憲法記念日にこの記事を載せようと思っていたのですが、色々と予定が入っていたので、今日になりました。
人類の叡智である日本国憲法が、
1947年(昭和22年)5月3日に施行されました。
<日本国憲法>
(第14条)
「すべて国民は、法の下に平等であって、人権、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。」
(第24条)
「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
2 配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。」
4月25日(月)
奇(く)しくも、JR西日本、福知山線の列車事故と同じ日に、
上に書いたこの素晴らしい憲法の草案を書かれたベアテ・シロタ・ゴードンさんの講演会を東京・弁護士会館に聞きに行きました。
ベアテさんの講演会のことを知ったのは、「なくそう戸籍と婚外子差別・交流会」の裁判報告会の時に配られたチラシでした。
それまで、私はベアテさんのことをまったく知りませんでした。
チラシを見て、日本国憲法を作るときに関わった人がまだ生きていることを知り、しかも、女性で、アメリカ人ではあるが日本語で講演してくれると書いてあったので、これは、ぜひとも聞きたいと思い、会社に休暇を取り、参加しました。
今、女である私が自由に恋愛をし、自由に結婚相手を探し、吟味して、自由な職業に就けるようにしてくれたのは、日本国憲法に法の下の平等(第14条)と両性の平等(第24条)があり、それが実現したおかげです。ベアテさんは、その草案を考え、憲法に入れてくれた歴史の生き証人です。その方のお話が聴けるなんて、またとない素晴らしいことだと思いました。それにベアテさんは今、82歳だし、これを逃してしまうと生の講演を聴く機会にもう恵まれないかもしれないと思いました。
そう。いま、ここでこそ、行動しないといけないと思ったのです。
ところで、私は学生時代、歴史が嫌いでした。
どうしてかというと、世界史も、日本史も、ほとんどが男性の名前しか出てこないからでした。歴史の教科書は、女の私にとって、男性の武勇伝がさも自慢げにつらつらと書き連ねられていて、読んでいてもちっとも面白くもなんともなく、まったく覚える気がしませんでした。
そんな私でも歴史の中で好きな時代や事があります。
それは、日本史では、邪馬台国の女王、卑弥呼が出てくるところ。それから飛鳥時代の推古天皇の時代。世界史では、ジャンヌ・ダルクがフランス革命で勝利したこと。要するに女性が国や団体の一番上に立っているときのものです。女性が活躍している数少ない歴史事実です。
子どもの頃、戦隊ものの「ゴレンジャー」では、モモレンジャーが大好きだった私でしたので、きっと女性の英雄が好きだったのでしょうね(笑)ちなみに美少女戦士セーラームーンも結構好きですよ(笑)
そんな中、教科書には載っていなかった活躍していた歴史上の女性がいたことを知り、行かずにはいられなくなりました。
会場に入ると、既に座席が3分の1くらい埋まっていました。その後も続々とたくさんの観衆が集まりました。主催した方に言わせれば、こんなに集まったのは初めてのことだそうです。会場には、ピアノ音楽のBGMが流れていました。席についてしばらく待っていると、アナウンスがあり、その音楽はベアテさんの父であるレオ・シロタさんのピアノ演奏だと伝えられました。
私はピアノ音楽が好きなのでなんだかとても嬉しくなりました。日本女性のために憲法草案を書いて下さったベアテさん、そして、そのお父様がなんとピアニストだなんて。さらにレオ・シロタさんが日本に呼ばれなかったら、ベアテさんが憲法草案を書くこともなかったと聞いて、私のピアノ好き、憲法に興味を持ったこと、このすべてのことがとても不思議な偶然の巡り逢わせだなぁと感じました。
しばらくすると、ベアテさんが壇上に上がりました。
初めてベアテさんを見たとき、体に震えがきました。こんな風に感動する震えが来たのは久々です。とても素敵な笑顔を振りまいていました。ベアテさんはお年を召されているけれど、なんて綺麗で優しそうで温かい感じのする人なんだろうと思いました。さらに、不思議なオーラを感じました。私もベアテさんのような年の取り方をしたい、あんな素敵なおばあちゃんになりたいなぁと思いました。
