春. 夏. 秋. 冬. 河童の散歩

八王子の与太郎河童、
つまづき、すべって転んで、たちあがり・・。
明日も、滑って、転んで・・。

小林源太郎、越後・西福寺で龍を彫る。新潟県魚沼市。

2023-10-03 20:20:53 | 関口文治郎/神社仏閣

草刈りで住処を追われた蚊が、
開けていた車の窓から今晩の住処に、
容赦ない人間の仕業に、仇討ちの蚊4匹。
かい~ぃ‼

小林源太郎。
1799年、中山道熊谷宿で生まれ、
父の彫り師・小林源八から、長谷川家に養子になった男。

江戸雑司ヶ谷(今の豊島区)で生まれた、
飲んべぇ~で女好き、

15歳年下の彫り師・石川雲蝶の誘いに乗って、
越後・魚沼市の西福寺の鐘楼に龍を彫った。
47歳で越後入りした長谷川源太郎が、
鐘楼に施した龍は、1850年51歳。
それまでは、三国峠あたりで、
金剛力士などを彫ったと伝えられてますが、
どうなのでしょう…?

今回の魚沼巡りを決めたのは、雲蝶彫りより、
長谷川源太郎の、越後での彫り作品でした。















👇梵鐘は、越後の鋳造家の作で、
三十三体の観音像が模られていて、
戦時中、重要文化財とした、天皇の「勅許」の銘があり、
「供出除外」の指定を受けて、お寺に返されたといいます。



長谷川源太郎はこの後、雲蝶から離れ、
今でも2メートルは積もる、雪の越後を後にし、
1855年、群馬県榛名神社の双竜門の龍に銘を残し、






 👇榛名神社・双竜門の扉

亡くなる前年完成させたのが、1860年。
群馬県箕郷町生原の本殿海老虹梁の龍、
この時、一緒に彫ったのは、
東都、後藤恒徳。

長谷川源太郎・絵は小琳斎を名乗り、
生まれ故郷・熊谷宿がよぎったのでしょうか、
晩年、高崎を拠点にして、62歳の生涯。

 👇北野神社


 👇北野神社・本殿


 👇後藤恒徳のサイン



コメント (4)
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