「うわの空で祈っていた」 マタイによる福音書 6章1~8節
人前で祈ることに、しばしば抵抗を感じたりすることがあります。神さまの方を向いて祈ることに抵抗を感じるのではなく、人の視線が気になり、神さまの方を真っ直ぐに向けなくなってしまうことがあるからです。祈ることは、神さまに思いを向けることが必要ですから、いったん人のことが気になってしまうと、集中が途切れてしまうのです。
イエスさまは、そのことをご存じのお方なので、「自分の部屋に入って戸を閉め、隠れたところにいる神さまに祈りなさい」と教えておられるのではないでしょうか。一方で、私たちは人が祈っている姿から教えられることもあります。その人の上手な祈りの言葉に教えられるのではありません。教えられるのは、いついかなるときも神さまの方を真っ直ぐに向いている信仰の姿勢であるとか、謙虚な祈りの姿に教えられるのです。人に見てもらう目的をもって祈るなら、もはや神さまとの対話ではなくなってしまいます。イエスさまは、そのことを教えておられるのではないでしょうか。
主なる神さまは、人をご自分と同じ姿に創造されたお方なのです。人をご自分を愛するように愛し、人からも愛されたいと願っておられるお方、それが愛の神さまなのです。イエスさまは、十字架を通してそのことを私たちに教えてくださいました。私たちは、具体的な愛の神さまを示されました。ですから、私たちの祈りは、うわの空で祈るものではありません。主なる神さまがご自分の方を見て欲しいと願っておられ、信頼して欲しいと願っておられるのですから、私たちもまた、謙虚な思いをもって主なる神さまを見上げて、全てを委ねることができるような信仰者でありたいと思います。