融通無碍 翼を休めてみませんか

新温泉町浜坂にある日本キリスト教団浜坂教会の
牧師日記

嬉しかったこと

2016年05月23日 | 日記

 沖縄の米軍関係者による犯罪、TPP、戦争法案、消費税増税・・・何一つ嬉しいことなどありません。

 けれども、教会入り口の軒に、ツバメが巣を作り始めたことは、正直嬉しいことです。下の子どもは、ネコやトンビにツバメを襲わないように言っていました。ヘビが気がかりですが、トンビが何とかしてくれるでしょう。

 しかし、ツバメの巣を見ていたら、まるで一つひとつレンガを積み上げるように、泥をこねて口で運んでいるのですね。これは、一個ずつなのでしょうか。腹の中に泥をためて、その場で複数個作っているのでしょうか。今度、調べてみたいと思います。

 


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浜坂みことばコレクション

2016年05月23日 | 浜大根伝道

 浜坂田君川で撮影したバイカモを、浜坂教会みことばコレクション(はがき)にしてみました。分類は、「信仰」です。

 半分水上を、半分水中を撮影するようにしてみました。比較的、両方が撮れています。

 


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「イエスさん」で行こう!

2016年05月23日 | 信仰あれこれ

 私は、気がついたときには教会にいました。クリスチャンホームで生まれ、名前も牧師に頼んで名付けてもらったものです。

 それで、自分がイエス・キリストのことをどう呼んでいたのかを振り返ると、まず「イエスさま」だったと思います。回りの環境がそうでした。それから、「イエス・キリスト」だったでしょうか。そして、「主イエス」で、再び「イエスさま」になったような気がします。

 それぞれの時期に、よく考えて呼び方を決めたのですが、どうも「イエス」とは言えませんでした。何だか、呼び捨てにして、偉そうな気がしたからです。表現は、意思の伝達でもありますので、自分はそんなにご立派な人間ではないので、これからも「イエス」とは言えないでしょう。

 でも、「イエスさま」という呼び名に弊害があると思い始めてきました。それは、相手を(イエスさまのこと)偉い存在のように表現しているので、それを聞いている人(私の言葉を聞いている人)に「イエスさまは偉いんだ」と、無前提に意思を伝えていることになるのではないかと考えるからです。

 自分が尊敬しているから「さま」と言っているのですが、それが決まり言葉になってしまうと、人にも押しつけて伝えてしまうことにならないだろうか、そんなことを考えてしまいます。私が良いと思うことが、他の人にも良いとは限らないものです。

 それで、何を伝えたいのかと考えたとき、誰でも分け隔てなくイエス(あえて「さま」抜き)と人格的(変な表現かもしれませんが)な繋がりを持つことが大切なのではないか、ということです。

 それには、「~さま」と言うと、あまりにも上意下達的な関係になるのではないか、そうではなく対等な関係が良いのではないか、それには「~さん」というのがぴったりだと思うようになりました。信仰者というと、何でも従属してひれ伏していれば良いのではなくて、49%分の自分の責任を負い、51%分をイエスさんに委ねていれば、それで信仰者と呼べるのではないかと思っています。

 私は、イエスさまが私に、「お前は私の子分になれ、命令は絶対だ」とは言わないと考えます。そもそも、教えも全部は守れないし、そうではなく「自分で考えて、自分で責任を取って生きなさい」と言われるのではないかと思います。その気持ちを伝えたいのなら、「イエスさま」ではなく、「イエスさん」が良いのではないかと思いました。

 実は、浜坂教会の牧師をしていました大川先生が、「イエスさん」と言われていたことを思い出し、私もこれから「イエスさま」を改めて、「イエスさん」と言うようにしようと思います。でも、お祈りの最後の言葉は、「イエス・キリストの・・・」と言うことにしたいと思います。

 当分の間は、言葉がごちゃ混ぜになってしまうかもしれませんが、単に呼び名を変えただけというのではなく、伝えたい信仰の部分を伝えられるようでありたいと願っています。

 

 


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