メザスヒカリノサキニアルモノ若しくは楽園

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俺、恋愛を語る!

2013年01月28日 | なんとなく書いてます
切なく淡い恋愛映画を観たせいか
恋愛というものにまた向い合ってしまう。

テーマは恋愛とは何なのか?ということ。

とにかく僕にとって恋愛とは魂の出来事。
魂のやり取りであり魂の成長の事。

若いころの恋愛は学習みたいなもので、
あの時は若かった
大人になれば又変わる
と、過ぎた人達は悟ったように
デジタルに片付けてしまうが、
僕に言わせれば、
なんの損得勘定も無く
ただただ心が先に走りだしてしまっていた
それこそが真実なのでは、と思う。

だからその頃の感情や行動を今でも大切にしている。
そしてそんな感情をいつまでも探してしまう。

長いこと独身貴族なので、
多分世の中の平均よりは多くの恋愛経験をさせて貰ったとは思うが、
僕が絶対に譲れない部分は
そんなロマンチックな要素である。

寒い冬に二人で星空を見上げるような、
土砂降りの雨の中を走って会いに行くような、
大きな困難に二人だけで立ち向かって行くような、
そういったモチベーション無しでは恋愛は出来ない。

合コンや紹介やそれらしきお店で運命の人と出会うわけには行かない。
こういうことを言うと色々反論を受けるが、
完璧な恋愛は、出会いからロマンチックで無くては行けない。

誰かと出会いに行って出会う恋愛は、
多くの経験を経てきた僕の中では
もう完璧からは程遠くなってしまう。

何か罪悪感にも似た後悔を抱く。
もうそういう思考だから仕方ない。

そして今自分が求めるのは自分の欠けている部分を持っている人。
それが今自分に最も必要なのだと思う。

若い恋愛は共感を求め、
マニアックな自分の趣向と同じ物を持っている女性に、
簡単に運命的なモノを感じてしまうが、
もうそういうわけには行かない。

自分は長いこと一人で生きてきて、
一人で自分の世界を磨き続けてしまったから、
パートナーに共感を求めない。
映画や音楽の評価も自分の中で完結している。

だから自分に無いビジュアルや、明るさや、社交性や若さを求めてしまう。
自分に無い部分を求めるのは本能的な事なのだと最近ようやく気づく。

確かにハードルはどんどん高くなる。
だからあらゆる条件が厳しくなっているのもわかっているが、
妥協する後悔を抱いて生きていく位ならば、
一人で生きていくタフさを求めるべきだと思う。

余り平凡な思考で生きて来なかったので、
もっともっと特殊な事をして、
周りの人がやらないことを、
死ぬまでやり続けて行かなければならないと思っている。

子供が好きで子供にも好かれやすく
とても優秀な遺伝子を持っている自信はあるが、
それを活かすチャンスはどうやら無さそうだ
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