11月2日(火)
このところ、1学年で問題が勃発している。
思春期・反抗期特有の問題とばかりともいえない。
複雑な背景や家庭環境、人間関係も絡んできている。
私自身も対応や判断に困ったり、迷ったり、悩んだりすると、同僚や上司に相談し、アドバイスを受けたり、愚痴を聞いてもらったりするのだが・・・。
時には我が子たちに聞いてもらって、子どもの立場や、かつての中学生の気持ちになって考えてもらったりする。すると、けっこう、鋭い視点の的確なアドバイスが返ってきたりする。
先月、校長先生が、
「問題を起こす生徒は、我々教師に『問題を提起してくれている』と思って、あきらめずに向き合い、関わってほしい。最終的にその子を救わなければ、問題は解決されないのだから」
とおしゃった。
まさに、その通りだと思う。
我が子を振り返っても、今まで関わってきた教え子たちもそうだった。
彼らが抱えている問題や、引き起こす問題に共に悩み、振り回され、気力・体力ともに消耗させられはしたが、それ以上に彼らから教えられること、得るものは大きかったし、何より、それを一緒に乗り越えたという達成感と自信は、自分にとって教師を続けるうえでのかけがえのない土台になっている。
また、1年間という任期の中で解決できなかったこと、期限切れで、後任に託すしかなかったこと、数々の失敗経験なども、それを繰り返さないための貴重な経験として、自分の中で、時にストッパーとなったり、起爆剤になったりしている。
私は、生徒たちには『ウザい』『口うるさい』先生で、でも、怒っても怖くない『ヌルイ』先生に思われている。
子どもは正直で、人によって態度を変える。
怖い先生の前では緊張して、借りてきた猫みたいになって神妙にしているが、怖くない先生の前ではふざけたり、反抗したり、無視したりする。
罰を与えられると、逆恨みするような者もいる。
ある男子生徒が、
「怖い先生には謝れるけど、○○先生(私のこと)はぬるいから恥ずかしくて謝れない。」
と言っていたと聞かされ、
ある女子生徒は私には面と向かって、
「先生が怒っても、顔が怖くないから迫力ない」
と言われた。
私も自分でも甘いかな、ぬるいかなと思う時はあるが、自分自身、権力で押さえつけたり、キュウキュウに締め付けられるのが嫌いなので、その甘さや緩さが出ているのかもしれない。
でも、ここだけは譲れないというか、自分でも人格が変わるぐらいに怒る時はある。
他人の失敗を嘲笑すること。
他人を陥れるような卑劣な行為。
いじめ。
刃物の誤った扱いをした時。
自分の作品も他人の作品も大切にしないとき。
命にかかわるようなふざけた行為。
そういうことを見つけたり、そう状況になった時は半端じゃない怒り方をするらしい。(生徒談)
『ウザい』『うるさい』と言われるのは、靴紐がほどけていたり、授業中の姿勢が悪かったり、目にかかりそうな髪型、配膳の際の髪の毛や、手洗い、掃除のチェックなど、生活面での指導が細かいからかもしれない。
ああ、『うるさい』のは声が大きいせいもあるかなあ…。(演劇部顧問だし)
でも、時に、まるで怒ってほしいの?と言うぐらい、『かまってかまってオーラ』全開の生徒もいる。(わざわざパンツの柄を見せに来たり)
私が他の生徒と話していたり、注意していると、わざと割って入ってきたり、そばで何かやらかしていく奴、もとい、生徒もいる。
挙句の果てに、「ママ、後はよろしく~!」とやりっぱなしで走り去っていく輩まで…。
女子には格好のからかいネタになっているときもある。
妹には、
「お姉ちゃんは、見た目(体型)も仕草も歩き方まで着ぐるみみたいだから。」
と言われた。
末娘には
「ママ、生徒になめられてるね。」(そう言うあんたが一番なめてる!)
