融通無碍 翼を休めてみませんか

新温泉町浜坂にある日本キリスト教団浜坂教会の
牧師日記

明日は晴れるや!

2013年11月13日 | 日記
 ここのところ、ずっとお天気が不安定でした。雨が続き、気温も下がり、何だか手がしもやけになってしまいました。晴れ間が見えたかと思うと、急に雨が降ったり、霰が降ったり、カブの調子も悪くなったりしていましたが、明日は、晴れて暖かくなりそうです。明日は晴れるや!

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悔い改めたのを喜んだ

2013年11月13日 | 聖書のお話
ルカによる福音書15章11~32節

 聖書に記されています「罪人」とは、「モーセの律法」を守らない人のことです。けれども、モーセの律法を故意に守らないユダヤの人たちは、誰一人いませんでした。しかたなく、あるいは気がついたら律法を守っていなかった、また生まれつき体に障がいがあったなら、「親の罪」だと言われ、その結果「罪人」と呼ばれ、蔑まれてしまいました。反対に、モーセの律法を守ることのできる境遇の人たちもいました。ファリサイ派や律法学者の人たちでした。「罪人」と呼ばれて蔑まれていた人たちは、自分を責め、生きるのも嫌になっていたのではないでしょうか。反対に、ファリサイ派や律法学者の人たちは、自分たちのことを肯定し、ことあるごとに自慢していました。ユダヤの社会には、「罪人」と呼ばれる人たちと、自分を正しいとする人たちとの間に、根深い対立がありました。
 イエスさまは、「罪人」と呼ばれている人たちが、神の民として生きるのを嫌になったりしないように教え励まされました。同じように、自分を正しいとする人たちが、傲慢にならないように教え戒められました。そんな教えが、「放蕩息子のたとえ」でした。放蕩息子は、弟でした。当時の社会では、弟は絶対的に兄より待遇が劣っていました。弟は、自分のしたいように生きようとして、家を出て行きました。そこで行き詰まり、罪の悔い改めを経験しました。そして、立ち帰ろうと決心しました。兄は、恵まれた長子の特権が与えられているにも関わらず、悔い改めて立ち帰った弟を受け入れることができないという、心の狭さを表しました。兄は、父親に逆らったことがない代わりに、悔い改めた経験もありませんでした。そんな息子たちに向かって、父親は弟を受け入れ、兄を諭しました。そうして、イエスさまは、悔い改めたのを喜ばれる神さまの深い愛を教え、「罪人」と呼ばれている人たちを支え励まし、そして、自分のことを正しいとするファリサイ派や律法学者の人たちを戒められました。

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