明治26年(1893)3月27日20時15分。
旧城下の養寿院門前から火災発生の一報。
町の消防22組が総出で消火作業に当たったが、
北からの強風・連日の晴天続きによる
空気の乾燥・消火用井戸水の使い果たし、町域3分の1を消失。
連雀町の「時の鐘」「八十五銀行」も消失。
翌18日8時に鎮火。
出火原因は養寿院門前紺屋職作業場の業務用灰を
十分に消火しないで、灰部屋に入れたため。
蔵造りの町連雀町に、
埼玉りそな銀行川越支店(旧第八十五銀行)がそびえ立ちます。
明治11年(1878)10月15日設立。
発起人は川越町内の旧川越藩御用商人や近郷の富農ら16人。
川越町南町にあった横田五郎兵衛の敷地を一部借りて開業。
明治31年(1898)に普通銀行となり
大正7年(1918)に第八十五銀行の本店として建てられました。
鉄骨鉄筋コンクリート造り、三階建て、搭屋・金庫室付き。
高さ25m、面積291㎡。
近代金融史のシンボル的な洋風建築で、
ネオ・ルネッサンス、サラセン(イスラム)風デザイン。
平成8年(1996)に国の登録有形文化財の指定を受けています。
小坂鉱山の事務所も一緒ですネ※幾度か掲載しましたがいつか、また!
設計は保岡勝也(やすおかかつや)(1877~1942)
東京帝国大学で辰野金吾(日本銀行本店や東京駅を設計)に師事。
卒業後は三菱社(現・三菱地所)に務め、
29歳で技師長に就任。
明治45年(1912)に三菱を退社、
保岡勝也建築事務所を設立し、
住宅や数奇屋の設計者として活躍。
享年65歳。
蔵造りの町シンボル「時の鐘」明治26年大火で焼失してしまった。