豊川進雄神社を参拝したあと、お隣の徳城寺へ行く。道路で隔てられているだけで、実質的に同一境内にあるようなものだ。
神社と寺院が並んでいるときは、江戸時代以前は同一境内にあったと思って間違いない。明治期の神仏分離で隔てられたものだ。道路を作り隔てる場合もあるし、塀で隔てる場合もある。
ひどい時には寺院を廃寺にし、その後に別の場所に寺院を再建した場合もある。神奈川県丹沢の大山不動がその例である。再建するときは、神社より下の場所にお寺をつくる。
大山の場合は、大山阿夫利神社が上で、大山不動は下にあるね。
ここには弘法大師伝説がある。弘法大師が掘ったという錫杖井戸がある。本堂の裏手だ。
徳城寺の御朱印は時間がかかる。住職さんは高齢で、しかも話しながら書く。20分程度はかかると思った方がいい。
御朱印で確認しておきたいことがある。
「奉拝」の下に絵があるね。最初は梵字かと思ったが見慣れない字である。干支のネズミの絵だと分かったのはしばらくしてから。
「これはネズミですか?」ときくと、そうだとの答え。「あなたは何年?」ときかれ、「酉年」と答えた。
ネズミの絵の下に鶏の絵が描いてあるのは私の干支だから。丁寧にも赤い鶏冠まで書いてある。ネットで見ると、やはりそれぞれ自分の干支の絵を描いてある。
住職さんは岐阜のお寺と兼務しているようなので、御朱印をもらうときは事前に電話しておいた方がいい。