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『五十にして天命を知る』~今年の総括~

2011-12-25 12:00:00 | 徒然なるままに
12月25日(日)

一昨日から冬休みに入った。
「師走」の名の通り、忙しい毎日だった。いや、それは、12月に限ったことではないが…。
とりあえず、4月から、1日も怪我や病気で休むことなく、元気に(?)この9ヶ月間を勤め上げることができた。
 畑の違う専門外の仕事ばかりで、戸惑うことも多く、周りに迷惑をかけてばかりで、自信をなくすことばかりだった。
 でも、子どもたちに応援され、同僚達に支えられ、管理職先生方のご指導、、保護者の方々のご理解とご協力を得て、何とか、どうにかこうにかやってこられた。
 一時期、12Kg減ってしまった体重も、順調に(???)戻りつつあり、出なくなった声も、しわがれ声ながら(妙にドスの利いた声)、筆談ではない授業ができるようになった。
 先日の個人面談も、やる前以上の手ごたえを感じられる実りある面談となり、離任までの後3カ月の担任を、精いっぱい勤め上げるやる気と責任と喜びを感じられる面談だった。
 私の中で、どうして今年は小学校に縁があったのか、その答えと、これからの私が目指す方向性を考える大きな土台作り、準備のために必要な機会であり出会いだったということを改めで実感できた。

 私は、今年の7月で51歳を迎えた。

『五十にして天命を知る』

長男が大学を無事卒業し、4月からは社会人としてスタートができた。
長女が成人し、自分の夢をかなえて活躍中。
末娘が高校に入学。アルバイトを始めた。
子どもたちがそれぞれ成長したことを喜び合える春先に、とんでもないことが起きた。
3月11日の東日本大震災。私の故郷石巻をはじめ、東北地方を中心に、日本中の歴史が変わる未曽有の災害が起きた。
我が家は幸い、津波にも流されず、奇跡的に両親は無事だった。
でも、すぐにはかけつけられず、私が石巻入りしたのは、8月に入ってからだった。
8月1日の川開きを見、8月9から再び帰省し、娘たちと一緒にボランティア活動をした。
そこで、見聞きしたこと、感じたことを千葉に帰ってから、子ども達に、保護者に、同僚に、たくさんの人たちに伝え、発信してきた。

 すると、それまで、石巻に縁も所縁もなかった人たちが、それぞれのやり方で、支援の手を差し伸べてくださるようになった。
 しょっちゅう帰れない私に代わって、ボランティアに行ってくださった方、私の話をお母さんから聞いて、いてもたってもいられずに、仲間を集めて石巻にボランティアに行ってくださった方もいる。
 子どもたちも、節電や義援金など、意識的に協力をし、家の人にも呼び掛け、TVの特集番組を見ては、私の話を家でもするのだそう。被災地の小学生に向けて、心温まるメッセージを書き、被災地応援ソングを泣きながら歌う子ども達に、私はどれだけ励まされてきたことか…。
 この子ども達の故郷も、いつか同じような災厄が襲う可能性は非常に高い。すでに、『想定されていること』なのだ。

 私は、私自身の『宮城県沖地震』の被災者という体験と、今回の被災地出身者という立場から、まだ大きな震災にも津波にも遭っていない子どもたちが一人でも「自分の身は自分で守れる」ように、しっかり伝えるべきことを伝え、教えるべきことを教えて行かなくてはならない。それが、このたび亡くなった方々の御霊を供養することになるのだと信じて。
 だから、帰れない分、向うで活動ができない分、今立っている場所で、私は発信し続ける。地震の怖さを。津波の恐ろしさを。命の大切さを。『復興』の難しさを。人の温かさを。災厄は、いつどこに起きてもおかしくないという危機感と、「自分の身は自分で守る」という術を。今、被災地に何が必要なのかということを。

 そして、いつか、また帰ることができたなら、私にできる精一杯を、全身全霊をかけて、全力で尽くしたいと思う。
 石巻が元通りになることはあり得ない。亡くなった人や場所や物は戻らない。
 でも、地震や津波に襲われるより前の町よりももっと、地震に強い、津波に負けない、たくさんの人の命を守ることができる街づくりやネットワークづくりができる石巻に生まれ変われることはできるはずだ。
 助かった人の数だけ、そのKnow Howがあるはずだ。
 亡くなった人、未だ行方不明の人の数だけ、反省材料、検討課題があるはずだ。
 それらの取り組みは、時間がかかり、費用もかかることかもしれないけれど、生き残った人たちに託された大切な使命だ。多くの犠牲を無駄にしないためにも…!

 失ったものの大きさの前にうち拉がれて、いつまでも立ち上がれないでいても、前には進めない。
 失ったもの以上に大切なものや思い出を作ろうと、まずは立ち上がり、前に一歩踏み出さなくては。
 故郷の海は、多くの物を奪ったかもしれないけれど、今までも、これから先も、故郷に、たくさんの恵みを与えてくれる。
 自然を侮らず、上手に利用しながら、地球に優しい生き方を考え、それを実践して行くいい機会を得、自分たちは『試されている』んだという自覚を持つことが大切なのかもしれない。

来年と再来年は、いつか故郷にとって『甲斐ある人』と言われるように、修業を積みながら、発信し続け、できる支援を続けていく年にしたいと思う。

1月2日に、中学校の同級会がある。
自分たちも被災して大変な中、この会を立ち上げてくれた幹事の同級生たちに感謝し、万難を排して駆け付け、手伝いたいと思う。


この1年は、個人的にも波乱万丈の1年だった。
『心の震災』はまだ決着はついてはいないが、自分の中では、整理と決別はつきつつある。自分自身の世間知らずな部分や、これからわきまえておかなければならないことなど、生きていくのに必要な知恵や情報や段取り、面倒な手続きとの向き合い方、取り組み方を学ばねばならない。それが、自分の第2の人生に踏み出すためのパスポートならなおのこと。
 そのためにも、自分の身体のメンテナンスや、先立つモノの確保について、怠りのないようにして行かなくてはならない。健康とお金は、無くなってしまってから慌てても遅いのだ。

 さて、今年もあと1週間を切った。来週の日曜日は元旦だ。
気持ちよく新年を迎え、スタートできるよう、『今年の課題は今年のうちに』片付けよう!

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