2011年5月。旧満州を観光する。東日本大震災からまだ2カ月しかたっていなかった。
成田空港から瀋陽空港へフライトする。搭乗飛行機はB737-300だったと思う。座席数は120。これで瀋陽まで飛行するのかと心細くなった。羽田空港から八丈島へ飛行した時に乗ったことがあった……。
中国へ行くのだから、当然朝鮮半島を横断するのかとばかり思っていたら、新潟からウラジオストックへ向かう航路だった。中ロ国境から瀋陽へ南下した。
瀋陽は旧奉天であるが、乾いた土地である。潤いがない。
まず交通博物館を見る。
ここに旧満鉄の亜細亜号が展示されている。
博物館の中には他に観光客はいなかった。旧満州の地は、観光客が少ないだけゆっくりできるので奨められる。北京や上海はひどすぎる。
展示されている列車の内部を見ると、ベンチ席になっている。今でもこうなのだという。日本人にはとても座れないシロモノだとガイドが云っていた。
再び瀋陽の市街地を通る。
ザラザラして砂漠の中の街のようでだった。
成田空港から瀋陽空港へフライトする。搭乗飛行機はB737-300だったと思う。座席数は120。これで瀋陽まで飛行するのかと心細くなった。羽田空港から八丈島へ飛行した時に乗ったことがあった……。
中国へ行くのだから、当然朝鮮半島を横断するのかとばかり思っていたら、新潟からウラジオストックへ向かう航路だった。中ロ国境から瀋陽へ南下した。
瀋陽は旧奉天であるが、乾いた土地である。潤いがない。
まず交通博物館を見る。
ここに旧満鉄の亜細亜号が展示されている。
博物館の中には他に観光客はいなかった。旧満州の地は、観光客が少ないだけゆっくりできるので奨められる。北京や上海はひどすぎる。
展示されている列車の内部を見ると、ベンチ席になっている。今でもこうなのだという。日本人にはとても座れないシロモノだとガイドが云っていた。
再び瀋陽の市街地を通る。
ザラザラして砂漠の中の街のようでだった。