ベアテさんは講演会当日、少々体調を崩していて、声を出すのが辛そうで、喉を痛めている感じの枯れた声が時々出ており、そのたびに何度も水を飲まれていました。そんな状態にもかかわらず、力強く、優しく、時には笑いを取りながら、語ってくれました。とても感動しました。
しかし、お話を伺っていると、第14条と第24条の大本の草案はもっと細かくたくさんの事が書かれていたことを知りました。それが実現していることと、いまだ実現していないことがあるということも知りました。と同時に、59年も前にそのような案があった事を知り、自分の目指そうとしている道が間違っていないという気持ちの後押しをされたように思いました。
結びに、ベアテさんはこのようなことをおっしゃっていました。
59年という年月は歴史上ではまだまだ短い、日本国憲法が生活の中にはまだ完全に組み込まれてはいない。本当の意味で、憲法が日々の生活の中に組み込まれ、活かされるようになるには時間がかかるが、実現するのはあなた達次第だ。日本の女性はよく働き、とても賢い。きっとできる。
日本の女性たちや理解ある男性たちの力で、日本を平和で幸せにし、世界の国々も平和で幸せにしてほしい。
そんなベアテさんの言葉から私はとても強い生きる力を受け取った気がしました。
ベアテさんの想いや意志を無駄にせず、これからもその想いや意志を継いで生きていきたい、小さな事でもいいから私に出来ることをしていきたいというエネルギーが私の中から溢れてきました。
ベアテさんのお話を聞いて、少し遠く感じていた憲法がとても身近に感じられました。
国民の幸せはそっちのけで、国の損得しか考えていない愚かな政治家たちに、この素晴らしい日本国憲法をめちゃめちゃにされないよう、国民は見張りをきかせて、例え改憲するにせよ良い憲法になるように努めていかなければいけないなぁと思いました。
確か相田みつをの言葉にもあった
まさに、
ひとごとじゃねぇ じぶんのことだよ
人類の叡智である日本国憲法が、
1947年(昭和22年)5月3日に施行されました。
<日本国憲法>
(第14条)
「すべて国民は、法の下に平等であって、人権、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。」
(第24条)
「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
2 配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。」
4月25日(月)
奇(く)しくも、JR西日本、福知山線の列車事故と同じ日に、
上に書いたこの素晴らしい憲法の草案を書かれたベアテ・シロタ・ゴードンさんの講演会を東京・弁護士会館に聞きに行きました。
ベアテさんの講演会のことを知ったのは、「なくそう戸籍と婚外子差別・交流会」の裁判報告会の時に配られたチラシでした。
それまで、私はベアテさんのことをまったく知りませんでした。
チラシを見て、日本国憲法を作るときに関わった人がまだ生きていることを知り、しかも、女性で、アメリカ人ではあるが日本語で講演してくれると書いてあったので、これは、ぜひとも聞きたいと思い、会社に休暇を取り、参加しました。
今、女である私が自由に恋愛をし、自由に結婚相手を探し、吟味して、自由な職業に就けるようにしてくれたのは、日本国憲法に法の下の平等(第14条)と両性の平等(第24条)があり、それが実現したおかげです。ベアテさんは、その草案を考え、憲法に入れてくれた歴史の生き証人です。その方のお話が聴けるなんて、またとない素晴らしいことだと思いました。それにベアテさんは今、82歳だし、これを逃してしまうと生の講演を聴く機会にもう恵まれないかもしれないと思いました。
そう。いま、ここでこそ、行動しないといけないと思ったのです。
ところで、私は学生時代、歴史が嫌いでした。
