ぶらり町めぐり&御朱印

町を歩くのが好きだ。特に御朱印集めに熱中した。年齢を重ね、段々と体力が落ちてきたが、もう少し頑張りたい。

四国霊場第46番札所 浄瑠璃寺

2017年07月08日 16時37分56秒 | 旅行
第47番札所の八坂寺と第46番札所の浄瑠璃寺は1キロしか離れていない。従って、遍路道を歩く。田舎道を歩く。





浄瑠璃寺に着く。



この寺の特徴は”自然派”と言うことだ。境内は樹木に満ちている。お堂の前も樹木で、写真を撮るのに苦労する。お堂全体を撮ることは難しい。

本堂も隠れている。





大師堂は部分だけ。



境内は緑一色。冬ならばどうか?









ここで、2日目の予定を終える。宿はこのお寺の前に民宿だった。こういう宿は眠れないと諦めた。


































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DVD「さすらいの青春」

2017年07月08日 15時51分20秒 | 映画
青春時代にこの映画を観たシニアは多いと思う。1969年の作品だ。当時は、映像主義的作品が多く、美しい画面に溢れていた。

その中の、究極的な作品がこの「さすらいの青春」である。究極の映像美である。凝りに凝った画面の連続で、映画の鑑賞の妨げになるぐらいだ。

監督は、ジャン=ガブリエル・アルビコッコ。カメラを担当したのは、父親のキント・アルビコッコ。原作はアラン・フルニエの「モーヌの大将」である。この原作は三島由紀夫が激賞したことで知られている。三島がこの小説のどこに惹かれたのだろうか?

映像は美しいし、再現された世紀末の風俗も懐かしい。しかし、内容は、難解だ。特に現代人にとってはわかりにくい。

モーヌは新妻を残し、失踪した女を捜しに旅に出るが、その動機が理解しにくい。それが分からなければ、この作品の価値が分からない。

無理に理解しようとしても、高齢になると、その根気はない。モーヌの行動は”誓い”を守るため、ということだろうが、言葉が軽くなった時代に住む我々は、その結果の悲劇を受け入れることは難しい。

まぁ、とにかく、究極の映像美である。カメラのテクニカルな面は素人なので分からない。実際に観てもらうしかない。

こういう画面はフィルムだからできたことで、デジタル・カメラでは不可能だろう。こういう映画が今後製作される可能性はほとんどない。

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四国霊場第47番札所 八坂寺

2017年07月08日 12時20分29秒 | 旅行
四国霊場の札所は四国に均一にあるわけではない。偏在している。四国南部の高知県は数が少ない。高知県は関西から遠いので理解できるところだが、中には首を傾げるところもある。

第43番札所の明石寺のあと、巡礼道は石鎚山地に向かう。西予市から四国中央に向うわけで、大洲市、八幡浜市、佐多岬半島、内子町には札所がない。空白地帯である。関西からも行きやすい場所だろうが、なぜここに札所がないのか不思議に思う。

石鎚山地にある45番・岩屋寺と44番・大宝寺は体力的にきついところがあるので、元気な午前中にお参りするスケジュールだった。ということで、この二つは飛ばし、第46番・浄瑠璃寺と第47番・八坂寺とお参りする。

順番は逆で、八坂寺をお参りしたあと、遍路道を歩き、浄瑠璃寺をお参りした。

八坂寺は記憶に残る。特徴がある。お寺の入り口である。船のような形をしている。ここだけである。何か、インデックスになるようなものがあると、記憶を引き出すのも簡単だ。





本堂。



大師堂。



横から二つのお堂を見る。



境内はかくのごとし。



階段を降りる。





手水の前の木に猫がのっていたのだ。覚えている。





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四国霊場第43番札所 明石寺

2017年07月08日 11時34分07秒 | 旅行
四国八十八カ所霊場巡りツアーに参加してから早2ヶ月が過ぎた。巡礼記が全然進まない。第2回は70番札所までお参りしたが、明石寺(めいせきじ)は43番。先が長い。

明石寺は鉄道駅から言えば卯之町駅に近い。山の中のお寺である。ところが、このお寺については記憶がない。四国八十八箇所霊場は88のお寺を巡るのだから、全然記憶に残らないお寺もかなり出てくる。何か、一箇所、特徴があれば、思い出すことができるが、このお寺についてはそういう特徴がない。少なくとも私にはそう思える。

写真をずっと見ていると、こういうお寺もあったなと思う。多分、お勤めをしている最中に小鳥の鳴き声を聞いたのはこの寺である。しかし、ほかの寺でも聞いたので記憶は曖昧である。

写真を見る限り、正統的な立派な寺院である。ノーマルすぎて、印象に残らなかったのだろう。

仁王門から入り、階段をふたつあがり、本堂・大師堂へ行った(らしい)。



(本堂)



(大師堂)



本堂・大師堂の前は砂利で清潔である。




夫婦杉があったらしいが、記憶にない。



駐車場から見た風景。



全く記憶がない。記憶がないのに写真があるというのは不気味である。





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読響 名曲シリーズ

2017年07月08日 11時00分49秒 | 雑感
7月7日。つまり七夕の日。池袋の東京芸術劇場で読響のコンサートを聴く。ネルソン・フレイレのピアノに惹かれて。

指揮:飯守泰次郎 読売日本交響楽団

プログラム。

(1)ブラームス協奏曲第2番(ピアノ:ネルソン・フレイレ)アンコールは、グルックの「メロディー」。これはオペラの「オルフェウスとエウリディチェ」より編曲したもの。

後半は飯守泰次郎お得意のワーグナーを並べた。

(2)「パルジファル」から第1幕への前奏曲
(3)「パルジファル」から”聖金曜日の音楽”
(4)「ワルキューレ」から”ワルキューレの騎行”
(5)「タンホイザー」序曲

ネルソン・フレイレはもう73歳になる。舞台に出てきた時の足取りはおぼつかないように見えた。デビュー当時は、南米系のピアニストとして注目を浴びたと記憶する。1960年代は、どういうわけか、南米系のピアニストが輩出した。アルゲリッチ、バレンボイム、ゲルバーとすぐ名前をあげることができる。

ネルソン・フレイレは、ブラジル生まれである。初めて聴いたが、音の美しいピアニストという印象だ。アンコールは惚れ惚れするような美音だった。ブラームスの協奏曲は、第3楽章が素晴らしかった。この楽章のチェロを弾いたのが遠藤真理だった(らしい)。ソリストとばかり思っていたが読響のメンバーになった。楽団員の名簿に載っている。

ブラームスのピアノ協奏曲では読響の音に魅力がなかったのはどういうわけか。私にはそう聞こえた。

これが後半のワーグナーになると、オケも全開で華々しい演奏をしたのだから、私の耳がどうにかなってしまったのか。

正直なところ、自分の耳は衰えている。耳鳴りもするようになった。高音は、多分、聞こえないはず。子供の声はイライラするようなノイズにしか聞こえない。生理的には高齢になれば、こうなって当然なのだが、高齢の音楽家や音楽評論家は、どういう音を聞いているのが不思議に思っている。



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