立ち戻って来る風景。恐らくは旅立ちの時にも僕とともにあるに違いない。

 二日掛けて辿り着いたのだ。二泊三日の旅はただ”雲海に浮かぶ城”を見るために、撮るために企画された。けれど、その日の岡山県高梁市の備中高梁駅は霧雨が降って重苦しい風景に覆われていた。直前まで、予約していた観光タクシーの一人千円が惜しくなってcancelするか、女房とすったもんだするほど悩んだ最悪の気象条件だったのだ。
 駅に降り立ってモーニングの間に幸か不幸か雨は小康状態になった。ならば兎に角!と微かな望み抱いて車中の人になる。ときおり動くワイパーの音に脅されながら右に左に曲がりくねった山腹を二十分走って目的の地に到着。展望台に向かおうとする僕たちに運転手が「次の予約があるので十五分経ったら戻って下さいよ!」と、同情の入り混じった顔で追い打ちを掛ける。

 逸る気持ちと、祈る想いを抱えて展望台に到着すればすでに先人が。悠々自適の人達が望遠を装着した如何にも高価そうなカメラを、それを支える太くて頑丈そうな三脚にsetして待機中。お金にも時間にも余裕があるのか、タバコを燻らせながら「今日は無理やろな~」などと宣う。「霧が下から上に動いてるから雨は止まんやろな~」などと勝手放題に会話する。
 僕と女房は二階建ての展望台を所在投げに下りたり上ったりしては、乳白色に閉じ込められた眼前の景色に落胆の色を隠せなくなっていった。引き返せ!と念を押された時刻迄残り僅か5分ばかりに成って、九割方諦めに支配されかけていた頃、突然、双眼鏡でその辺りを監視していた人が歓声を挙げた。

「霧が右から左に流れ出したぞ!!」と。「見えて来るぞ!!」と。そうついに出現したのだ。一厘一毛の期待に大自然は応えてくれた。雲中じゃないけれど、否むしろそれ以上に希少な「霧中の備中松山城」がついに網膜に写り込んだ。確かに「十秒の奇跡」だった。十秒後からは雨が本降りに成って来たのだから。
 その奇蹟の一枚が、そうして、2016年の「最高の一枚」が此れだ!!


2017 02/28 07:30:07 まんぼ

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personal-conputerに

2017-02-28 06:00:04 | 
       Personal-Conputerに

重ね着をする”衣更着”から
木草弥生い茂る”弥生”へと
 季節も時間も滞りなく移ろい
我が掌中の月日も又
弛みなく残量を減じてゆく

僕はいつでも
その移ろいの一瞬に生存して
歩きながらそれを活写するべくの
 壮大な実験を挙行中だ
瞬く間のその記録を後で
パーソナルコンピューターに記憶させる為に
ヤツは僕よりは永遠を主張できる

さりとて
誰がそれを開いて
溜息や嘲笑や
 凛々や落涙を見せるかは
予後不良だけれど・・

僕は唯
弥生の空に繋がる茜の
綺麗の極まる夕空に向かって
 今日の僕の
千載一会を進むだけだ

弘法もBuddhaも父も母も
半世紀前も昨日もそうしたように
それ以外に方法がないように
 現世を亘る

* 02/28 06:00:06
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ほんとうは

2017-02-28 03:13:01 | 
        ほんとうは

ほんとうは眠ってはいけないのだ

降ってくるものを根こそぎ
胸のantennaに拾うためには
soulの器に救い上げるためには

ほんとうの其れを伝達して
ほんとうに誰かの
欹てる耳朶の鼓膜を揺らすためには

ほんとうは眠ってなどいられないのだ

* 02/28 03:13:03
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命の弾を!!

2017-02-28 02:49:02 | 
        命の弾を!!

その折々の時刻に発射台を据えて
イザ、暴発せよ!!
サア、弾けよ!!

いつか途切れる月日の
せめて今日の祝砲に。

真夜中にtencountを聞くとも
恐れず点火せよ。

「命の弾を!!」を込めて
決意の導火線に火を点けよ。

もしも
暴発とともに砕けても
恐れぬ
錬達の覚悟を抱えて。

此の丑三つの時刻こ。

* 02/28 02:28
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一篇の詩のような

2017-02-27 06:36:37 | 水玉

一篇の詩のようなものなのだ
僕にとって
水玉達は!!

一期一会の
挨拶を交わす愛しい
水玉達は!!

















