昨日のつづきです。
2時間ほど歩いた後でのこの神社。
上るか?と主人に聞かれ、相当迷って、
お参りすることにしました。
随神門の左大臣
矢大臣。
隋神門の間から、仙酔島が見えました。
隋神門の横の能舞台。
豊臣秀吉が、戦場での慰安用に造ったものだそうです。
組み立て式だったのが、今は固定されています。
国指定の重要文化財。
公開時期:神能祭(7月),謡い初め(12月30日~1月10日),謡の会(5月)
外観は常時公開 連絡先:084‐982‐2050
また階段を上がると、仙酔島が大きくなりました。
拝殿では結婚式の最中だったので、
右の広場へ進むと、
偶然!テレビで見た力石がありました。
江戸時代、仲仕さんたちがお祭りのときに力自慢をした石で、
重さは、1つが120キロから240キロだそうです。
沼名前神社(ぬなくまじんじゃ)は、鞆祇園宮(ともぎおんぐう)とも称され、
今から千八百数十年前、神功皇后が西国へ御下向の際、この浦に御寄泊になり、
この地に社の無きことを知り、この浦の海中より涌出た霊石を神璽として、
綿津見命を祀り、海路の安全をお祈りになられたのが、当社の始まりです。
沖仕さんたちが奉納した石は、霊石、かもしれません?
これまで2時間以上歩いてへとへとだったのが、
なぜかスッキリ疲れがとれました。