メザスヒカリノサキニアルモノ若しくは楽園

地球は丸かった 太陽が輝いていた
「ごらん、世界は美しい」

感動の映画と美しい風景と愛おしい音の虜

おばあちゃん

2012年05月08日 | 周辺の人々
先日、映画を見終わって携帯の電源を入れると父からメールが来ていた。

おばあちゃんが亡くなったとの事。

100歳と8ヶ月。
去年の秋頃から食事も水分も取れなくなっており、
年を越すのも難しいと言われていた。

十分覚悟していたが5月まで頑張った。
100歳まで生きただけではなく、
90歳過ぎまで全然元気だった。

なにより他のお年寄りと違ったのは全然ボケていなかった事。
90歳過ぎても、
自分が何故生きているのか?
この歳になっても人生の意味がわからない、
と思春期の若者みたいな事を何時も悩んでいました。
そんな姿を見て、老人が惚けれないのも可哀想だなとよく母と話した。

人はある程度歳をとったら、
多少は物忘れがひどくなり、
論理的思考が億劫になり、
不毛な悩みが気にならなくなり、
優雅に穏やかな心で人生の終盤を迎える様に出来ていると思う。

おばあちゃんは残念ながらそうでは無かった。
流石に数年前から支離滅裂な発言が増えて
コミュニケーションも難しくなってきていたが、
本人しかわからない閉ざされた世界に入り込んでいるような感じだったが、
多分人生の苦悩だけはそこに存在している様に見えた。

僕はそんなおばあちゃんが好きだった。
僕もそうありたいと願っている。

おばあちゃんはアニメや漫画で描かれるような
優しいおばあちゃんでした。
小さくていつでもニコニコしていて、
おじいちゃんに理不尽に怒鳴られていて、
誰が見ても悪くないのに堪えて決して反論せず、
我々客人には笑顔を絶やさなかった。

我々孫に何時もお小遣いをこっそり渡すので
母や叔父叔母にも怒られていた。

流石に納得出来る死ではあるが、
故郷を一つなくしたような寂しさがこみ上げてくる。


小さいころ一人でおばあちゃんちに泊まりに行った。
おばあちゃんに手を引かれて買い物に行った。
いかにもおじいちゃんおばあちゃんが暮らすような
田舎の町並みだった。
僕は柔らかい安らぎの中に居た。

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