融通無碍 翼を休めてみませんか

新温泉町浜坂にある日本キリスト教団浜坂教会の
牧師日記

明日の礼拝はお休みします

2023年12月30日 | 礼拝のご案内

 明日、12月31日(日)の礼拝は、お休みします。皆さま、どうか良いお年を。

 2023年もまた、激動の時代でした。友人や知人が亡くなったという知らせも多かったです。自分も、いつ亡くなるやらと思うと、一日いちにちを大切に過ごさないといけないと考えさせられます。身近な方々も、入院したり手術を受けられたりと大変でした。私もここ何十年と罹ったことのないインフルエンザになり、発熱とはこれほどしんどいものなのかと気づかされました。

 ここ数年、私は教会でお話しをするとき、幅広く多岐に渡ってお話しをする時間や余裕などないと判断し、キリスト教で一番話さないといけない大切なことに絞って話そうと心がけてきました。意見は色々あると思いますが、「愛」に絞ることにしました。2千年のキリスト教の歴史を振り返ると、イエスさんが教えた愛を伝えて来た筈です。けれども、世界はちっとも良くならないで、愛とは正反対の殺戮の限りを尽くすという方向に進んでいるように思います。その原因は何かについて考えてみたところ、それは「自分愛」が過ぎているためではないかと思います。

 自分の欲望を第一として、他人の土地や命までも奪っても、良心の呵責もない、それを言い換えると「自分愛」です。他人の土地を奪っても、命を奪っても、人生を奪って奴隷にしても心の痛みもない、そんな植民地主義もまた度が過ぎた「自分愛」だろうと思います。現在の世界もまた、「自分愛」に満たされています。そもそも人間とは、そういう生き物なのかも知れません。しかし、不思議なことにイエスさんは、人間の「自分愛」を否定していないように受け取れます。「自分愛」を肯定した上で、『自分を愛するように、あなたの隣人を愛しなさい』と教え、道を示しています。人は、自分を愛することについて分かっているところがあります。全ての人が自分にして欲しいように他人に同じことをしてあげれば、恐らく大きな問題は起こらないのではないかという理屈も分かっている筈だと思われます。

 一方で、善意を逆手に取られて詐欺の被害に遭うということも起こり得る世の状況があると思います。どうすれば他人に騙されないで他人を愛することができるだろうかと考えたりします。「他人に騙されず他人を愛する」という悟りのようなスキルを身につけるには、他者が歩んで来た歴史を学び、他者との関わりを通して自分を広げることが必要不可欠です。それができるのは若い人の特権なのですが、若い人が飼い慣らされている状況があるような気がします。教会が有意義な示唆を得ることができる場所なのか、あるいは益々「自分愛」を追い求める御利益追及の場所でしかないのか、色々なことを堂々巡りしながら考えさせられているところですが、なかなか答えが見つからずにいます。いずれにしても、自分の力不足を痛感するばかりです。

 

 


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「瓦礫の下のイエス」

2023年12月30日 | 聖書のお話

「瓦礫の下のイエス」 ルカによる福音書 2章1~7節

 現代のイスラエルという国は、おかしなことに「ハマスを攻撃する」と言ってガザのパレスチナ住民を虐殺し、その数は2万人を超え、その半数近くが子どもであると伝えられています。あの東日本大震災で亡くなった人々の数に匹敵し、今後も更に増える勢いです。イスラエルの大臣は、「パレスチナ住民は人獣」であると公言しています。イスラエルのユダヤ人は神に選ばれているのだから、人獣であるパレスチナ人を虐殺して住んでいる土地を奪い、自分たちの領土にして構わないと考えているようです。そのような思想が見え隠れしていることから、ジェノサイトとかホロコーストと呼ばれているのです。

 2千年もの昔、ユダヤ地方にローマ皇帝によって住民登録をせよとの勅令が出されました。ヨセフは、マリアと一緒に登録するために故郷のベツレヘムへと向かいました。その途中、イエスさんは馬小屋で産まれ、飼い葉桶の中に寝かされました。客間に泊まることができなかったのは、出産による「血の汚れ」を忌避されたからです。住民登録は、徴税や徴兵を目的として行われました。ユダヤの住民にとっては、ローマ帝国に管理され、搾取されるための施策でした。一方、この住民登録の対象にすら入らない人たちがいました。それは、羊飼いでした。

 羊飼いは、奴隷の仕事とされていました。24時間労働のために礼拝が守れないことから「罪人」と呼ばれたり、日常的に動物に触れることから「汚れている」と呼ばれて蔑まれていました。イエスさんは、馬小屋で産まれ、飼い葉桶の中に寝かされました。そこは、羊飼いたちと出会うことのできる生活の場でした。そうして、イエスさんの誕生を最初に知り、イエスさんの姿を最初に見届け、イエスさんが救い主であることを最初に世の人々に告げ知らせたのも「罪人」とか「汚れている」と呼ばれて蔑まれていた羊飼いでした。

 イエスさんは、社会で弱くさせられた人たちの直中に産まれました。そして、社会で弱くさせられた人たちから「救い主」として世に伝えられました。成人した後もユダヤの人々から「あれは罪人の仲間だ」と言われながら、奢り高ぶらずに社会で弱くさせられた人たちと生涯を共に歩まれました。現代のガザにおける痛ましい虐殺の状況と重ね合わせるなら、イエスさんもガザの人々と共に生き、瓦礫の下になっていたことでしょう。イエスさんが十字架で命を賭して私たちに伝えた愛があれば、戦争は起こらない筈です。クリスマスは、自分自身の心の内に愛があるのかどうかを確かめる日なのです。

 


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