融通無碍 翼を休めてみませんか

新温泉町浜坂にある日本キリスト教団浜坂教会の
牧師日記

明日は礼拝です

2019年12月07日 | 礼拝のご案内

 明日12月8日(日)は、第2アドヴェント礼拝です。午前9時から教会学校、午前10時30分から礼拝があります。メッセージは「マリアの賛歌」です。讃美歌は、「主を待ち望むアドヴェント」、「羊はねむれり」、「いそぎ来たれ、主にある民」です。礼拝後には、祈りの一時、お茶の一時があります。ご興味のある方は、どなたでもご参加ください。

 明日の日曜日は、文化会館を会場にして、近隣文化祭が行われます。地域の人たちや子どもたちも参加して、朝から賑わいます。教会学校に来ている子どもたちも、文化祭の役割を持っていたりもしますので、教会学校の人数は少ないかも知れません。昼は、食堂コーナーがあり、我が家でも食券を買っています。

 11月26日に母親が天に召され、月末に浜坂に帰ってからたまった仕事をこなす日が続いています。疲れと郷里の高知と浜坂の気温差のために体調を崩したりもして、平常運転までもうちょっとかかりそうです。この間、ご献金を送ってくださった方で、すぐに連絡がないために心配してお電話くださったりもし、色々とご心配やご迷惑をおかけしてしまい、申し訳ありませんでした。

 これまで気を張っていましたが、溜まった仕事が一段落したら、悲しみがこみ上げて来そうな気がします。でも、次から次にやることがありますので、当分は忙しさにかまけて母のことを思い起こす間もなさそうです。良いことなのか、悪いことなのか分かりませんが。天国にいる母親も、たぶん「目の前の仕事を一生懸命やれ」というだろうと思います。

 振り返って浜坂教会のことを思うと、善し悪しは別として、何でも牧師が切り盛りしないと回らない状況にあります。私が辞めれば、そこで活動が停滞してしまいそうで、気がつけば辞めるに辞められない状況のようにも思えます。別の考え方をすると、こんな私でも必要とされているという受け止め方もできますので、励みになっていることでもあります。

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「神と人との交わり」

2019年12月07日 | 聖書のお話

「神と人との交わり」 ルカによる福音書 16章19~31節

 病気のラザロは、死後、天国へと招かれました。反対に、金持ちの男は、死後、地獄の苦しみの中で目を覚ましました。アドヴェントに入り、改めてこの物語を考えるとき、金持ちの男がラザロの存在に心を留めず、人間的な交わりがなかったことが問題の根底にあることに気づかされます。

 人と人との交わりとは、困った時には助け、励まし、支え合うものではないかと思います。金持ちの男は、病気のラザロを助けることができる立場にいました。それをしなかった、人間としての交わりをしなかったことが、彼が地獄に落ちた原因ではないかと思います。病人のラザロは、金持ちの男を助ける力などなかったと言えるでしょうか。同じ人間であると認められさえすれば、金持ちの男の話に耳を傾けることぐらいはできたはずです。交わりは可能です。

 クリスマスは、神さまの聖霊の業によって神の子が地上に誕生したことを伝えるものです。それは、神と人との交わりが可能とされた出来事であると信じることです。神と人との交わりが可能になったにも関わらず、人と人との間に分断があり、交わりが不可能であるというのであれば、クリスマスを無意味なものにしてしまうことになると思います。

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする