明日に向けて

福島原発事故・・・ゆっくりと、長く、大量に続く放射能漏れの中で、私たちはいかに生きればよいのか。共に考えましょう。

明日に向けて(1087)戦争への流れを「愛の心」で止めよう!

2015年05月22日 23時30分00秒 | 明日に向けて(1001~1100)

守田です。(20150522 23:30)

このところ、連日、連夜、講演やその打ち合わせ、あるいは戦争に反対し、原発再稼働に反対する運動関連の相談、調査、取材などなどで飛び回っています。
なかなか「明日に向けて」を書く時間がとれず、記事が配信できずに申し訳なく思いますが、なんとか頑張って、明日に向けての課題を論じ続けていきたいと思います。

この間の最大のトピックスとしてみなさんにお伝えしたいのは、戦争の流れに対して、子どもを持つ若い女性たちと中心とした新たなムーブメントがじわりじわりと動き出している場面に立ち会ってきたことです。
これは5月18日月曜日の午前10時からの滋賀県甲賀市水口でのお話会へのお招きを受け、集まった方たちとやり取りをしている中で確信を深めたことです。
この日、集まってくださったのは26人の女性。その多くが小さな子どもを連れていました。乳飲み子から小学校低学年ぐらいまでだったでしょうか。もちろん子どものいない女性たちもいたのだと思います。

講演会のタイトルは「戦争と政治」。あらかじめ集まってきた質問の多くが「どうしたら戦争を止められるのか」「母として子どもを戦場に送らないためにできることは何か」などでした。
「どうしたら戦争を進める自民党の議員を落とせるのか」「政治の仕組みが分からないからどこへどうアクションしたらいいか分からない。教えて欲しい」などもありました。
それぞれへの答えは後にゆずるとして、ともあれ参加者が集まってくるや否や、すごい情熱が伝わってきました。僕も懸命に応えようとしましたが、珍しく?時間をまったく間違えて暴走。1時間半のところ2時間半も話してしまいました。

かなり長くて申し訳なかったのですが、みなさん、前のめりになって聞いてくださり、まったく集中力が途切れませんでした。
話しを終えた後に質疑応答を行って、会を一応締めくくったのちも、そのまま車座になってたくさんの女性たちが会場に残り、1時間ぐらいさらに話を重ねました。そののちにスタッフの方たちとお話して、会場を後にしたのは3時半だったでしょうか。
なんとも素敵な場でした。こう言ってはなんですが、かなり喋らせられてしまったというか、僕の内側にあるものを引き出された気がしました。もちろんとても心地の良い時間でした。

「ああ、この感じは何かに似ている」と思って脳裏に蘇ってきたのが、福島原発事故以降、1カ月ぐらい経ってから爆発的に増えだした若い女性たちを中心とした内部被曝に関する学習会でした。
あのとき、福島や関東から避難してきた女性たちを交えつつ、たくさんの若い女性たちが起ちあがり、何かのアクションを担いながら、連続的に学習会を行っていきました。
僕はそこに連続的に呼んでいただけたのですが、その多くが平日の午前10時からでした。会場の中に小さな子どもたちがたくさん入っていました。常時、泣き声が響き渡る中での学習会でした。

「この子を被曝させてなるものか」「どの子たちも絶対に被曝させない」・・・。会場に溢れていたのはそんな女性たちの必死の思いでした。
もちろんそれに共感し、子どもを守ろうと起ちあがった同世代の男性たちもたくさん参加していました。その誰もが自分でもどんどん学習を進めており、その中でさらに確かなことを知ろうとして僕の話を聞きに来てくれていました。
会場はなんとも言えない緊張感に溢れていたけれども、しかし僕はいつでも奥底に流れる感動的な温かさを感じていました。その場が命を慈しみ、育もうとする人間的愛に埋め尽くされていたからでした。僕自身、この力に強く動かされました。

今、それと同じようなムーブメントが本当に力強く起き出していることを僕は感じています。
もともと僕は、長いことピースウォーク京都に参加して、世界で起こっている戦争への反対活動を続けてきました。2000年代になってからはアフガン、イラク戦争やイスラエルのガザ攻撃に反対して何度もウォークやビジルなどを行いました。
それでも福島原発事故以降、もっぱら僕に対する講演要請は内部被曝問題や、原子力災害対策が中心でした。

流れが変わったのは昨年の秋でした。滋賀県の近江八幡市で長年平和運動を担ってきた女性から、「集団的自衛権」についてうまく解説して欲しい、日本が戦争の中に入りつつある危機を語って欲しいと頼まれました。
放射線防護をめぐる僕の講演では、人間と放射線被曝の問題を語る上で最も重要なことが原爆による被ばくであること。その調査にあたったアメリカが内部被曝隠しを主導してきたこと、それが今なお私たちにとっての脅威であることを説いてきました。
その意味で、戦争と被曝の大きなつながりをこれまでも説いてきたので、僕にとって戦争のことを語ることそのものはけして最近になって始めたことではありません。

しかし被曝問題ではなく、戦争を主題として語って欲しいと言われたことは福島原発事故以降では昨秋が初めてでした。安倍政権の戦争政策が深まっていることの反映ですが、同時に戦争のことを身に惹きつけて考えだしている人の急増も表れています。
続いて僕を呼んで下さったのは大阪の「ポトラッチ9条の会」の方たちでした。西成区の参学寺さんの場でのお話でした。年末にはびわこ123キャンプで、「集団的自衛権」とは何かを子どもたちに話しました。

さらに年をあけて滋賀県での取り組みが続きました。1月末に近江八幡市を中心としている「ひとつぶてんとう園」さんから、やはり戦争の問題と被曝の問題を重ねての学習会を依頼されました。
この時、ちょっと劇的なことがありました。主催者の方との打ち合わせの中で僕の方から「ぜひとも小さいお子さんがそのまま会場に入れるようにしてください。託児よりも、赤ちゃんと一緒にお母さんが入れるようにしてくだい」と頼みました。
託児は子どものいる女性にとってとても有効ですが、しかし子どもによってはお母さんと長く離れられない場合もあります。そのため「泣き声はまったく気にしないで下さい。泣き声OKの場にしましょう」と話して会場に入れる人を増やすことにしたのです。

ところが当日、会場に着くと、僕の想像を上回る設定がなされていました。僕が話す演壇の目の前に、何枚もシートや毛布が重ねられてふかふかの良い場ができて、そこに子どもを抱きかかえた女性たちが座ったのです。
まさにこういう場を作って欲しかったのですが、今まで僕が見たのはどれも部屋の後ろの方に設けられた親子席でした。
「一番前に持ってきたのか。わあ、凄い。これはいい。真似しよう!」と即座に心に決めました。

ちょうどその10日ぐらい後に、京都大学に矢ヶ崎さんをお招きし、講演会とパネルディスカッションを行ったのですが、早速この場でこの方式を導入。京大の緩やかな階段教室の一番前、演壇のすぐ横に子どもたちと親が一緒にいれるスペースを作りました。
パネルディスカッションの時には何人もの子どもたちが演壇によじ登ってこようとしてはお母さんに降ろされていましたが、会場全体がそれを見守ってくれ、なんとも温かい空気が流れていました。多くの方が泣き声の中での企画を受け入れて下さいました。

3月には東近江市の「たむたむ畑」に招かれました。「でこ姉妹舎」さんのお招きでした。「そもそもたむたむ畑とはなんぞや?」と思いつつ現場に向かったら、古くて大きな日本家屋を子育て世代に解放している場でした。近くに本当の畑もあるそうです。
この時も部屋中のあちこちに子どもたちがわあわあと動き回っている場で、戦争について、被曝についてお話することができました。

そして今回、5月18日の甲賀市でのお話会。主催して下さったのは産休・育休中の小学校の先生などを中心に始めたお母さんたちの学習交流サークルでした。
滋賀県はこの他にもユニークな集まりがたくさんあります。昨年秋はアースデイしがにも呼んでいただき、映画『小さき声のカノン』を完成させたばかりの鎌仲ひとみさんとの対談をさせてもらいました。
また三日月知事をしがの市民の方たちがまるっと囲んでいる場にも同席させていただいてトークをしました。この他、民主党議員の田島一成さんをしがの方たちが同じようにまるっと囲んでいる場にも足を運ばせていただています。

滋賀県にはもともと「あすのわ」というネットワークや、春夏冬と、かなり長い日程での保養キャンプを重ねてきた「びわこ123キャンプ」の取り組み、高島市での放射能チップ問題での取り組み他、さまざまな動きがあります。とても書ききれない。
それらがあたたかく会を重ねていて、その上にさらにこうした「戦争と政治」に関する取り組みが始まっているのだと思いはしますが、それでも僕は今起こっていることは、しがに特殊なことではないとように思います。
しがにそうした人々の思いを大らかに表現できていくさまざまな場があって、こういう学習会が連続しているのだとは思いますが、しかしもっと広範に、若い世代の、戦争を止めようとする新たな力が沸きだしているように思えます。

こうした力をもっと豊かなものにしたい。そのことで戦争への道を止めて行きたいと強く思いますが、そのために僕は命を尊び、慈しみ、育んでいく愛の力をもっと大事にし、発展することが必要だと思います。
とくに遮二無二戦争に向かっている安倍首相と向かいあう上でとても大事なのは、彼の放つ独特の、イライラとしていて、なんだかこちらが無性に腹立たしくなってしまうような、あの「オーラ」に毒されないことだと思うのです。
安倍首相はとにかく論敵、政敵を嫌な気持ちにさせる何とも言えない雰囲気を強く持っています。多分それは彼の心の中に巣食う、暴力的なものへの憧憬とコンプレックスが、嫌な形で表出されることで生じているものだと思えます。

とにかくこれに毒されてはいけない。毒されて、安倍首相と同次元のイライラした面持ちで争うようになってはいけない。もっと気高い人間的精神や品性、優しさを持って、戦争の道を止めて行きたいと強く思います。
毒されるとはどういうことか。相手の暴力を止めようとしているうちにこちらも相手と同じように暴力的で野蛮になってしまうことです。暴力に飲み込まれてしまうのです。
その典型が「イスラミック・ステート」ではないでしょうか。彼ら彼女らが行っているのは、何のまともな理由もなしにイラクを侵略し蹂躙した米軍やイラク政府への報復なのでしょうが、そのことで実はアメリカの暴力に屈しているのではないでしょうか。

僕は広島・長崎への原爆投下や東京大空襲、沖縄地上戦はすべて戦争犯罪だと思っていますが、だからといってアメリカの誰にも報復したいなどとは思っていません。そうではなくアメリカがこの罪に目覚め、人間愛に立ち戻って欲しいのです。
僕は東京大空襲と広島原爆のサバイバーの両親から生まれた子どもです。その立場から自らの戦争犯罪の歴史を捉え返すことをアメリカの人々に訴え続けたいです。
同時に僕は長い間、軍隊「慰安婦」問題に関わり、被害者のおばあさんたちと親しくしてきました。そのことで日本の行った罪を償い、戦争の痛みを癒そうと活動してきました。僕はその中で得られた素晴らしい思いをアメリカの人々にも知って欲しいのです。

過去の罪を捉え返すことは、けして惨めなことではありません。過去を見つめることの中でこそ私たちは未来への可能性を見出すこともできます。
また人は時に、ある人が、過去の過ちにいかに真摯に向かい合うかでその人物を評価したりもします。だから過去と真剣に向かい合う努力は往々にして思っていたよりも格段に相手側の信頼や親近感を巻き起こすのです。
残念ながら安倍首相は人生の中で一度もそんな経験してこなかったために、人に謝ったり頭を下げることができないのだと思います。自分の中の弱い部分も認められないのでしょうが、それが暴力的なものへの強いコンプレックスを作っているのでしょう。

これに対して私たちは、戦争への流れに対して、あくまでも愛の心を持って向かい合っていきましょう。気高い気持ちで、豊かな人間的精神でもって、暴力の連鎖を食い止めるための努力を重ねていきましょう。
そのことはけして、戦争に進もうとする人々を激しく批判すること、ときに身体をはって戦争への道に立ちふさがる激しさの中に身を置くことを何ら否定するものではありません。愛は時に激しく、燃えるようにも輝くものです。
繰り返しますが大事なのは心を毒されないことです。恨み、妬み、つらみなどから行動するのではなく、子どもたちを見て心の中に温かいものが沸き起こってくるあの刹那のような思いを一番大事にして行動するということです。

僕はやはり子どもを守りたいという女性たちの立ち上がりにはそうした気持ちが強く含まれていると思います。もちろんそれは男性の中にもあるものであり、だから僕の中にもしっかりとあるものですが、その力が社会的に高まるには女性の行動がもっともっと必要です。
だから女性たちがより行動しやすい場を増やしたい。女性たち、とくに子どものいる女性たちが参加しやすい場の設定、集会の作り方、対話のあり方をもっと深めましょう。きっとそこに私たちの平和力がさらに逞しく育って行くヒントがあると思います。
なのでぜひぜひ、放射線防護のための集会でも、脱原発の集会でも、集団的自衛権反対の集会でも、子どもたちが親たちと一緒に会場の中に入ることができる設定を考えて欲しいと思います。このことで僕は私たちの運動の質が一段、アップすると思います。

愛の心を、この国の中に、世界の中にに、豊かに広げていきましょう。新自由主義が蔓延させている、人を蹴落とし、這い上がろうとするのをよしとするさもしい心をまるっと包囲し、鎮めてしましましょう。
僕はそんな行動を重ねることが、戦争を止める一番の近道だと思いますが、同時に我が身に突きつけていきたいのは、戦争から自由になるのはこの国だけであってはならないということです。
「アメリカの戦争に巻き込まれないようにする」のではなく、アメリカに殺される人々をいかに減らせるのか、無くせるのかを考えましょう。アメリカの若者たちにもこれ以上人を殺させなくない、殺されて欲しくない。そのことも訴えましょう。

愛の心こそが戦争を止める!
ともに本当の平和を作り出しましょう!

 

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1 コメント

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瀬長亀次郎の日記 (山田和幸)
2015-05-23 11:56:29
重要な視座、そして一番前に親子スペースを置く学びの場の提案…ありがとうございました。後半を読むにつれ、「瀬長亀次郎日記」の抜粋が思い出されました。1958年4月5日付けの日記「加藤周一『抵抗の文学』を読む…沖縄の抵抗も圧制者アメリカやカイライどもに対する憎悪から生まれたのではない。県民、国民に対する愛情から自然に生まれる圧制への底なきイカリのバクハツである」と。8406
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