いまさら、眉毛剃って目を釣り目にメイクして強面にしたところで、
「何のイベントメイク?」
と笑われるのがオチだから、自分のキャラは変えずに、『ウザい』言われようが、『しつこい』と言われようが『うるさい』と言われようが、『ヌルイ』と言われようが、『着ぐるみ』と言われようが、譲らないところは譲らず、己の信念を貫きとおすしかない。
基本は、
『逃げない、ブレない、諦めない』(by前前任校校長)で、
『生徒にとって一番いいこと』を考える。(by現勤務校校長)
かつて長男に言われた『終わってない先生になってね』を目指して。
なんだか、愚痴に始まって、しょうもない自己完結で終わってしまった。
読んでくださってありがとうございます。そしてごめんなさい。
*(ラーメン)*
このところ、1学年で問題が勃発している。
思春期・反抗期特有の問題とばかりともいえない。
複雑な背景や家庭環境、人間関係も絡んできている。
私自身も対応や判断に困ったり、迷ったり、悩んだりすると、同僚や上司に相談し、アドバイスを受けたり、愚痴を聞いてもらったりするのだが・・・。
時には我が子たちに聞いてもらって、子どもの立場や、かつての中学生の気持ちになって考えてもらったりする。すると、けっこう、鋭い視点の的確なアドバイスが返ってきたりする。
先月、校長先生が、
「問題を起こす生徒は、我々教師に『問題を提起してくれている』と思って、あきらめずに向き合い、関わってほしい。最終的にその子を救わなければ、問題は解決されないのだから」
とおしゃった。
まさに、その通りだと思う。
我が子を振り返っても、今まで関わってきた教え子たちもそうだった。
彼らが抱えている問題や、引き起こす問題に共に悩み、振り回され、気力・体力ともに消耗させられはしたが、それ以上に彼らから教えられること、得るものは大きかったし、何より、それを一緒に乗り越えたという達成感と自信は、自分にとって教師を続けるうえでのかけがえのない土台になっている。
また、1年間という任期の中で解決できなかったこと、期限切れで、後任に託すしかなかったこと、数々の失敗経験なども、それを繰り返さないための貴重な経験として、自分の中で、時にストッパーとなったり、起爆剤になったりしている。
私は、生徒たちには『ウザい』『口うるさい』先生で、でも、怒っても怖くない『ヌルイ』先生に思われている。
子どもは正直で、人によって態度を変える。
怖い先生の前では緊張して、借りてきた猫みたいになって神妙にしているが、怖くない先生の前ではふざけたり、反抗したり、無視したりする。
罰を与えられると、逆恨みするような者もいる。
ある男子生徒が、
「怖い先生には謝れるけど、○○先生(私のこと)はぬるいから恥ずかしくて謝れない。」
と言っていたと聞かされ、
ある女子生徒は私には面と向かって、
「先生が怒っても、顔が怖くないから迫力ない」
と言われた。
私も自分でも甘いかな、ぬるいかなと思う時はあるが、自分自身、権力で押さえつけたり、キュウキュウに締め付けられるのが嫌いなので、その甘さや緩さが出ているのかもしれない。
でも、ここだけは譲れないというか、自分でも人格が変わるぐらいに怒る時はある。
他人の失敗を嘲笑すること。
他人を陥れるような卑劣な行為。
いじめ。
刃物の誤った扱いをした時。
自分の作品も他人の作品も大切にしないとき。
命にかかわるようなふざけた行為。
そういうことを見つけたり、そう状況になった時は半端じゃない怒り方をするらしい。(生徒談)
『ウザい』『うるさい』と言われるのは、靴紐がほどけていたり、授業中の姿勢が悪かったり、目にかかりそうな髪型、配膳の際の髪の毛や、手洗い、掃除のチェックなど、生活面での指導が細かいからかもしれない。
ああ、『うるさい』のは声が大きいせいもあるかなあ…。(演劇部顧問だし)
でも、時に、まるで怒ってほしいの?と言うぐらい、『かまってかまってオーラ』全開の生徒もいる。(わざわざパンツの柄を見せに来たり)
私が他の生徒と話していたり、注意していると、わざと割って入ってきたり、そばで何かやらかしていく奴、もとい、生徒もいる。
挙句の果てに、「ママ、後はよろしく~!」とやりっぱなしで走り去っていく輩まで…。
女子には格好のからかいネタになっているときもある。
妹には、
「お姉ちゃんは、見た目(体型)も仕草も歩き方まで着ぐるみみたいだから。」
と言われた。
末娘には
「ママ、生徒になめられてるね。」(そう言うあんたが一番なめてる!)
いまさら、眉毛剃って目を釣り目にメイクして強面にしたところで、
「何のイベントメイク?」
と笑われるのがオチだから、自分のキャラは変えずに、『ウザい』言われようが、『しつこい』と言われようが『うるさい』と言われようが、『ヌルイ』と言われようが、『着ぐるみ』と言われようが、譲らないところは譲らず、己の信念を貫きとおすしかない。
基本は、
『逃げない、ブレない、諦めない』(by前前任校校長)で、
『生徒にとって一番いいこと』を考える。(by現勤務校校長)
かつて長男に言われた『終わってない先生になってね』を目指して。
なんだか、愚痴に始まって、しょうもない自己完結で終わってしまった。
読んでくださってありがとうございます。そしてごめんなさい。
*(ラーメン)*
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