メザスヒカリノサキニアルモノ若しくは楽園

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「ごらん、世界は美しい」

感動の映画と美しい風景と愛おしい音の虜

とある人生の一日

2005年04月17日 | 思い出
僕は3歳の時にピアノ、14歳の時にギターを始め、バンドなんぞにのめり込むようになりました。
14歳。当時は空前のバンドブームというやつで、日本の音楽シーンは個性的な人達で溢れ、僕にとっては夢のような、とてもいい時代でした。コテコテですがボウイを聞いてロックに目覚め、どうしてもギターが欲しくて、でもウチの家庭はそこそこ厳しい家だったので「ロックは不良だ」の理論の元にギターなんぞは買ってもらえず、僕は空カンを3つ勉強机の上に並べ、マジックでそれぞれに「10円」「100円」「500円」と書き、おじいちゃんや両親やらにいただいた小銭をそん中に全て入れていきました。
若さのエネルギーというやつは凄いですね。視野の狹さが逆に情熱の発熱に拍車をかけるんですね。
カンがいっぱいになると夜中近所の酒屋の自販機に行って、10円玉10枚を投入し、返却レバーを押し100円玉に、100円玉5枚を同じく500円玉に、という具合で500円玉を集めていきました。夜中にぼんやりと光る自販機の前で辺りを気にしてキョロキョロしながら、時々通過する車の音に怯えながら、それを繰り返しました。
どれくらいの期間その貯金をやったか良く覚えていませんが、多分1年弱、お年玉などのボーナスを加え、やっとギターを買えるようになりました。これで自分は無敵になれると真剣に信じていました。
今はもう無くなってしまった、長髪でロックなおっさんがやっている街の楽器屋さんに一人で行き、何の知識もなかったので、たくさんのギターを前にひとしきり悩んで、当時内気だった僕は最大の勇気を出し、店員さんに「このギターとこのアンプを下さい」と言いました。その一言を言うのに頭の中では「引き返すか?買うか?」を何周も繰り返したため僕がギターを買った頃にはそのデパートはもう閉店していました。だので僕は親切なその楽器屋の店員に誘導され一緒に裏口から帰ったのを覚えています。
僕が自分の人生を振り返る時、その時期、その一日がとても大きな意味を持っている気がします。

その日から毎日その楽器屋に通い、スコアを買い集め、色々な曲をコピーしました。当時は本当にギター馬鹿だったから、1日平均10時間くらいはギターを弾いていました。寝るタイミングすら失なっていました。
ボウイやXなど当時流行っていたバンドをコピーし、ラウドネスやヴァンヘイレン、メタリカ、メガデス、なんかを中学生のくせに、ませて弾いていましたね。地域ではちょっとした有名人になれるくらいは、そこそこ上手にはなっていました。
当時はメタル音楽が好きでしたね。
しかし音楽を作る側になると、音楽性に迷いが生じ、高校生の頃はメタル中心ながらもパンク寄りになり、大学の頃には結構パンク的な音楽をやるようになりました。自分は小学生の頃よりブルーハーツを人生の教科書に指定しいていたもので、やはりその影響は隠せなかったようです。
今現在は、過去に好きになった音楽が全部好きなので、クラシック、メタル、パンク、ロック、ジャズ、テクノ、ポップスと何でも聞くようになりました。

話は少し変りますが、僕が3歳から19歳までお世話になったピアノの先生が居ます。
街のピアノ教室みたいな所では無く、個人的に家でやっている教室に通っていました。自分の母親くらいの歳の先生で、優しく、遅刻をしても、練習してかなくても、けっして怒ったりしませんでした。ただ音楽の楽しさを教えることを最優先にしている感じでした。なので幼い頃よりなにかと反抗的な僕でもそれだけ長く続けられたと思います。何度も辞めたいと言いましたが続ける事を勧めてくれた母と先生には今とても感謝しています。
そもそも自分の3歳からの成長を毎週見ていた人は家族以外ではその先生くらいしかいないと思います。
怪我をした僕も、茶髪にした僕も、長髪になった僕も、先生は優しく見守ってくださいました。
僕が最後に参加した発表会では、先生とモーツァルトの連弾を弾きました。僕は下手なのでとても先生の足を引っぱってしまいした。
しかし発表会の締めの挨拶で、先生は「自分の生徒と連弾をやるのが夢でした。」と少し涙ぐんで言ってくださいました。その言葉が今も胸に張り付いています。
また「音楽、楽器をやっているということは、それだけで人生を豊かに過せます。楽器を演奏できるという事は幸せな事です。みなさんも人生で音楽を捨てないで下さい。」とおっしゃいました。とても説得されました。なので僕は今でも音楽をやっています。思った通りにはなっていませんが、音楽をやってきたことは誇りであり、少しの後悔もありません。本当に3歳の時ピアノを始めて良かったと思います。これからも死ぬまで音楽をやっていこうと思う次第です。
ロック幸せ。音楽幸せ。

僕は母に連れられ、始めて先生の家に行った3歳のとある一日を覚えています。
色の塗られた画用紙を使ってドレミの音符を教わりました。
僕の人生のとても大切な一日でした。

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