春. 夏. 秋. 冬. 河童の散歩

八王子の与太郎河童、
つまづき、すべって転んで、たちあがり・・。
明日も、滑って、転んで・・。

埼玉りそな銀行1918(川越市)

2016-10-17 19:57:55 | Extra

 明治26年(1893)3月27日20時15分。 
 旧城下の養寿院門前から火災発生の一報。

 町の消防22組が総出で消火作業に当たったが、
 北からの強風・連日の晴天続きによる
 空気の乾燥・消火用井戸水の使い果たし、町域3分の1を消失。
 連雀町の「時の鐘」「八十五銀行」も消失。
 翌18日8時に鎮火。
 出火原因は
養寿院門前紺屋職作業場の業務用灰を
 十分に消火しないで、灰部屋に入れたため。   
 蔵造りの町連雀町に、
 埼玉りそな銀行川越支店(旧第八十五銀行)がそびえ立ちます。
 
 明治11年(1878)10月15日設立。
 発起人は川越町内の旧川越藩御用商人や近郷の富農ら16人。
 川越町南町にあった横田五郎兵衛の敷地を一部借りて開業。
 明治31年1898)に普通銀行となり
 大正7年(1918)に第八十五銀行の本店として建てられました。

 鉄骨鉄筋コンクリート造り、三階建て、搭屋・金庫室付き。
 高さ25m、面積291㎡。
 近代金融史のシンボル的な洋風建築で、

 ネオ・ルネッサンス、サラセン(イスラム)風デザイン。
 
平成8年(1996)に国の登録有形文化財の指定を受けています

小坂鉱山の事務所も一緒ですネ※幾度か掲載しましたがいつか、また!


    
 設計は保岡勝也(やすおかかつや)(
1877~1942
 東京帝国大学で辰野金吾(日本銀行本店や東京駅を設計)に師事。
 卒業後は三菱社(現・三菱地所)に務め、
 29歳で技師長に就任。

 明治45年(1912に三菱を退社、
 保岡勝也建築事務所を設立し、
 住宅や数奇屋の設計者として活躍。
 享年65歳。

蔵造りの町シンボル「時の鐘」明治26年大火で焼失してしまった。



コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする