FPと文学・エッセイ 〜是れ日々なり〜

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おとなになるための『アリエッティ』 ― 宮崎ジブリとその作品

2010-08-21 01:35:57 | 芸能・映画・文化・スポーツ
アリエッティは、人間のおとなにも姿が見える。

トトロは、こどもにしか見えなかった。
この世には、こどもにしか見えない世界がある。それがファンタジーだ。人間は、おとなになるにしたがって、こどもの世界が見えなくなっていく。逆に、こどもには見えない、おとなの世界でしか生きていけなくなる。やがて、歳をとりすぎて死が近くなると、再びこどもにしか見えない世界が見えてくるという。

これは、こどもも老人も、「あの世」に近いからだと臨床心理学者の河合隼雄氏が書いていた。こどもは「あの世」から来たばかりだし、老人は「あの世」へもうすぐ行く。生の世界を一本の軸とすると、生の始まりと終わりの両端っこに、こどもと老人はいるわけだ。二人とも、半分「あの世」の世界に浸かっている。だからこの二人は心が通い合う。

アリエッティは人間のおとなにも見えてしまう。ファンタジーではない。現実の世界なのだ。正確には、アリエッティの母親が、人間のおとな(お手伝いのばあさん。声は樹木希林だが、映像もそっくり)に姿を見られてつかまってしまう、昆虫採集のように。ここで私たちは、起きているのは現実にある世界なのだと一気に引き戻されてしまう。それまでは人間の少年と、10センチくらいしかない可愛らしい小人の少女の恋物語だった展開は、何かに奪われてしまうかのように崩れていく、壁に当たっていく・・・。

トトロはこどもの心の世界だけで展開していた。アリエッティは、おとなの心の世界に支配されてしまいそうになる。だから、人間に見られてしまったら、人間から離れて行かなければならない。アリエッティがいくら、「人間は悪い人ばかりではない」と訴えても。

トトロは、もともと人間のおとなには見えないのだから、こどもの心でいる限りトトロの世界に住んでいられた。アリエッティは、少年と一緒にいたくても、おとなに見つかってしまった以上、一緒には住めない。この現実は、厳しい。

ファンタジーっぽく、しかし夢を失わずに生きさせる『借り暮らしのアリエッティ』、これは一つの新しい世界だ。原作は100年も前に外国で書かれたという。アリエッティの世界はおとなの世界だ。こどもにはわかりづらいかもしれないと私は思う。でも、おとなになってからわかることがあるとしても、それはこどものときに体験したことがないと、おとなになってもわからない。

宮崎作品は、どれもおとなの世界観なので、こどもには理解できないじゃないかと思うことがよくある。『となりのトトロ』や『魔女の宅急便』くらいが、小学生でもわかるようなテーマだろうか。ナウシカやラピュタ、もののけや千尋など、小説でいえばまさに純文学のテーマである。人類とか、愛とか、地球、自然、環境など・・・。ただ、宮崎作品の優れたところは、こどもでもなんとかわかるように工夫して作っているところだ。主人公は、少女や少年。というより、今気が付いたがほとんど少女が主人公だ。

こどもが観ても興味を引き、おとなが観ても十分観賞に耐えうる。ほんとうはおとなでもわからないテーマをこどものうちにわかっておいてもらいたい。それが宮崎作品である。

・・・と、終わって劇場を出るときに見渡すと、けっこうおとなの男女の観客が多くて、納得した気もした。







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