総門をぐり、整然とした長い石畳から、
👇 樹木に生した苔を眺め、
突き当たって、左に曲がり、
👇 源氏山、緩やかな階段の上に、
北条政子が招いた
臨済宗・栄西が開山をした決して、
広くはない墓地見えてきました。
ここに、北条政子尼将軍?と、
源実朝の五輪塔がやぐらの中に、
👇 猫の大仏次郎さんのお墓は、父・野尻政助さんと、
👇 高浜虚子さんのお墓も、やぐらの中に、
👇 虚子の二女、『文学界』創始者の星野天知さんの息子で、
鎌倉彫りの職人になった星野吉人に嫁いで、
癌で亡くなった
星野立子さんのお墓が、
雛飾りつゝふと命惜しきかな 立子
と、自筆句碑、日常生活で使う言葉が、
父のお墓に、対面するように建立されていている。
そして、森田愛子さんのお墓が、
ひっそりと・・
伊東伯翠の名を背負い、
師・高浜虚子氏との友情を語るように、
やぐらに向いていて・・。
晴れた、4月16日、
死して師を仰ぐ森田愛子さんの、
楚々として芯の強さを垣間見て、
胸が高まりが、空に響きました。
彫刻も彫れなければ、一句くらいと・・!
群馬花輪の文治郎、呆れて・・。
......無理、むり ムリ。
1947年4月1日。
亡くなる3日前、虚子に打った電報。
ニジ キエテスデ ニナケレド アルゴ トシ
私が生まれる1か月前に、
亡くなった森田愛子さん29歳の才能が・・。
鎌倉・寿福寺に・・。