「イエスと共なる食卓」 ヨハネによる福音書 21章1~31節
弟子たちは、イエスさんを失った失意の中にいました。それは、イエスさんが復活されたことを受け入れられない弱さでもありました。7人の弟子たちは、ティベリアス湖で舟に乗り、夜通し漁をしていました。しかし、その夜は何も捕れませんでした。やがて夜が明け、岸辺から「子たちよ、何か食べる物があるか」と呼びかける声を耳にしました。彼らは、「ありません」と答えると、その声の主は「舟の右側に網を打ちなさい。そうすればとれるはずだ。」とアドバイスしました。言われるままに網を打つと、驚いたことに引き上げることができない程の魚が網にかかりました。
イエスの愛しておられた弟子が、ペトロに「主だ」と言いました。ペトロは、「主だ」と聞くと裸同然だったので、上着をまとって湖に飛び込んで岸へと泳いで行きました。「裸同然」というのは、実際に裸であったということと、心が空っぽであり、心も体も飢え乾いていたことを伝えているのではないかと思います。それは、他の弟子たちも同じでした。イエスさんを失った者は、飢えと乾きを覚える裸同然の存在です。復活されたイエスさんは、ご自分も空腹を覚える存在として弟子たちと同じ場所に立ち、心も体も飢え乾いて裸同然であった弟子たちに寄り添い、食事を共にすることを通して励まされました。