★真夜中のひとりごと★

二児の母「たっちー」のひとりごとです。

母親の「やさしい虐待」

2013年08月19日 | ★育児
なんだか、「幸せなお母さん」のテキストの勉強を進めていくうちに
色々と私の頭の中でつながってきた。


 過去も、現在も、未来も、すべて。


私は、自分の母親に「やさしい虐待」を受けていたんだと。

子どもが子どもらしくいられない。
自分のありのままを出すことができない。
泣きわめくこと、怒りを表に出すこと、
感情を受け止めてもらうことがなかった。

私はいつしか感情がなくなっていた。

その抑圧された感情が
自分が親になって育児をするようになって
すべてあぶり出されてきた。
だから、すべての押さえた感情が「怒り」となって
今、爆発しているのだと思う。

・お父さんの悪口を私に言うこと
・母親の姉や甥の悪口を言うこと
・私の話を聞かないこと
・友達とまったく遊べない環境におくこと
・褒めないこと
・私の嬉しいことを一緒に喜んでくれないこと
・「ちゃんとしなさい」と言われ続けてきたこと

お母さんは私を愚痴のゴミ箱にしていたんだと
なんか気づいてきてしまった。


昨晩、本当に他愛のないことで
私の感情は爆発してしまった。

ケンとコウのことをどうしたらいいかまだわからず
毎日、兄弟ゲンカが絶えず
ケンもコウもとにかく手がかかる。

強制や脅迫はいけないとわかりつつも
どう言葉がけしていけばいいかがわからない。
私の母は、その強制や脅迫めいた言葉を使う。
さらに、いつも不機嫌なその態度。

「あなたは炊事をちゃんとしない!」

と無言で言われているみたいに毎日感じてしまう。

思えば、中学生の頃、

「ちゃんとしなさい!」
「手伝いなさい。どうしてできないの?」

みたいなことを何度も言われ続けてきた気がする。
それが、私の強迫観念となっておそってくるのかもしれない。
そして、同じ言葉をケンにも言ってしまっている。

昨日は、忘れ物を東京駅まで取りに行って
疲れているだろうからと洗い物を母親がしてくれた。

本来、ありがたいその行為もありがたいと思えなかった。

母はとにかく言葉が足りない。
無言で洗い始めた。
それが私には「またちゃんとやらないで!」と
言われているような気がした。

もし、母が一言

「疲れているだろうから、洗い物してあげるね。」

そう言ってくれたら、素直に
「ありがとう」って言えたのに。

そのあと

「ウィザードの録画を見終わったらやろうと思っていたのに。」

というとまたしても無言。

その無言と
その前にケンとコウが言うことをきかず
私のことを「イヤだ」と言ったこととが重なり
感情が爆発してしまった。

どこにいくとも告げずに
車に乗り、家を飛び出した。
携帯電話の電源も切った。

今まで生きてきて
母に対してこんなことをしたのは初めてだった。
私はずっと母に心配をかけないように生きてきたから。

果てしなく私は爆走した。
泣きながら運転した。

私なんか、いなくなってしまいたい。
こんなに苦しい思いばかりするなら死んでしまいたい。
ケンとコウの感情を受け止めてあげられない。
毎日、お母さんに責められているみたいで苦しい。

お母さんのためにこんなに頑張ってきたのに
もっと頑張らないといけないの?

テキストを学び進めていくごとに苦しみが増していく。
パピーさんが教えてくれることをできない自分が腹立たしい。

あふれ出してくる感情に
私はそれだけ、子どもの頃に自分の感情を殺していたんだと感じた。
私は子どもの頃、生きながら心が死んでいたんだ。
ただ「お母さんのため」だけに生きていた。

私の周りにいた大人は、私のことを肯定してくれる人なんていなかった。
否定されることばかりで、認めても、褒めても、包んでももらえなかった。
親にも、先生にも、友達にも。
とにかく“孤独”だった。

自分の心を守るため、私は感情を殺した。

だって、もしそれを感じ取ってしまったら
それは「死ぬこと」を意味する。
辛すぎて生きていけなくなるから。

この苦しみのトンネルを抜けるにはどうしたらいいんだろう。
自分で抜けるのは難しいのだろうか。
誰かに助けてもらった方がいいのかな。

もし、このトンネルを抜けられたらきっと
同じ事で悩んでいる人たちの力になれるんじゃないかなって感じてる。

この社会を、この世界を変えたい。
そのためには、私が立ち直らなければ。
子どもたちを育てながら、もう一度、自分を育て直そう。
コメント
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