1765年、駿河の国の町奉行所に努める、
同心に子が生まれ、市九と名付けられ、
19歳で江戸の武家奉公するも、
持って生まれた才能が邪魔をし、
ついには
香道に通じ、浄瑠璃の作家になってしまった、
重田貞一。
文才に、挿絵に、落語に、川柳にと、
才能は果てしないところ、
浮世絵も書けば春画も書いて、
1802年、37歳、
流行作家になった。
主人公に選んだのは、
駿河の裕福な家に育った息子が、
放蕩が過ぎて借金をし、
なじみの陰間と駆け落ちをして、
江戸八丁堀へ夜逃げをした。
陰間の相手が喜多八30歳で、
放蕩息子が弥次郎兵衛50歳。
妻と死別し、不運な人生を悲嘆し、
身の上に飽きた弥次郎兵衛が、
厄払いと、お伊勢参りを案じ、
江戸を離れて、13日間。
居候の喜多八が、伴をする。
東海道中膝栗毛。
コミカルに描いたのは
私生活では気難しい、
ペンネーム・十返舎 一九、
本名・重田貞一。
弥次喜多さんが、箱根の山を越え、
三島宿に着いたとき、
お詣りしたのは三嶋大社。
ケヤキも杖は無かったのでしょう。
まだ、200年ほど前の小説。
どむみりと あふちや雨の 花曇 ❛ 芭蕉 ❜
どんよりと あふち(センダンの古名)の樹の梢を見上げて・・・
息子・二郎兵衛と神池で江戸に残した妻・すての病気を気遣う、芭蕉、
写真 2019.2.24 三島市
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