降って来るもの

写真と散文とぽえむ

「随想.Ⅰ」を!!

2017-02-06 07:27:31 | 随想
おはようございます!!

この場所で目覚めて3日目の朝、06:06です。
何時もの時間に起床しましたが、なかなかスムーズで違和感もない穏やかな目覚めでしたよ


 きのう日曜の朝、ほんの少し明るさが萌し始めた頃から生憎の(とぼやいても、それは既に2~3日も前から散々予告されていたので、気分の中には織り込み済みの事象でしたが)雨に。
 気温6度。二桁にも満たない気温で風景を濡らしている水滴たちの事を総称すれば、表現の言葉はやっぱり「氷雨」というのが相応しいんでしょかね。そう書いて何の違和感も浮かんでこないところをみれば、そういう描写で間違いはないのだろうと高をくくって書いていたのだが、ふと、もっと別の方法も有るんじゃないのか?との想いが頭を擡
げたのだ。
そうそう、あの東北人特有の朴訥さの歌唱に好感が持てる「新沼謙治」のー津軽には7つの雪が有るーの歌詞のように、天から降って来る「あめ」にも、干天の慈雨の贈り物もあり、憎しみを増幅する豪雨もありで、様々な表情を見せて人心に寄り添うのだろうな~と、何気なく脳裏を過ったそんな想いに突然に捉われてしまった。

 そこで長期間(前回の使用時期も思い出せない程の)店晒しになって、お蔵入り寸前だったこの辞書を手に取ってみたのだ

う~ん、重い。きっと5㎏はある(その重さのお米の袋は何度も持って感触が腕に残っているので比較できる)ぞ。

久し振りに開いて検索してみると、この分厚い辞典の何と見開きの2ページに亘って「あめ」の項が記述されている。一種の驚きだった。というより軽い衝撃を覚えたほどだ。日本語の奥は深い。先人たちの努力と才能に驚愕の拍手を!!だ。余りに文字が小さいので時折に虫眼鏡の世話になりながら、今朝の「氷雨」に匹敵する言葉はないかと言葉の海を這いまわってみる。

「朝時雨」もしくは「冬時雨」でもいいかな。まてまて、「寒雨」も「凍雨」の表記もある。我が住む此の山里に降る雨なら「山雨」とも。それが細かい雨なら「細雨」。「溟雨」と書いてもいいし「絲雨」なら一層連想を容易にしてくれそうだ。静かに降る雨なら「静雨」や「零雨」が、昼過ぎてもまだ降っていた昨日の雨なら「宿雨」とも言えそうだし、ほかにも「積雨」「霖雨」とある。
 切りがない。此の儘どんどん深みに填りそうな予感もするので、其れに今朝は”雨の表記の彼是”を書くつもりじゃなかったので、これで切り上げるが、”雨宿り”するように”あめの森”に寄り道してみるのも満更でもない、そういう風に突然変異して迷路を歩き始めるのも案外に楽しいものだと思いましたよ。
 気をつけて探せば、感性を磨いておけば、彼方此方に隠れているだろう興味を引く題材は頭を擡げ、呼びかければ、扉の向こうにある未知のから贈り物はそっと声をかけてくれるものだと改めて実感しました

 さてさて余談はこれぐらいにして本題に戻ろう。3ヵ月もの間目標にしていた「春立つ日」の旅立ち。つまり”立春”に初めての「随想集」の完成に漕ぎ着けよう!!の想いが、その日、無事に成就したのだ。3:7ぐらいの割合で(夕食にときどき飲む”イモ焼酎”の薄める度合いのようだが)女房の力を(もちろん7の方だ)借りて。まあ、僕の名誉の為に訂正させてもらえば、100%の原稿と、最後の装丁はひとりでやったものなのでそれを加味すれば6:4ぐらいで焼酎の量が多いのかな?と、それぐらいの比率でとにかく部数限定「25部」の随想集の存在が現実となった。








 eoブログが閉鎖されるとの通達があって、何か残せるものはないかと思案した結果ハタと膝を叩いて浮上した企みだったが、それではと!と始めた90日の格闘の末の成果がようように形となった
 
 幸せなことに、何年にも亘って送り続けている”読んでくれる人”も10数人いて、15部ほどは既に行先が決まっているのだが、if、この記事を読んで、もし(突拍子もない夢想ですが)”読んでやってもいい!”なんて思ってくれる人が居れば、手元に届けられる方法と一緒に声掛けをしてくれれば・・。2~3冊は証拠物件として傍に置いておきますが10部ほどは、そんなあなたに届けられるかも知れませんから

02/06 07:27 まんぼ
コメント
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