「邪悪な思いと闘っていた」 使徒言行録 2章14~42節
聖霊降臨の出来事の後、ペトロは人々に向かって説教をしました。ペトロの説教を要約すると、旧約聖書ヨエル書と詩編を引用し、「主の日」(審判の日)がやって来ることについて、イエスさまが十字架の死に勝利して、復活されて天に上げられたことについて、神さまがイエスさまを主・メシアとされたことについて、罪を赦す力のある「イエスさまの名によるバプテスマ」を受けてイエスさまが約束された聖霊が与えられることについて教えました。その際に、聖霊を受けることができるのは、ただ神さまの招きによるものであると教えています。ペトロの説教は、キリスト教の教義となっているものばかりです。
また、ペトロは「邪悪な時代から救われなさい」と勧めました。邪悪な思いとは、言い換えれば神さまへの信仰でさえ本音と建て前を使い分けるということではないでしょうか。イエスさまは、「よきサマリア人のたとえ」を通して、困っている時は誰であっても分け隔てなく助けるべきことを教えています。しかし、たとえ話に登場する祭司やレビ人は、神さまに仕える信仰者でありながら、傷つき倒れている人を見捨て、本音と建前を使い分けています。
邪悪な思い、すなわち自分の思いと闘って信仰生活を送るためには、自分の思いを49%にとどめ、神さまに51%を委ねるということではないでしょうか。全部を自分の思い通りにしようとするところに、失敗が生じたり罪を犯したりするものです。そうではなく、神さまを信頼し(信じて)、神さまに委ねることを通して肩の力を抜き、自分だけで生きているのではないことを悟って真摯に生きようとすることが「悔い改め」ではないかと思います。
(今回分までは、「イエスさま」で)