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交流

「夏の庭」

2003-07-20 08:06:00 | 徒然なるままに
7月6日(日)

東京芸術座の「夏の庭」を見てきた。

ストーリー

町外れのゴミ屋敷に、一人暮らしの老人がいた。
6年生の男の子3人は、この老人を「観察」し始めた。
生ける屍のような老人が死ぬ瞬間を自分の目で見るために。
夏休みを迎え、少年たちの好奇心は日ごとに高まるが、不思議と老人は、日増しに元気になった行くように見える。
いつしか少年たちの「観察」は、老人との深い交流へと姿を変え始めていく。
3人の少年が抱えるそれぞれの家庭の問題や、老人の戦時中・戦後の思い出や生き方を織り交ぜながら、命の重み・年をとるということの意味・生きるということと、死ということについて、少年たちが真剣に向き合っていく。
喪われ逝くものと、決して失われぬものとに触れた少年たちの夏休みは終わり、やがて、小学校卒業の日を迎える。
老人亡き後も、老人は、少年たちの心の中に行き続け、心の拠り所になっていた。
何かに躓いたとき、迷ったとき、悩んだとき、いろんなときに、いつも
「こんな時、お爺さんだったらどう思うかなあ。」
「どう言うかなあ」
「どう行動するかなあ」
そして少年は、自分で考え、自分で結論を出し、自分で決めた道を歩みだす。
「きっとお爺さんだったらこう言うよ」

原作は同名の小説で、映画化もされているらしい。
脚本・演出・舞台美術も良かったが、役者がとても素晴らしかった。
少年たちの役は若い女性が演じていたが、観客の子どもたちが、後で絶賛していたが、「本当に12歳の男の子に見えた」というぐらい、上手だった。思春期の入り口にいる男の子たちを見事に演じていた。

また、お爺さん役がとても存在感のある役者さんだった。
少年の台詞(独白)に、
「もしかしたら年をとることは楽しいことなのかもしれない。年をとればとるほど、思い出は増えるのだから・・・。」とか、
「おじいさんは、充分立派に生きたのだ。ぼくもがんばるよ・・・。ぼくはおじいさんに心の中で話しかけていた。」
というのがあり、老人役の演技同様、心に響く台詞だった。

帰宅後、中3の息子が、
「今日の(劇)良かったね。」
と言った。
今まで、どんな劇やコンサートなどの舞台を一緒に見に行っても、彼が自分からこう言ってくることはなかった。
彼は、以前、原作の小説を読んでいたと言う。
彼は原作のほうが面白いとも言ったが、劇は劇で「良かった」と思うのだそうだ。
3人の少年の設定に、自分を重ねるところがあったのだろうか・・・。

「夏の庭」。原作を読んで、映画版もぜひ見てみようと思う。

中学総体。息子の勇姿に、思わず鳥肌!

2003-07-20 07:23:00 | 徒然なるままに
7月19日(土)

息子の中学最後の総体の応援に行ってきた。
スポーツセンター前の渋滞にはまり、後半の残り15分ぐらいしか見られなかったが、息子の勇姿が見られただけで満足だった。
ゴールキーパーの彼は、常にメンバーに大声で声をかけ、みんながそれに答えてくれる。
グラウンドいっぱいに響き渡る声で、
「がっちり守るぞー!」
と叫ぶ息子の雄たけびを聞いたとき、思わず鳥肌が立った。

1-0で勝ち、試合後相手チームと握手をしたり、相手校のベンチに挨拶に行ったり、チームメイトと肩を抱き合い、お互いの健闘をたたえ合い、勝った喜びを分かち合う姿を見て、その表情のすがすがしさに思わずジーンと来てしまった。