どうしてかというと、世界史も、日本史も、ほとんどが男性の名前しか出てこないからでした。歴史の教科書は、女の私にとって、男性の武勇伝がさも自慢げにつらつらと書き連ねられていて、読んでいてもちっとも面白くもなんともなく、まったく覚える気がしませんでした。
そんな私でも歴史の中で好きな時代や事があります。
それは、日本史では、邪馬台国の女王、卑弥呼が出てくるところ。それから飛鳥時代の推古天皇の時代。世界史では、ジャンヌ・ダルクがフランス革命で勝利したこと。要するに女性が国や団体の一番上に立っているときのものです。女性が活躍している数少ない歴史事実です。
子どもの頃、戦隊ものの「ゴレンジャー」では、モモレンジャーが大好きだった私でしたので、きっと女性の英雄が好きだったのでしょうね(笑)ちなみに美少女戦士セーラームーンも結構好きですよ(笑)
そんな中、教科書には載っていなかった活躍していた歴史上の女性がいたことを知り、行かずにはいられなくなりました。
会場に入ると、既に座席が3分の1くらい埋まっていました。その後も続々とたくさんの観衆が集まりました。主催した方に言わせれば、こんなに集まったのは初めてのことだそうです。会場には、ピアノ音楽のBGMが流れていました。席についてしばらく待っていると、アナウンスがあり、その音楽はベアテさんの父であるレオ・シロタさんのピアノ演奏だと伝えられました。
私はピアノ音楽が好きなのでなんだかとても嬉しくなりました。日本女性のために憲法草案を書いて下さったベアテさん、そして、そのお父様がなんとピアニストだなんて。さらにレオ・シロタさんが日本に呼ばれなかったら、ベアテさんが憲法草案を書くこともなかったと聞いて、私のピアノ好き、憲法に興味を持ったこと、このすべてのことがとても不思議な偶然の巡り逢わせだなぁと感じました。
しばらくすると、ベアテさんが壇上に上がりました。
初めてベアテさんを見たとき、体に震えがきました。こんな風に感動する震えが来たのは久々です。とても素敵な笑顔を振りまいていました。ベアテさんはお年を召されているけれど、なんて綺麗で優しそうで温かい感じのする人なんだろうと思いました。さらに、不思議なオーラを感じました。私もベアテさんのような年の取り方をしたい、あんな素敵なおばあちゃんになりたいなぁと思いました。
ベアテさんは講演会当日、少々体調を崩していて、声を出すのが辛そうで、喉を痛めている感じの枯れた声が時々出ており、そのたびに何度も水を飲まれていました。そんな状態にもかかわらず、力強く、優しく、時には笑いを取りながら、語ってくれました。とても感動しました。
しかし、お話を伺っていると、第14条と第24条の大本の草案はもっと細かくたくさんの事が書かれていたことを知りました。それが実現していることと、いまだ実現していないことがあるということも知りました。と同時に、59年も前にそのような案があった事を知り、自分の目指そうとしている道が間違っていないという気持ちの後押しをされたように思いました。
結びに、ベアテさんはこのようなことをおっしゃっていました。
59年という年月は歴史上ではまだまだ短い、日本国憲法が生活の中にはまだ完全に組み込まれてはいない。本当の意味で、憲法が日々の生活の中に組み込まれ、活かされるようになるには時間がかかるが、実現するのはあなた達次第だ。日本の女性はよく働き、とても賢い。きっとできる。
日本の女性たちや理解ある男性たちの力で、日本を平和で幸せにし、世界の国々も平和で幸せにしてほしい。
そんなベアテさんの言葉から私はとても強い生きる力を受け取った気がしました。
ベアテさんの想いや意志を無駄にせず、これからもその想いや意志を継いで生きていきたい、小さな事でもいいから私に出来ることをしていきたいというエネルギーが私の中から溢れてきました。
ベアテさんのお話を聞いて、少し遠く感じていた憲法がとても身近に感じられました。
国民の幸せはそっちのけで、国の損得しか考えていない愚かな政治家たちに、この素晴らしい日本国憲法をめちゃめちゃにされないよう、国民は見張りをきかせて、例え改憲するにせよ良い憲法になるように努めていかなければいけないなぁと思いました。
確か相田みつをの言葉にもあった
まさに、
ひとごとじゃねぇ じぶんのことだよ