メザスヒカリノサキニアルモノ若しくは楽園

地球は丸かった 太陽が輝いていた
「ごらん、世界は美しい」

感動の映画と美しい風景と愛おしい音の虜

8、伝えたい言葉があふれそうなほどあった だけど愛しくて忘れちまった

2012年01月12日 | 月夜の散歩
僕が未だ10代だったある日、家族会議の末に犬を飼うことになった。
ペットとはまるで無縁で、世の中の犬好きを誰一人理解出来ない我が家族にとっては非常に大きな変化だった。

知り合いから譲ってもらえるということで両親が貰いに出かけた。
僕は家でそわそわと待っていた。

僕と愛犬との出会いは母の腕の中。
母が優しく抱えたタオルの中に両手に収まる程小さな白いトイプードルの赤ちゃんが居た。
我々家族5人はみんなで覗き込んでいた。

それは信じられない程可愛くて、世界の悪意を全て白く塗りつぶせる程の純真を感じた。
無駄に繊細で研ぎ澄まされ過ぎていた10代の僕にはそれはあまりにも衝撃的な出会いだった。

テーブルの上に乗せてもフラフラとするだけで可愛かった。
健在だったじいちゃんは「羊みてーだな」と言った。
犬嫌いだった父も何事もなかった様に不器用に可愛がった。

僕はその子を当時大好きだったJUDY AND MARYから由来してジャムと名付けた。
みんな賛成してくれた。

僕も兄もシャイで10代だったせいもあり、当時我が家は非常に会話が少なかったが、
ジャムの登場をきっかけに灯りが点いたように家族の空気が変わった。
ジャムを中心に何時も家族が集まっていた。

犬がこんなに小さいとは思わなかったので、こんなんで生きて行けるのか?と不安になった。
すぐに病気にでもなって死んでしまうのではないだろうか?と。

しかしジャムは健康的に育ち、
子供を産み、
そうして17年間もの間我が家の家族として、アイドルとして優しい気持ちを与え続けてくれた。


その間、マイナス思考な僕は何時もジャムが居なくなってしまったらどうしようという不安を抱いていた。

まさに「遂に」という気分だったが、ジャムは死んでしまった。

ずっと殆ど死んだような状況だったが、
それでもその鼓動が止まった瞬間、後頭部を殴られたような衝撃だった。



僕と出会った時と同じように母の抱いた毛布にくるまってその鼓動を止めた。

僕は出会ったときと同じように覗き込んでいた。




ジャムは風になり星になり宇宙になった。

この宇宙は有限であるのだが、
時の流れにも終わりが来るのだが、
愛情は無限なんだと知った。

僕や家族はジャムの一生に変わらず愛を注ぎ続け、
ジャムはただ健気にそれに答えていた。
エントロピーが増大したとしても愛情は変わらない、
少なくとも僕はそのように感じた。
それは宇宙の果ての果てでも変わらないと、
そんな風に感じていた。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。