中学入学時は、第1希望の陸上部がなく、長身を活かしてバスケ部に入り、中2の夏には頑張ってレギュラーを勝ち取ったものの、他の個性的なレギュラーメンバーの中で、思うようなチームプレイができず、2学期早々にサッカー部に移籍。
2年の時はあまり練習熱心ではなかった息子が、3年になり、総体に向けて毎日ドロドロになり、生傷が絶えないほど部活に熱心になっていった。
高校に行ってもサッカーを続けたいと言い、先日の3者面談でも、「どんな球にも喰らいついて行く根性があり、教えたことを素直に吸収し、挑戦して会得することができるようになった。」と褒めていただいた。
1・2年の時の嵐のような日々を考えると、かなりの落ち着きと成長を感じられるようになった。
総体が終わったら、次なる「目標」に向かって、どう気持ちを切り替えて集中していくのか親としては半分不安で、半分楽しみである。
自分の1度しかない人生である。
人生を切り拓いていくのは他の誰でもない自分自身。
どんな選択をしても、自分の責任。
親としてのできる限りの応援はする。
これからの半年間。初めての受験生の母として、頑張って彼を支えていこう。

明日は第2試合。相手は強敵で、攻めのチームなのだそうだが、悔いのないよう頑張ってほしい。

オーストラリア、父島そして穂高へ・・・。頑張れ妹!

2003-07-19 07:58:00 | 徒然なるままに
7月18日(金)

妹が穂高に出発した。
今月はじめに体調を崩し、10日遅れの出発となった。
今日はふもとの国民宿舎に泊まり、明日の朝から5時間かけて、仕事先の燕山荘を目指して山を登る。
下山し、帰宅するのは9月中旬。
彼女の夏が、健康で、実り多い素晴らしい毎日であることを願う。

妹は3月にオーストラリアから帰国。また4月から1ヶ月小笠原の父島に仕事に行き、今度は穂高の山小屋生活。
その間は、我家から高田馬場までデザインの仕事に行くと言う、目まぐるしくもアクティブな生活。
それが秋のグループ展に、どんな成果となって表れるか、今からとても楽しみだ。

妹が我家に来てくれて助かったことはたくさんある。
私にとっても、愚痴を聞いてくれたり、気付いたことを率直に言ってくれたり、家事や子守りを手伝ってくれたり。6月の泊りがけの大学の合宿に参加できたのも、彼女が家の事を一手に引き受けてくれたからだ。本当に感謝している。
子どもたちにとっても、第三者的な見方や、日本を外側から見たり、実社会で腕一本で食べている人間、目標のために常に行動的である人間、そこに至るまでにはそれなりの葛藤と苦労があった人間の生の話を聞くというのは、それぞれそれなりに意義があったと思う。
そして何より、受験生の長男のこと、不登校の長女のこと、私自身も大学の通信教育を始めたばかりで、末娘に対して余裕のないところを本当にカバーしてくれた。
子どもたちは妹が好きで、特に末娘は、顔も自分にそっくりな妹が大好きだ。夏休み、一緒に遊べないのをとても残念がっている。

今日は終業式。明日からいよいよ夏休みだ。
夏のスクーリング、夏のイベントとてんこ盛りの暑くて熱い夏になりそうだ。

43歳。ばんざい!

2003-07-18 00:00:00 | 徒然なるままに
7月17日(木)

今日は私の43回目のBirthday。
朝、ネットフレンドからトリトンのイラスト入りメッセージが届いていた。
とっても嬉しかった。
その後にも、お祝いの書き込みや、メールアドレスのほうにも、ネットサーフィン中に、私の誕生日を知ってメールを下さった方がいて、驚いたり嬉しかったり。
ネットってホント、ステキな出会いのきっかけがたくさんあって、すごいなあと思った。
皆さん、本当に、どうもありがとうございました。
これからもどうぞよろしくお願いします。

今日は、3月の卒業式のときに髪を切って以来行ってなかった美容院で、カット&白髪染めをしてきた。
夏らしく、ちょっとボーイッシュなショートカット。
ちょっと見た目は、中学生っぽい感じ?およそ、40過ぎの大人の魅力というのには程遠い感じですね~。
ま、私も一応は女優のはしくれなもんで、キメル時はキメる、化ける時は化ける。なんだか「もののけ」みたい???

夕方は、ソーランを教えている小2・3年の女の子たちが遊びに来て、お祝いをしてくれた。お母さんと一緒に造ったと言うビーズ細工をプレゼントしてくれた。
うう・・かわいい!うれしい!!(感涙)

夜は、末娘と妹の合作バースデーケーキと手巻き寿司で、みんなでお祝いしてくれた。

いつの頃からか、年をとることを嫌がったり、素直に喜べなくなったり、焦ったりするようになっていた。
こんなにたくさんの人がお祝いをしてくれる誕生日。
母が命がけでこの世に送り出してくれた大切な日を、私は、ここ何年か、すごく粗末に過ごしてきたかもしれない。
なんだか、申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
これからは、1年1年を大切に精一杯充実させて生きていきたいと思う。
10年、20年と経った時、「いい年を重ねてきたんだね」といろんな人たちから言ってもらえるような生き方をしていきたい。
そのためにも、笑顔と出会いを大切にしよう。
そして、自分のためにも、子どもたちのためにも、元気で長生きしなくっちゃ!
去年から今年にかけては、本当に人生の一大転機だった。
今、こうしていられるのは、私を支えてくれるみんなのおかげです。
これからの私は、精一杯生きて夢を実現させることで、感謝の気持ちを表していこうと思う。

43歳。ばんざい!

地引き網&バーベキュー&ソーラン!

2003-07-17 20:23:00 | 徒然なるままに
7月12日(土)

九十九里浜蓮沼殿下海岸の地引き網ツアーに参加してきた。

朝方は雨でがっかりして出発したが、現地に着くと水平線も見えないぐらいもやがかってはいたが、雨はあがっていた。
さすがは九十九里浜と言うだけあって、広くて長い砂浜だった。
何とか雨にあたらずに1時間ほどで地引き網を終え、次は海の家の前で、魚の下ごしらえ。
いわしの頭と内臓取り。最初はキャーキャー気持ち悪がっていた女の子たちも、慣れてくると、みんな黙々とやり出すから不思議だ。
いかのわた取りも、教えれば3歳児だって立派にできる!
目の前で、大きなボラが三枚におろされ、美味しそうなお刺身に造られいていく。
切り落とした頭の中で、まだえらがパクパク動いていたり、取り出した心臓がまだ動いていたりすると、子どもたちの目はまん丸!
さっき頭を取ったいわしがから揚げになって出てきた。
その柔らかいこと美味しいこと!!!
そのうち、いかのぽっぽ焼きや焼きとうもろこしができた。
みんな、思いっきり食べた。
いつもは中骨を残しちゃう子も、尻尾まで丸ごと食べた。
「お魚って美味しいねえ!」とニコニコ顔の子どもたちを見ているお父さんやお母さんたちの顔もニッコニコ!

昼食後、今度は、海をバックに、ソーランを踊った。
お父さんたちが振る手作り大漁旗の向こうには、黒潮踊る太平洋。
青空ではなかったけれど、寄せては返す波の音と、多喜雄さんの歌声に乗って、アンコールを含めて3回も踊った。
いつも、練習の時に言っていたことを肌で感じながら、子どもたちは重い砂地もなんのその、力いっぱい、元気いっぱい踊っていた。

帰りには、皇太子夫妻も立ち寄られたと言う『いわし博物館』で、泳いでいるいわしの大群や、本物の大漁旗や万祝(長半天)を見学した。

帰りは青空のもと、光る海原を後にして、みんなで「お魚天国」や「世界にひとつだけの花」を歌いながら帰った。

準備や当日の段取りを頑張ってくださったスタッフの皆さんに、心から感謝いたします。
貴重な体験と、楽しい1日を、どうもありがとうございました。

いつも『笑顔』を忘れずに・・・・。 ~「風水講座」に参加して~

2003-07-17 07:18:00 | 徒然なるままに
7月9日(水)

娘の友達のお母さんに誘われて、風水の講演会に行ってきた。

「風水」は以前から興味はあったが、講演会は初めてだった。
講師の先生の開口一発は、
「『西に黄色いものを置く、財布は黄色いものが金運を呼ぶ』と言う類のものは『色風水』。風水の本質は、宇宙の原則を知ることです。」

いろいろためになる話の中で、とても印象的な話をいくつか書き留めておこう。

四柱推命で、吉運の年と大凶の年がある。
吉運の時は、
・明るい希望が見える。
・いろいろなものが見える
・良いところも悪いところも見える。
・悪が目立つ
凶運の時は、
・暗く希望が見えない
・いろいろなものが見えない。
・良いところも悪いところも見えない。
・頑張ってみても認められない。

がしかし、これを逆に見ることも必要なのでは?
大吉の時こそ、調子に乗って、周りへの感謝のは忘れていると、必ず焼きもちや妬みなどから過去のことをばらされたり、訴えられたりして、悪いことまで明るみに出たりするのだそうだ。

あの、鈴木●男氏も、野村●代さんも、時代の申し子のように、持て囃されている最中に捕まり、過去の悪事が明るみに出たのも、『大吉運』の年だったからだそうだ。

『大吉運』の時ほど、周りに感謝をし、いつまでもこの状態は続かないと言う謙虚な気持ちを忘れないこと。

反対に『凶運』のときは、まず、「くさらない」こと。
周りも、足元も、先のことも見えない真っ暗闇の毎日でも、必ず、『朝』はやってくると信じることだ。
真っ暗闇を手探りで進むと、明るい時には、走ってでも、2・3歩でも行けるようなところでも、時間がかかったり、どこかにぶつかったり、方向を見失ってしまったりする。
そんな時は、こつこつと今までやってきたことを続けてみたり、じっと充電したり、暗闇の中ででもできることをやっている。
誰にも認められず、自分でも目に見える『成果』はわからないかもしれない。
やがて『朝』が来る。その時に現れてきた『成果』を、周りが見つけ、その『努力』を認めてくれるようになる。
暗闇の中で、自暴自棄になり、荒れた生活をしていては、いつまでも朝はやってこないかもしれない・・・。

『世の中・人生は平等』に出来ているのだそうだ。
それなのに、生まれつき『運勢』の悪い人がいる。そんな人はどうすれば良い?
例えば、『短命』の人。
そういう『宿命』の人は、「人の命を救う職業」につくと良いそうだ。
己の宿命を受け入れつつ、マイナスをプラスに転化させる前向きな生き方こそ、運勢をよい方向に向かせるのだそうだ。

その、一番の開運方法は『笑顔』なのだそうだ。そして『人の話をよく聞く。協調性を持つ』ことだそうだ。
また、『出会い』を大切にすることも大切だ。
『吉相』の人というのは、
・反省できる人
・人の心が理解できる人
・責任を持てる人
・プラス思考の人
・信じることのできる人

『凶相』の人というのはその反対。
妬み、恨み、嫉妬、の心でいては『笑顔』にはなれない。

昔の人は言った。
『笑う門には福が来る』
笑顔がステキな人は『人気』がある。
人がよってくれば物が集まる。
物がよってくれば、お金が集まる。
『人の気』の流れと言うものはそういうものなのだそうだ。

『気』には他に、『天の気』『地の気』というのがあり、『地の気』に関しては、生活環境・住居・墓など、『気の流れ』(風水学)を勉強することによって、凶を吉に変えたり、改善することが出来るのだそうだ。

『天の気』というのは、『原則をもって事件は起こる』と言うことであって、その『原則』を知っていて行動するか否かで人に運命は天と地ほどの違いが出るそうだ。

『占い』とは『目先の杖』『暗闇の中の懐中電灯』。

最後に、あまりにも出来すぎた、そして恐ろしい『原則』を紹介する。
1914年 第一次世界大戦勃発
1923年 関東大震災
1941年 真珠湾攻撃・太平洋戦争はじまる
1950年 朝鮮戦争
1995年 阪神大震災

以上の事件には共通点がある。
年号の数字を足して一桁にしていくと、『6』になる。
例えば、1914年は、1+9+1+4=15 1+5=6
    1995年は、1+9+9+5=24 2+4=6

もっと昔をさかのぼると、
1707年(東南海地震)1+7+0+7=15 1+5=6

次に来る『6』になる年は・・・・。来年2004年。
2004年 2+0+0+4=6
何が起こるかわからないが、何が起こってもおかしくない年なのである。
それを知ってて行動するかしないかでは、生きるか死ぬかぐらい違うのだ。
『その時』に『覚悟』や『備え』があるか。
情報に敏感になり、自分の命は自分が守るぐらいの心構えで、2004年に向けて備え、『6』の年を乗り切らねば。

7月17日で43歳になる。
いつも『笑顔』を忘れずに、苦しい時も辛い事も笑い飛ばして、明るく頑張っていこう!


「よさこい島」

2003-07-17 01:20:00 | 徒然なるままに
7月7日(月)

千よ連(千葉よさこい連絡協議会)のソーランの練習に参加してきた。
大学生以上の大人のチームの練習で、すごいパワーだった。
千葉のオリジナルの踊り「よさこい島」を広めようということで、お誘いがかかったので行ってきたが、いろいろと勉強になった。

踊りもさることながら、挨拶が気持ちよかった。
「カッコいい」グループであるためには、まず「挨拶」から。
いい物を創っていくためには、言いたいことを言い合える仲間でなくてはならない。
踊っている時の表情の大切さ。
などなど、意識の高い練習に身の引き締まる思いと、パワーをもらってきた。

新しい踊りを覚えるのって、頭と体がばらばらでなかなかついていけないが、来週までにマスターして、ばっちり踊れるようになりたい!

進路説明会は夢の中~?

2003-07-16 23:49:00 | 徒然なるままに
6月30日(月)

中3の息子の進路説明会に行ってきた。
5校時目で、午前中に2時間プールの時間があったとかで、蒸し暑い体育館での説明会は、生徒たちには睡魔との戦いの場だったようで。
わが息子は、一番前の校長先生の目の前で、足を投げ出し、終始爆睡状態で、突っつこうが揺すろうが夢の中。
私は隣の席で、赤くなったり青くなったり、申し訳さと情けなさでいっぱいだった。
居眠りしているのは、息子だけではなかったのだが、ばつの悪い説明会だった。
だが、私は一番前だったので、ほとんどの説明は聞き取れたが、後ろのほうの席にはあまり聞こえなかったのと、プリントの棒読みのような説明だったので、親のほうも眠かったといっていた。

こういう場合、大事なことを、ちゃんと理解したり、覚えておいてほしいという内容のものだったら、もっと、プレゼンテーションの仕方に工夫があってもいいのではないかというのが、率直な感想だ。
スライドなどの映像を使ったり、寸劇仕立てで、面接の再現をしたり、生徒の興味を引くような、説得力のある、もっと、印象に残る演出を工夫してほしかった。
マイクの音量はもちろんのこと、時間帯にも配慮は必要だったのではないか・・・?
プールの後の給食で、蒸し暑い体育館で、よく聞こえない声で、棒読み状態の説明を聞くなんて、寝るなというほうが無理なのかも・・・。
生徒には後日改めて、話してほしいと思った。

それにしても、いよいよ受験生の母である。
最後の総体とサッカーのことしか頭にない息子が、志望校に向けて気合いを入れるのはいつになることやら・・・?

思春期は『さなぎ』の時代

2003-07-16 23:15:00 | 徒然なるままに
6月29日(日)

県内の小学校の教頭先生による、思春期の子どもを持つ親向けの講演会に行ってきた。

司会・進行の方たちのお話も面白く、講師の先生のお話がまた話術にたけ、とても説得力と内容のあるお話だった。
その中で、とても印象に残ったお話があるので、忘れないよう、書き留めておこうと思う。

