池袋での暴走事故ですが、容疑者が「容疑者」と呼ばれずに「さん」で呼ばれたり、逮捕もされないことに、ネットを中心に「上級国民だからか」と批判されています。
これまで、皮肉のように「上級国民」という言葉は使われてきましたが、今回、神戸のバス事故など、即座に容疑者として逮捕されているのに比べたら、その事故の大きさ、重大性から考えて、その「上級国民」とやらは即座に容疑者として逮捕されてもしかるべきと思われます。
年齢的に同情する余地もないことはないのですが、事故直後、子どもに連絡してSNSを閉鎖したとか、携帯を解約したとか、その直後の機転の早さに驚きました。よっぽど普段から悪知恵を働かせているのでしょうか、勘ぐってしまいます。
下の記事には、憲法が保障する「平等」について触れています。元官僚だろうが、政治家だろうが、原発関係者だろうが、公務員だろうが・・・、皆、法の下に平等であるはずです。にも関わらず、自民党の改憲草案には、「~いかなる特権も伴はない」という憲法の条文が削除されているとのことです。つまり、自民党が目指しているのは、人を殺しても逮捕されない特権を持つ「上級国民」とらやを認める社会に他なりません。
こういうことを政党や政治家が表明すること自体が憲法に違反しているのではないでしょうか?政治家は、国民に仕えるために、ひたすら憲法を守って働くだけの公僕であり、決して「上級国民」などではありません。勘違いをしている、そもそも憲法を理解していない政治家が多くて困ります。それでよく政治家ができるのかと思います。
自民党のような考えを持つ人がいるのも自由です。しかし、自民党のような考えに反対する人もいて自由です。これは「おかしい」と思ったなら、もっともっと声を上げるべきだと思います。そうしないと、本当に「上級国民」がいて当たり前の差別社会になってしまいます。ジョージ・ウォーエルの「1984年」です。
「上級国民」だから逮捕もされない、容疑者とも呼ばれずに「さん」で呼ばれる社会は間違っていると思います。貧しい人は、お店で数千円でも払わなかったら逮捕されてしまいます。逮捕直前に逮捕が取り消されたレイプ犯のように、件の「上級国民」とらやもアベトモなのかと疑ってしまいます。
これでは、殺されてしまった人たちやご遺族が可哀想というものです。「上級国民」だから何をやっても許されるという社会なんて、まっぴらご免です。
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