---フランケンシュタインのことを書いた小説は面白い。ふつう怪物が皿を割れば、それは怪物の破壊本能のせいにされがちなものだが、この作者は逆に、その皿に割れやすい性質があったためだと解釈しているのである。怪物としては、ただ孤独を埋めようと望んだだけだったのに、犠牲者の脆さが、やむなく彼を加害者に仕立て上げたというわけだ。そうなると、この世に、割れるもの、砕けるもの、焼けるもの、血を流すもの、息絶えるもの・・・・・・そうしたあらゆる犯されるものが存在するかぎり、怪物はそのすべてを、際限もなく犯しつづけるしかないことになる。もともと怪物の行為に、発明などありっこなかったのだ。彼こそまさに、犠牲者たちの発明品にほかならなかったのだから・・・・・・---
安部公房:他人の顔 より抜粋
この小説は事故により顔中にケロイドができてしまい、決っして人前で本来の顔を見せることが出来なくなってしまった男がその劣等感から、我々人間にとっての顔の持つ意味、顔の必要性などを延々と考察し、他人の顔を手に入れる、安部公房得意の存在不安をテーマにした小説である。上の一節はその主人公の言葉である。}
例えば電車が脱線して多くの被害者が出てしまう。当然誰かが罪を問われる。人々は未来のために罪の所在を探そうと努力する。
罪は何処にあるのだろうか?
・会社のルールに怯えスピード違反をした運転士。
・ミスを嘘の報告をした車掌。
・そのような人材を登用している会社。
・会社のルール。
・レールの構造、そのレールを作った人。
・電車という危険な乗り物を考えた人。(あれだけの質量を持った物質があれだけの速度で動けば、当然そのエネルギーは破壊を産む。)
・電車という危険な乗り物に乗る人。
・急ぐ人。
・急がせる現代社会。
・進歩を止めない文明。
・それを疑問を抱かずに受け入れている我々現代人。
・人類を誕生させた何か。
僕は「この電車が脱線してマンションに激突して死ぬかもしれない」と怯えながら電車に乗ったことがない。つまりその全てを受け入れているに等しい。
僕は、会社に行く時など気持ちが急いでいる時、道を塞ぐすべての物にイラ立ちを感じる。ノロノロ前を歩く人、エスカレーターの出入口などで携帯を出し立ち止る人、自動改札に何回もつっかえて渋滞を作っている人。通勤、通学などの際に乗る電車など、時間が短かいに限る。ほとんどの人がそう考えるから街ができる。電車が早いのは一見嬉しいサービスだと感じてしまう。
このように罪ならば僕の中にもある。こうして考えると、いかなる事件、事故も全員の罪に見えてしまう。
殺人鬼を生む社会が悪い。
強盗を生むお金が悪い。
復讐を生むような愛情が悪い。
罪の所在を探す行為は虚しい。
しかし、もし自分の愛する人の命を理不尽に奪われたら、無意味と知りながらも罪の所在を僕は探すだろう。
それが人間らしさであり、争いが永遠に無くならない事の証明でもある。
もしも大地震がきて僕が被災する。きっと家を建てた業者や、役人の対応や、地震の研究家など、つっこみどころは沢山あるだろうが、その時そこに住んでいた僕が悪い。
僕はそう思うことに決めている。
この世は、いろいろ脱線している。複雑になりすぎた。
安部公房:他人の顔 より抜粋
この小説は事故により顔中にケロイドができてしまい、決っして人前で本来の顔を見せることが出来なくなってしまった男がその劣等感から、我々人間にとっての顔の持つ意味、顔の必要性などを延々と考察し、他人の顔を手に入れる、安部公房得意の存在不安をテーマにした小説である。上の一節はその主人公の言葉である。}
例えば電車が脱線して多くの被害者が出てしまう。当然誰かが罪を問われる。人々は未来のために罪の所在を探そうと努力する。
罪は何処にあるのだろうか?
・会社のルールに怯えスピード違反をした運転士。
・ミスを嘘の報告をした車掌。
・そのような人材を登用している会社。
・会社のルール。
・レールの構造、そのレールを作った人。
・電車という危険な乗り物を考えた人。(あれだけの質量を持った物質があれだけの速度で動けば、当然そのエネルギーは破壊を産む。)
・電車という危険な乗り物に乗る人。
・急ぐ人。
・急がせる現代社会。
・進歩を止めない文明。
・それを疑問を抱かずに受け入れている我々現代人。
・人類を誕生させた何か。
僕は「この電車が脱線してマンションに激突して死ぬかもしれない」と怯えながら電車に乗ったことがない。つまりその全てを受け入れているに等しい。
僕は、会社に行く時など気持ちが急いでいる時、道を塞ぐすべての物にイラ立ちを感じる。ノロノロ前を歩く人、エスカレーターの出入口などで携帯を出し立ち止る人、自動改札に何回もつっかえて渋滞を作っている人。通勤、通学などの際に乗る電車など、時間が短かいに限る。ほとんどの人がそう考えるから街ができる。電車が早いのは一見嬉しいサービスだと感じてしまう。
このように罪ならば僕の中にもある。こうして考えると、いかなる事件、事故も全員の罪に見えてしまう。
殺人鬼を生む社会が悪い。
強盗を生むお金が悪い。
復讐を生むような愛情が悪い。
罪の所在を探す行為は虚しい。
しかし、もし自分の愛する人の命を理不尽に奪われたら、無意味と知りながらも罪の所在を僕は探すだろう。
それが人間らしさであり、争いが永遠に無くならない事の証明でもある。
もしも大地震がきて僕が被災する。きっと家を建てた業者や、役人の対応や、地震の研究家など、つっこみどころは沢山あるだろうが、その時そこに住んでいた僕が悪い。
僕はそう思うことに決めている。
この世は、いろいろ脱線している。複雑になりすぎた。