思春期・反抗期の時期を、蝶の成長過程になぞらえて、
『卵から、青虫時代は目に見えて成長しているのがわかるけれど、さなぎになってしまうと、その中でどんなに劇的なドラマが起こっているのか、外からは見えない。でも、時期がくれば、その中から美しい成虫が殻を破って出てくる。しかし、すぐ飛び立てるわけではない。羽化という、縮れた羽を十分に伸ばすだけの時間が必要。そして、時がくれば、大空に向かって飛び立つことが出来る。
実験で、さなぎになったとき、中で何が起こっているのか、その初期・中期・後期に、さなぎを割ってみた。後期のは何とか成虫になったが、初期と中期のは死んでしまった。
思春期・反抗期の時期の時期は、子ども自身、自分でも自分がわからない。体の変化もともなって、大人への入り口で戸惑っている時期。いつ『さなぎ』になるか、いつ『羽化』が始まるのか、その子によって、その時も期間も違っている。自分から殻を破って、美しい蝶に成長して羽化を始める日まで、『信じてじっと見守る』姿勢も親には必要なのです。』

また、先生は、「めいっぱい褒める」「失敗を叱らない」「子どもの話を聞く」「子どもとの約束を守る」「自分に負けてはいけないことを教える」など、たくさんのヒントをお話してくださり、「子育てはやがて自分にふりかかる」とおっしゃいました。

背伸びをせず、焦らず、じっくり、さなぎから美しい羽を持った成長したわが子が、自分から殻を破って出てくるのを心待ちにしよう。

3人とも、月満ちて、自分から生まれ出てきたのだ。
あの陣痛に比べたら、今の苦しみを乗り超えられないはずが無い。
親子で頑張ったあの出産。
陣痛が強いほど元気な子が生まれると教えられたではないか。

「はらぺこあおむし」たちが、自分の羽で、大空を自由に飛べるようになるには、時期も時間も必要なのだ。

大事な「さなぎ」の時間を大切に見守ってあげよう。
そう思ったそばから、またバトルが始まるのだけれど、今日思ったことはいつも忘れないようにしていきたいと思う。


最後に、面白い文章の紹介があったので、これも書き込んでおこう。(作者不詳)

   雨ニモアテズ

 雨ニモアテズ 風ニモアテズ

 雪ニモ夏ノ暑サニモアテズ

 ブヨブヨノ体ニ タクサン着込ミ

 意欲モナク 体力モナク

 イツモブツブツ 不満ヲイツテイル

 毎日 塾ニ追ワレ テレビニ 吸付イテ遊バズ

 朝カラアクビヲシ 集会ガアレバ 貧血ヲオコシ

 アラユルコトヲ 自分ノタメダケ考エテカエリミズ

 作業ハグズグズ 注意散満スグニアキ ソシテスグ忘レ

 リッパナ家ノ 自分ノ部屋ニ閉ジコモテイテ

 東ニ病人アレバ 医者ガ悪イトイイ

 西ニ疲レタ母アレバ 養老院ニ行ケトイイ

 南ニ死ニソウナ人アレバ 寿命ダトイイ

 北ニケンカヤソショウガアレバ ナガメテカカワラズ

 日照リノトキハ 冷房ヲツケ

 ミンナニ 勉強勉強トイワレ

 叱ラレモセズ コワイモノシラズ

 コンナ現代ツ子ニ ダレガシタ

雨の日はおしゃれ気分(ムジャキックサタデー)

2003-07-16 23:13:00 | 徒然なるままに
6月28日(土)

千葉県立美術館主催のワークショップ・ムジャキックサタデーに小2の娘と参加してきた。
前回の「ロウ石ペンダント作り」が楽しかった娘は、この日を心待ちにしていた。

今日のテーマは、梅雨時にちなんで、カラフルなポリ袋を使ってのレインウェアー作りだった。
電気圧着ゴテのようなものでフードや袖を付けたりするところは親が担当し、子どもたちは
ポスカで思い思いの絵を描いたりカラフルなテープでアクセントをつけたりして、オリジナリティーあふれるレインウェアーが出来上がった。
レインウェアー作りは、親のほうが気合いが入ってしまい、子どもそっちのけという感じの熱気ムンムン状態の親子もいた。(うちのことだったりして?)

それから、記念写真をとり、最後はその格好で、「天候」をテーマにした企画展を鑑賞した。