まだ、桜の花は頑なに身を縮める。


02/27 06:36:36
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三十年に

2017-02-27 06:13:14 | 
        三十年に

その時間が
長かったのか短い間だったのか
判断は難しいけれど
 僕らの三十年の月日の間に
三人の子供たちは
母親になり父親になった

僕らの時間に
三十年を上乗せして
子たちは
その先の三十年も
 約束されているかも知れない

僕らの
始まりの前にも
お互いの三十年が
 折り重なって存在していて・・

僕はその
 悠久の歴史上の
ト書きの一行のように
存在する身だ

02/27 06:13:13
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Typewriterのように

2017-02-27 06:00:07 | 
      Typewriterのように

胸にモヤモヤが溜まってくると
若しかしたら
 降ってくるもの達がやってくる
前触れかも知れぬと

心情が騒めきだすと
 啓蟄の朝に
居ても立っても居られなくなる
虫たちのように

胸がモゾモゾし始めると
降ってくるもの達の
 気配に違いないと
胸のnoteのpageを開く
 待ち侘びて
春まだ浅い払暁に
萼を解き始める
 花の蕾のように

胸が訳もなく膨らんでくると
降ってくるもの達の愛しさが
 溢れ出す
爺ぢいと叫びながら
手を取りに来る孫の仕草のように

慈しみたいもので
 胸が一杯になってくると
決まって
誰かにも分けてあげたくなって
僕はPCの前に座る
 「サクラサク」を打つ
タイプライターのように・・

02/27 06:00:06
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日の入り前後を

2017-02-26 06:24:33 | 
普通に夜の尻尾を跨いで、02/26 日曜日の早朝04:40に此処に居る僕だ。
 昔のように休日という、些かの歓喜を伴った感慨はもはや失われて、昨日の続きの今日に存在しているという感覚の方が強い。日曜日という名刺で括る必要も必然も無くなってしまった生活は・・。ふと複雑な気分に襲われる。仕方がない。僕は既にそういう日常こそが常態の日時を生きているんだ。曜日に左右されない日常の禍福を。
 語呂のいい04:40に気分よく布団を抜け出してきた。そうして、思いつくままにペンを走らせて丁度05:00になった。pierrotたちの踊り付きの軽音楽が始まる時刻だ。
~~~ヾ(^∇^)おはよー♪ございます
 あれから、先ずはトイレを済ませ洗顔して意識を起立させ、珈琲を濃い目に淹れて傍に置きながら、今日書き込もうと算段していた詩をふたつUPした。もうじき孫が起きてくる。纏わりつかれるとPCの前でなど居られなくなる。用意した昨日の夕方の日の入り前後の、見るたびに千載一会の美しい風景をお披露目しよう

















余りの鮮やかさに無言になる。

振り返れば北東の空は淡青。


02/26 06:46

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足跡を

2017-02-26 06:00:06 | 
        足跡を

真っ白い、真っ新の大地に、僕の足跡を置く

移ろう日々の中で
一個一個の足跡は
必然のように消えてゆくけど
その度毎に
己が網膜に焼き付けた
己が記憶に焼き付けられた像は
失せ難く残存するだろう
(哀楽を選ばず)

今日を行くとはそういう事に違いない

振り返れば
見えても見えなくても
生きた証の分だけ
其処に足跡は残る

滞っていては決して残せぬものだ

例えそれが
哀しみや切なさの起点になったとしても
その足跡の多少は
それぞれの過去から
物語の一括りの章の
一個のclimaxのように蘇っては
 きっとあなたに
微笑みを届けるだろう

起伏は多い方がいい

其其の場面で情感は躍り
そのrhythmが
今を生きる足許を弾ませる
知ってか知らずか、でも
そういう肥沃なる過去からの追伸が
未来の
アナタとボクの扉を開け続ける

其其の命を彫ってゆく日々の作業の
 一つの原動力にはなる

06:00:06 万甫
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僕は今

2017-02-26 05:22:55 | 
        僕は今

さまざまの要素が集束して
ひとつのビッグバーンを生じるように
僕の命を堆積してきた全ての部分が
一つに収斂されて発光する
僕のliveよ!!

与えられている生存期間の
僕が感じ得る最大の至福の時刻を
 恐らくは
僕は今
上梓していると云う感覚がある
 多分
 間違いなく
至福の

* 02/26 05:33
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