昼夜の生活を昼は仕事、夜は寝るに
替えて、残りの仕事をしているのですが、
今日は、8時からボクシング「山中慎介」の中継があので、
今から、休憩タイムです。
それにしても、骨折。
8月8日の事故だったのに、いまもまだ、ぷっくり。
こんなもんなのでしょうか。
動けない外傷は、初めてなだけに、さっぱり判らない。
40日近くなるのに、アケビ色。
人の体は不思議なもんです、と
明日はどうなるか、楽しみです。
明治30年生まれの太田節三は、2番目の兄半助と21歳の年の差があり、
半助は、小坂町で、小坂鉱山で働く、抗夫を相手に「質屋」を営んでいました。
節三は半助の子供、明治42年に生まれた「トク」(12歳違いの姪)をからかいに、
半助の家へ遊びに行きます。
勿論小遣いをせしめる、ちゃっかり、もありました。
この時代と、半助の質屋では、どんなそろばんを使っていたろうかと、
調べたことがありました。
無論、大した意味合いはありません。
戦後、節三の家は取り壊され、備品の資料はありません。
ただこのような大きいそろばんを置いていたとは、思えません!
このそろばん持ち歩くには大変ですね!
写真は、国道20号、相模湖近くにある、武家屋敷で移したものです。
こんなそろばん、年寄りには、イメージが「ぶっ壊れるぅ~!」
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この度、読書登録ありがとう御座います。
骨折なさっておられるのでしょうか。
40日でいまだ自由がきかないとなれば、かなりの重症
・せかず、焦らず時を掛けて直してください。
私達、子供の頃はソロバンしかなく、塾に通ったものです
今は電卓ですべてをまかなっております。
なつかしいです。今後共よろしくお願い致します。
呉服屋さんだったんですか。
野山を駆けずり回っていて
私のそろばんは、小学校まで知らなかった。
手で押しやると、曲がるのを覚えています。
おもちゃでした。懐かしい!
その五つ玉の算盤を足の下に置き広い板の間で
ローラースケート紛いの事をして遊んだ子供時代を
ふと思い出しました。
そうでしたか!
もうじき、よくなるでしょう!
だいぶ、ストレスもありましたが・・!
山歩き、気を付けてください!
骨折なさいましたか、
お気の毒です。
私も
大学時代に右の膝蓋骨骨折で
2か月入院の経験あり、不自由な生活の
不便さは理解出来るつもりです。